ドラえもんで麻雀に平和しか役のない状態でゲームをする話があるとどうなるのだろうか。単行本収録作品でのび太が正月の遊び(凧あげと羽根つき)のルールをひみつ道具で改変するお話があるのですが、考えてみれば正月に麻雀をするのも全然ありなので負けが込んだのび太が(満貫や役満を憎むあまりに)「平和だけでしかあがれない麻雀」を思いつくという流れで。

 まあ最速の平和あがりを目指すゲームと化すはずですが、おそらく面子に出木杉がいればのび太は臆面もなく聞くと思うのですよね。「どうすれば早くあがることができるのか」と。そして出木杉はフラットに平和の作り方を教えるはずで、のび太の興味ある分野ではあきれるほど速く学習する特性が発揮され、すぐに追いつき、そして麻雀に貪欲になるであろうと思うのです。あがり効率と得点のリスク配分を自分で管理してゲームを進めるという麻雀沼の入口に手をかけてしまうことで。

 連休があると愚にもつかないほら話を書いていられるのでやっぱりいい。今気になることはワートリの遊真の父親が言っていた「強者を足止めできている時点で立派な戦果」といったところで、麻雀でもテンパイしている人のあがり牌をひたすら放銃しない打ち方ができればかっこいいなあと妄想しています。ワートリのトリガーで妄想すれば、ランバネインを一人で足止めできるトリガーはあるのか?という方向性となり、奴さんの総トリオン量がケタ違いなのでまあ無理なのですが、弓場というキャラが「よーいドン」で始まるタイマンなら最強だと言われるように特定の状況下において強者に我慢戦という無理強いを強いるという超限定トリガーならイケるんじゃね?などとウキウキしながら妄想しております。相手におもちゃを使わせず、逆に雑用を押し付けて、その雑用に大した意味はなく、そして自分は意味のない雑用が大好きならカンペキ。鼻歌歌いながら意味のない雑用をこなして相手の仕事の粗を(悪気なく)指摘して「お互いがんばろ!」と時間を潰せるなら平和でいいのではないでしょうか。トリガー始動条件はさておき、終了条件は指定した相手が心の底から自分のすべてをなげうってでも雑用辞めたいと念じた時。使用者側のリスクは全部忘れるってことでしょうか。上記の言質に説明責任を与えるのなら、特定の状況下とは「相手の大砲をまともに喰らったはずなのにピンピンしている」状態で、そのあとは付かず離れずの距離でウロウロしまくりベタオリに徹する。その後にガードが甘くなり大物手が育ったことを暗に示して相打ち上等の瞬間を待つ。という流れ。使用者側のリスクは大砲を受け損なうとそれで終わるのに受ける面積と出せるタイミングが高難易度で、実質見てからでは間に合わない仕様だということ。大砲待ちとばれたら速射砲で削られて終わる。大砲を見てから対応しても普通に終わる。それを全部忘れて実戦で使うのはナンセンスだ。

 表面的には遊真のブラックトリガーと同じ他者トリガーのコピーを行う能力に見えるが、やっていることはレプリカ先生の解析能力を自分の脳みそで行い、ブラックトリガーを生成する時のように他者トリガーをその場の即興で生成する。付かず離れずの距離は解析の必要条件(データ送信の安定度みたいなもの)で、ベタオリは相手のトリガーと紐づける十分条件(ルールを破ると最初からやり直し)となる。そう考えると味方から希少トリガーを融通してもらうほうが冴えたやり方となるが、ボーダーのトリガー量産技術は高いので、なら最初からトリガーの複数所持を選べという話になる。どん詰まりのトリガーだが、ブラックトリガーの複製が可能なら評価は一変する。だが無理だろう。使用者が発狂する未来しか見えない。オペレーターとチームでの並列処理を考えて実装したら黒トリガー適応が実現するのか。ここまで妄想してトリガーネーミングもこれしかない、と思い至ります。名称はMZX1(エムゼットエックスワン)。SHARP謹製ですな(笑い)。

