マスプロダクション、英語で書くとmass production、規格に沿った製品を大量生産することです。ショーハーショーテン!の最新話では椚と泥谷との確執が主題となっているので気にも留めなかったのですが、椚が太陽に説明した「芯を食わないレッテル」貼りは笑いを生まない、なぜならお笑いはどこまで行っても共同作業だから・・・という内容は、読んで数日が経ったいまになって気になり始めています。

 芯を食う、と言ってもこれは言葉の単純さから感じるよりも非常に厄介そうな話題で先に書いておきますが、上手く説明できる自信はありません。とてもナイーヴな所を突きそうで、・・・・泥谷は椚から傷つけられたと認識しているはずですが、同じように自分が椚を傷つけてしまっていたと自認していると思います。コミック第1巻で畦道の家族(特に父親)を描写することで他人から軽んじられる、笑われ者になることは決して良いことではないと読者に提示していますので、・・・・・・・人前で笑いを取りに行く気恥ずかしさと自負心はとても傷つきやすく、自分で前に進む動機を他人のせいにすることは本当に醜悪なのですが、それで人を笑わせるのは心に澱を溜めていく行為にほかならず、とても健康にいいとはいえません。笑いを生むために自分以外の人に某かを要求し、笑いという形で吐き出すことで対価を要求する。おれをみて笑ったのだからおまえは———

 (くどいくらいに注釈がひしめいている十五少年漂流記サクラ大戦の解説本、特に世界観に病的なまでの追い込みをかけている本が売っていないものか……)

 手軽に安く、サクラ大戦の3と4を遊ぶにはどうすればよいのか。ヤフオクドリームキャストを買えばいいのか・・・? 中古ゲームソフトは高騰していそうだしなあ。PC版があるのなら、我が家には古いノートパソコン(ウインドウズ7)があるので動くならコレが最善だと思われる。ダウンロード販売がきっとあるだろう……と思っていたらなかった。だめだこれ。ドリキャス本体と中古ソフトを探してみるか。そして十五少年漂流記、話全体の五分の一ほどしか読んでいない。誰に共感して読むかも決まってなく俺は温い人間です。

 話が変わりますが、ストリートファイターⅡ´(ダッシュ)でベガを画面端に追い詰め、本田がベガの目前に大百裂の壁を置くと簡易詰め状態となります。ベガの地上技は(必殺技も)立ち位置から数ドット前のめりに喰らい判定が出てから攻撃判定が発生するため、大百裂を目前に置かれると一方的に百裂のビンタを喰らい間合いが離れても本田がジリジリ前進してくると振出しに戻る、という戦法があります。間合いが少し離れていればベガの立ち大パンチで百裂を一方的に潰せます。ベガがジャンプを試みてもやはり喰らい判定が数ドット前に出るせいで百裂ビンタの餌食になります。おそらく百裂を喰らった直後にベガ側がきちんと対処すれば簡単に反撃できるだろうと思いますが。

 自分がベガを操作していて画面端で大百裂を目前に置かれた場合、一番スマートな対処方法はしゃがみガードをすることです。しゃがむと喰らい判定が前にでるので100%ガードが成功し、必殺技をガードすることで間合いが大幅に開くのでベガのターンとなります。

 スト2のキャラで基本技(コマンドとタメ、連打系を介さない技)のみでケンカを始めると、まず必殺技のケズリが発生しないのでジャンプ攻撃をしてきた相手を対空基本技で落とす行為が基本となる…? 従って強い対空技のないキャラは防戦一方となり、投げor下段攻撃の地味~な攻防になりそう。ダッシュのシステムで妄想しているので投げ受け身はない。よって投げ間合いの広さが決戦要素となり、本田は相当に有利なキャラとなるだろう。楽しくはないが。

 本田の楽しさはしゃがみ中パンチがギリギリ当たる距離(≒リュウケン波動拳の出かかる所を止められる、ザンギの大足払いを一方的に潰せる、ダルシムのスライディングを止めてしまう、ガイルの中足払いに反撃しオカマキックで転ばせる、等々)からの立ち小・中パンチから小百裂、つかみ技への移行、投げて大百裂でケズる……と、単純に前進して端に追い詰めてケズって殺す(or投げて殺す)が完遂できたときが楽しかったです。小百裂の発生速度とリーチが反撃能力を上げる(ジャンプ逃げ阻止)ので対戦相手には悪いことしたなと思いますが、おとなしく観念して画面端で沈んでくれるとやったぜと思いました。ザンギにはしませんでしたけど。大百裂とベガの立ち大パンチキックの相打ちほど気分爽快、ストレス解消、かつ笑いがでる効果音はない…。