 あとは妄想の垂れ流しで……。

 湯水のようにボーダーの開発予算を使えるはずもなく、鬼怒田さんの目を欺けるはずもなく、城戸さんの目にかなうかも怪しい。人と違うことをなんのプレッシャーもなくする人間は要注意人物に決まっている。設定の必然としてボーダースポンサー関係者となり、2社以上の巨大資金源は暗躍舞台装置となり気持ち悪いので、必然の必然として唯我の関係者であり唯我尊とはほぼ親和性はない、と考えると、唯我の社長の養子で(実質は産業スパイの)唯我尊の弟……にでもなるのか。しょっちゅう頭の中の記憶をいじられていそうだ。

 先日、ついにワートリを全巻購入してしまいまして、頭に入ってくる情報量が一気に増えました。誰が一番気になるかというと、今のところは東さんです。人物評がいちいち気になります。瞬間最大風速的に東さんが唯我尊をどう評しているのかが気になっています。主人公の修を東(以下「さん」は略)はアンバランスと評しましたが唯我はどう思われているのだろうと。ランク戦の話ではなく、あの隊の中で息が詰まらずにマイペースでいられる人物像はちょっと読めないですから。そして一番好きなキャラは唯我とからみが多い出水なんですよね。アフト戦の戦功褒賞でも彼は上位だったはずで、トリオン切れを心配しないで様々な弾種を使い分ける弾バカと、家庭用ゲームで使えるキャラになったら、対CPU戦でどんな手を使ってでもコントローラーに合成弾マクロを組んで暴れまくりたい。敵の出現パターンと攻撃アルゴリズムを読み切って(というか学習して)好きなように弾幕を張りたい!Q!

 わたしの脳内で明け方に木虎と迅と東による唯我座談会が開かれたのですが、結論から言うと「関わりたくない」「わからない」「知らない」と、とっちらけた印象となりました。

 コミックをぼけーと読んでいると陽太郎まわりも面白いことに気がつく。あのお子様は作中屈指のエリートなんです。でかい口を叩くだけの明白なバックボーンがあります。林藤支部長が激あまやかした結果の「世のなかのきれいとおいしいはおれのもの」状態な子供ですが、かわいい顔をして護衛の巨大ロボと化す愛玩動物もお傍にいるので、唯我尊と同列の本作での最上位キャラでしょう。代わってくれ。

 短期間でワートリ成分を摂取したせいで、少し平静でいられない気分です。唯我の立ち位置は将棋でいえば奨励会を経ないでリーグ戦に参加(しかもA級)という針の筵にいるわけで、よっぽど本人が特殊でなければ自分を保つことはできません。なんでお前弱いのにA級にいるんだよと、誰だって思います。その疑問への答えは一つしかありません。誰がどう言おうと、わたしはA級に相応しい人間だと自負自尊しているからだ、です。唯我が増長するたびに太刀川が精神攻撃をしかけ、出水が物理でショックを与え、国近がとどめを刺……さずに無視する流れですね。太刀川隊は。こう書くと国近のランク戦での指示ぶりを見てみたくなります。

 段々と唯我のことが好きになってきたので、一見では嫌な奴としか思えないが話してみると割といいやつだった、という小話を藤子先生の過去作でも読みながら考えてみよう……。

 ヤフーの電子書籍サービスで『ラーメン発見伝』の無料閲覧が巻数限定で公開されています。ラーメンハゲこと芹沢さんの活躍を読みたくなり2巻の途中まで読みました。私は作品が発表された順番を無視して、最新作の『ラーメン再遊記』のみ拝読していて野生の芹沢さんを見るのは初めてなんですよね……。思ったよりずっと紳士でした(まだわからんが)。

 作中におそらくずっと通底するであろうコストとうまさの関係の片鱗(あるいはど直球)が塩ラーメン対決で来そうな感じです。これを「リスク」と「リターン」の関係と捉えると、店と客の関係、己と敵との関係、と人の心がない話になりそうで怖い。(実は最終話の噂はネットで散々みてしまっているので芹沢が大敗北する師弟対決の結果は知っているのですが)——そして2巻の最後で小池さんに人の心で情報に殴られる。つれー。

 なんとなく気づきを得ると同じ物語の展開が別の理解へと変わる瞬間があります。なんの話かというと『ラーメン再遊記』3巻のベジシャキ豚麺堂の社長と、かつての人気店長だった加納との、左遷させられた(と思い込んでいる)過去のいきさつを読んだときの話です。

 最初にこの話を読んだときは「あー加納はバカだなぁ。社内メニューコンテストで一位常連だからってチェーン店の看板メニューをひっこめて新メニューで勝負するべきだ、なんて吹聴しちゃって……」くらいにしか思わず、ベジシャキ社長の言い分はほぼスルーしていました。なんか言っているな。けど話の展開的には加納の店を立て直す流れにいくに決まっているのだから……おお、ほらみろ。社長が閑古鳥バスターとか言い出したぞ。と、一人ほくそ笑んで読書していたわけです。周りに誰もいなくて本当によかった。きちんと話を作って作劇しているのだから、芹沢が跡を濁さないようにいなくなるのは当たり前で、ベジシャキの社長が自分の言葉足らずで前途有望な若手社員を迷わせてしまったことの心の清算を丁寧に描き、加納が自惚れていた自分には社長の言葉は(言ってもらったとしても)理解できなかったと思いますと、バカにしていた上司の心情を汲み精神的に成長するシーンが話のきもであったのだろうと、明日が休日なので缶ビールを片手にブログを書いている自分には思ったりします。(自分でとどめを刺すと、芹沢は「自惚れた勇者よりも賢い臆病者のほうが強い」と加納に助言しており、気づきを得た、とかぬかすノータリンは臆病者に淘汰されるのであります)

 

 芹沢のキャラ造形に関心があります。かつての失敗や敗北により拭えない思いを抱えつつ立身を成し得たキャラ、というとスポーツでもビジネスでも権謀術数の戦国ものでもいろいろありそうです。書いていて自分で思いますが、これは大好物ですね。立身を果たしているのにそもそもの根源に立ち入っていない自覚を持ったままというのは、本人の価値観が他者や他所に支配されたままともいえる。先日にアニメ最終回が放送された『ダイの大冒険』では、わたしはご多分に漏れずクロコダインが大好きなんですが、別の意味でアバンも大好きなんです。これにバーンが加わってハドラーを題材に好き勝手言ってくれないかなあ・・・と想像します。バーンは聞き手にまわり、アバンとクロコダインのハドラー評を楽しく拝聴する。そんな集まりですかね。

 『ダイの大冒険』(以下『ダイ大』と略す)のクロコダインはハドラーを王と仰ぐ武人キャラとして登場し、強敵との戦闘で何度となく死にかけ、斧を捧げる相手をハドラーからポップたち人間へと変え、最後まで生き延びた男です。ポップと出会うまでは己の地位(ハドラーの下での将軍の地位)可愛さに武人の誇りをベットした卑劣漢でもあります。クロコダイン好きなわたしが強調したいことは、初回登場時のクロコダインの己の誇りとはハドラーの下で戦功を挙げ将軍まで上り詰めた己の生き様だということです。(かっこいい!!) 

 深夜3時に布団から這い出てキーボードをたたいていますが、dアニメストアで『ダイ大』をつまみ見していると、なんとも思っていなかったフレイザー(の声)がやたらかっこいいことに気がつきました。わたしは今までフレイザードを舐めていました。悪い癖でどうせ絶対にダイの新技の餌食になる運命の、ポッと出のキャラだろうと。炎と氷の二属性でメラゾーマ五発同時発射で俺様強ェ!!とムーヴをかますのだから、ああこいつ死ぬなと普通思いますよ。でもかっこいいのです、フレイザードは。

 昨日の夜はかなり夢見が悪く、細切れの夢を飛ばし飛ばし見るようで眠りが浅い状態でした。ワートリの唯我を周りがどう評価しているかの興味が一段落すると、今度はハドラーが周りからどう評価されていたかと気になりはじめ、正直あまりよく言われていなかった(アバンからは大魔王の使い魔呼ばわりされていたような……)かなと、安眠できない夜でした。寝る前に100話もあるアニメをスワイプしまくって見るのはよくないと知見を得ました。