 そしてまたらーめん再遊記の話になります。一人のラーメン馬鹿に戻った芹沢は気の赴くまま行動していますが芯はなにかというと、ラーメンの形式、流行っている店の盛者必衰を見てまわって、自分でも知らなかった強いラーメンに出会いたいという欲望を心に飼っている、ということです。全盛期の幕之内一歩と出会ってトレーナーに転身した沢村みたいな奴ですね。常識がなさそうであるので千堂っぽくもある。一歩沢村千堂とくるとヴォルグを出せ(ザンギ繋がり…)と俺の中で誰かが叫ぶ。

 納得感のある敗北、負けて尚得るものがあったと思える対戦。

 一歩は被弾しまくる主人公だったので沢村戦は完全に終わっているカードでした。幕之内一歩の突進を止めるジャブ、ジャブのみでKOを奪える拳質、相手のパンチを見てから先当てできるハンドスピードと、100回戦って100回幕之内が負けるダイアグラムです。よしアニメを見よう。アマプラだと第3期の一話のみ無料視聴なのでかえって欲求不満が高まるという罠。

 話がグダってしまい、どうしようもなくどうでもいい気分になった際に最も良い解決方法は最初からすべては解決していたと他人に言ってもらうことです。考えてみれば物事には必ず始まりと終わりがあるので終わんねえぞこれと観念したら、「馬鹿野郎、はじまってもいねえよ」と誰かに言ってもらえば万事解決します。

 手を動かして料理(材料の下ごしらえから始める料理)をしたことは家庭科のカレー作り以来ないような気がします。一人暮らしをしていた時は焼きそばをフライパンで調理して食べていましたが、同僚からは「それ料理?」と言われてショックを受けたので包丁を使えど皮をむかない炒め物は料理ではないのです…。(豚肉とキャベツと焼きそばのもとを炒めるだけで、多少のトッピングがあろうがなかろうが明日の生活の活力になるならなんだっていいわいと食っていたのだから、律義にショックを受けるほうがどうかしているなと今なら思いますね)

 ラーメン再遊記の新刊が明日28日に出ると聞いて電子書籍版を購入しようと思っています。雑誌の掲載作品は追っていないのでとても楽しみです。再遊記の1巻はかなり読み返しているのですが、読んでぼけーとしていると米倉が面白い奴だなと最近思うようになりました。芹沢をして「今の俺じゃあとても勝てる気がしないな…」と素直に言わせる実力者で、食材の良さを生かし抑制した味付けで細部が磨き抜かれたラーメンを創ると評されています。再遊記の1巻は芹沢が主人公ではあるのですが、芹沢の反骨心は見る影もなく衰えており米倉の登場がなければ落ちぶれたラーメン屋で瓶ビールをすする中年男の話がはじまって終わらないマンガとなっていました。昔はあれだけかっこよかったのに本当につまらない人になってしまってがっかりですよぉ~。これってニューウェイブではなくてオールドウェイブではないですか?

(この場面を読み返してみると、「オールドウェイブ」発言の前に酒の力を借りようと、若しくは酒の席の発言と予防線を張るためにアルコールが入ったグラスを手に取る米倉はすこしかわいいですね。そして汐見は決してかわいくはない……)

 はじめの一歩の単行本51巻を購入してあらためて読んでいるのですが、本当にこのマンガは読んでいて楽しいです。キャラのヒエラルキーでいえば鷹村が理不尽大王なのは誰もが知るところですが、この巻で一歩も大概だと皆が認めたうえで、どこまで行く気でなんで前に進むのかと小橋に問われるシーンは忘れることができない名シーンだと思います。その直前に地球上最強を達成してしまったオレ様(鷹村)もボクシングを引退するべきか(モチベーション的に)限界なのではないか…と悩みを吐露する場面があって、本当にどうでもいいですね。