 ピクシブ百科事典でフレイザードの項を読ませてもらいました。とてもすっきりするまとめで、もう書くことなんてないな……と思いますが、わたしが感じたフレイザードのかっこよさはクロコダインが捨てきれなかった過去の栄光を躊躇なく捨てる即断性と、バクチに勝利することで得られるであろう己の快感に全ベットする狂気性です。いさぎよい。『ダイ大』コミックスは全巻所持していて、ある日すべてを廃棄して手元にないのですが、バクチは(外れたら)痛い目をみるから面白い、のページを見るために単行本を買おうと思います。クロコダインは気絶していたか、それとも意識はあったのだろうか。

 近所の本屋に新装版の大ダイを注文(バルジ島決戦編だけ)し、表紙の青エクに釣られて購入したジャンプSQ.を読むと気になるマンガが連載されていました。こちらは電子書籍で既刊本を購入。『ショーハショーテン!』という作品です。私が初めて読んだ第13話は主人公の一人、東片太陽が相方の畦道に大切な人の笑顔を「お笑い」で目にすることができたと過去話をする回だったのですが、・・・・・・・。第1話を読んでから第13話を読み返して、そしてまた第1話を読むというループに入りました。「面白い」「かっこいい」「煽られてるみたいだ…」「君の方が(中略)プンプンしてる」と、子供のころからの悪い癖で、何度でも読めてしまう。そして思う。

 太陽、おまえ。値千金のプラチナチケットをもらってくれと言われて、「お笑いに興味はありません(意訳)」「芸人さんとお友達なんですね(よくわかりました)」と出したチケットを財布にしまった朔太郎の残念ぶりを、よくよく胸に嚙み締めろ。

——と。

 

 将棋とお笑いは似ていると仮定して、将棋が対戦相手に「まいった」と言わせるゲームなら、お笑いは観客席の人々に「まいった。もう降参だ。これ以上笑わせないでくれ…」と懇願させるゲームといえるかもしれません。

 お笑い、を副業にして興行を見て渡り歩き、あるステージを見て「つまらん!」と言って演者から顰蹙を買い「同じ構成でもっと笑えるステージにできます」とのぼせ上った素人発言をして……

 『ラーメン発見伝』でラーメンの代わりにお笑いを副業とする藤本がいたらどうなるのだろうと与太を飛ばしてみました。ラーメンとお笑いが一緒に語れるかというと、無理でしょ!としか思えませんが、第一話ではまずいと言われたラーメンを10年前に同じ材料、同じ味付けで学生時代の藤本が食していたことが明らかとなり(ただし今よりも高級な食材、3倍のスープ煮込み時間をかけていた)ラーメンを再現して店主を黙らせるという筋書きでした。お笑いでこの構成を真似するのなら、ステージに立つ人物の再現となるのでしょうが、独演の芸人を素人が再現するのってどうなのと冷や汗がでるので、ショーハショーテン!よろしく畦道のように素人ながらツッコミが誠実で聞き取りやすい、高慢さを感じずにガラガラ声ではない(……)漫才の再現となるのでしょうか。俺がつっこみてえー-。

 明日が休日で与太話をブログに書いていると意味もなく楽しい。

 ジャンププラスで掲載されているダイ大の外伝作品『勇者アバンと獄炎の魔王』の25話目が数日前から見られるようになっています。いまはお笑いに興味が傾いているので、私がひっかかるなあと感じるのはクロコダインとザボエラの「笑い」についてです。可笑しいから笑う、面白いから笑う、と、なぜあの人たちは笑っているのだろうとぼんやりと考えています。作品内のキャラに感情移入するのなら、ガンガディア配下のビビっている魔導士の一人の気持ちです。「え。なにがおかしいの? ガンガディア様はブチ切れているし……。よくあの人たち(クロコとザボエラ)この空気で笑えるよなぁ」きっとハドラー様が帰ってきてくれたらもとの居心地のいい職場に戻るに違いない。それまでの辛抱だ……。

 現在、わたしはお笑いの内容にはほとんど興味がないと思います。極論を言えば、楽にボーとしていられるのなら、それがいいなあと思っています。クロコダインの大笑いもザボエラの高笑いも本当はどうでもいい。ただ、ああもエネルギーに溢れていると、どうして彼らはあのような形態になるのか、どのようにすればその形態に移行できるのかと疑問に思う。楽にボーとして楽しく笑って生活できるのなら、それに越したことはない。それができているのなら、なぜそうなったのかを考え、適時再現できるように理論化するべきだ。楽に越したことはないから。

 ショーハショーテン!で何度も登場人物が口にする「笑う場として温まって」いたという理屈は本当に謎で、人は笑うときに笑うのではないか。場が重要だという理屈は————甘えなのではないかと一人でいると考えたりもします。他人の顔色に影響されて笑ったり笑わなかったりするのであれば、ほぼ必然として、周囲の影響を受けて怒ったり怒鳴ったりするのではないか。呆れて話にもならない。みんなそう思っているぞと場に重要性を持たせるのであれば、そもそも何かに順位をつける格付け行為は明確なルールがない場合、場の雰囲気で決まってしまうのではないか。そうに決まっているだろうと自分で思ったりもします。こう書いているとショーハショーテン!の主人公、四十万畦道と東片太陽のキャラ造形は少し寒気がしてきます。コミックス3巻で前演者が異様すぎて客席から笑いたいという気持ちが飛んでしまい、どう演じても笑いを起こすのが困難な危機に際して、太陽の異様な一人舞台で場の異質さを中和し、畦道のツッコミで笑いを起こす。優勝を勝ち取るための下準備が完璧に働いた舞台を演出しました。笑うための準備を事前に用意して、人が息をするように観客にフリを見て覚えてもらい、怒涛のボケとツッコミで笑いの波を起こす。「場」が笑いにとって重要なら自分たちで一から作り直して気持ちよく笑える場を提供する。「なぜ笑えるのか」を理詰めで問い質し、舞台の上でたらいに水を汲み、観客席ごと気持ちのいいぬるま湯に浸してあとは観客の能動性で波を起こさせる。笑うのは演者ではなく客だったのか!

 ふーん、ふんふんふん。ジャンプSQ.の発売日が近づいてきました。次号のショーハショーテン!が楽しみだなあ。コミックス2巻194ページと195ページは私の胸にちいさな楔として残っています。「俺は太陽を疑わないよ。ただ本音をいえば、そう言い切ることはできない」。他者を信じる、信用するは、大切なものを他者に預けても安心できると自分を信用できるか、今までどう生きてきたか、これからどう生きていくかの、己の確認作業みたいなものだ。

 ジャンプSQ.1月号、読みましたぞ。読み返すのが辛い内容でしたな。

 そのせいで頭の中だけで読み返しをする可能性が高い(→そうでもなかった)。自分の中で笑いのために人を傷つける行為、面白いことのためにつまらないことを黙認する行為はほぼほぼ悪なので少し消化に時間がかかることでしょう・・・。

 月額定額で見放題のサービスを使い始めると最初は見たい作品を続けて見て満足し、あとはダラダラと適当に作品をみて月額料金のもとが取れているか怪しくなっていきます。ショーハショーテン!の(比べるのもおこがましいですが)作品の構造と似ているところがあってそれは「お笑いの波」第一波を受けたときの衝撃が最大であり、あとは小さくなっていくところです。また人間が病に侵された際に病床で余命宣告を受けるような場合も第一波が最大衝撃となるでしょう。ちなみに「おこがましい」の意味を検索してみると「身の程知らずの大バカ者の世迷言」といった意味のようです(謙遜が過ぎて攻性が付与されてる…)。頼りない自分の記憶を遡ってみても、他人からおこがましいな君は、と言われたことはないと思います。いや普通は言わんだろう……と考えていたら、わたしの子供時代にはもっともっとくだけた言い方で大小の違いはあれ日常的に言われていた気がしてきました。おまえ自分が人気者だとでも思っているのか、勘違いも甚だしいな、と。

 食っていける才能、将来にまで食いっぱぐれない己の力量。いろいろとさておくとすれば、それは食物を咀嚼して飲み込み胃袋で消化して腸で栄養をこしとり老廃物ごと肛門から排出する一連の行為が基本であるといえます。小さい声で言えば、生きていることに感謝して謙虚さを忘れない才能が何をおいても生きていくうえで大切だと思います。ただ欲望のまま行動すると感謝よりも快感を欲して意思決定していくのでよくわからなくなります。

 ショーハショーテン!の第一話はネット上で無料公開されており、何度でも手軽にみることができます。