 ゲーム攻略本の中古を買い集めるのが好きで、東日本大震災が起きる前くらいまでは中古ゲームショップの攻略本コーナーで立ち読みをしては、値札シールの価格と相談して本を購入していました。定価よりも格安で、カラーをふんだんに使った本を好きに買えるのは快感で、プレイしたことのないゲームを想像してその攻略内容をレイアウトして本にまとめるという妄想を楽しんだうえで本を選んで買えるのは禁断の喜びでした。商業性を無視した市販されている攻略本は存在しえない、というのもポイントが高く間違って世に出たゲームがあったとしても、クソオブクソな攻略本は出版されるものなのでしょうか。

 当事者でしか分からない、当事者すぎて判らない……

 らーめん再遊記で一番好きなキャラクターは夏川なんですが(書いてしまった)、思えば彼女は他者への憧れの感情がピンボケしていないという稀有な美点があります。この文章の最初に書いた「大量生産」はこの文章を書いているわたしが一、二を争うほど好きな言葉で、大量に生産するに至ったからには、大量に生産する背景が必ずあり、まあ楽してぼけーと生きたいと日々願っている私にとって、材料と生産プラント、需要と供給、一気にガッと儲けたいと野心を燃やしている投機家がいればおこぼれにあずかって楽したいと思っているわけです。夜、布団のなかに入って温い体勢でなにをするかといえば妄想をするわけですが、楽してぼけーとしていい目をみたいと思えば、それは勝ち馬に乗る過程をリアル(夢の中……)に想像しようと努力するわけです。つまり、皆が懸命に努力して幸せになろうとしているなか、渋滞していない幸せルートがないか考えて、かつ面倒なことは他人にやらせることで最短ルートでウホウホのガハガハな未来が手に入らないか想像するのです。

 はじめの一歩でリング上で罵声を浴びるキャラといえば鷹村ですが、他人からほぼ際限なく罵声を受け続けるという環境は想像しにくいものがあります。よほどの変人でない限り、その場から離れますからね。

 これは想像なのですが、十万回学業をやり直す機会が与えられたとして、卒業する度に学習成果を持ち越したまま小学生からリスタートすることできれば学問をよりよく修めることができるのでしょうか。チート能力として学業道具一式もなぜか持ち越せる(ある程度の分量までノートの内容を時空を超えて持ってこれる)おまけつきで。

 ドラえもんの登場キャラで感情移入しやすく、一番ノリノリで書けそうなキャラはスネ夫です。スネ夫のいい所は自分をよく見せようと外見をやたらと気にする所だと思います。まあキザで嫌味で自慢ったらしいので、よほど周りの人たちの心が広くないと集団でボコられそうですが、外面をよく見せようと神経と頭を使って自分を主役にしようと演出するのは頭がよく常識がないと成功しませんから、あれは大した男だと思います。私自身はこれっぽっちも衣服に気を回さないので、フォーマルな場で場違いな恰好をしないか数年に一度は冷や汗をかいて早々に逃げ出しています。理想をいえば汚れてもいい格好で仕事をして、お湯の心配がいらない環境で風呂と洗濯を楽しんで酒を飲んで寝れたら最高です。お湯といえば瞬間湯沸かし器を初めて見たのは中学か高校のころで、住んでいた場所の気象観測データを調べても中学のころの年平均気温がちょうど最高、最低ともにV字グラフの谷間だったようで、そりゃあ寒かったはずですよ。スイッチを押すとすぐにお湯が出る経験は、子供のころ冷え性でしもやけだらけだった自分にはかなり衝撃的でした。

 なんとなく格好よさについてぼさぼさと書いていますが、世間一般では芸能人や一流スポーツマンがかっこいい人物のフォーマット像といえるでしょう。わたしもそう思います。自分とは縁がないと割り切れるので、すげーなあかっこいいなあとテレビを見ながら煎餅をかじって見ていられます。ここで格好良さの価値化、数値化、格付け化と他人の異論は認めないと光の速さで事を進めればしかないな、とぼけーと思います。見られる側の短命と長命の差は、見ていて飽きない・・・・・・・・・・・・ラーメンハゲの言うところの万人の形式、飽きのこない存在と、他と差異が明白であるという自明性をバランスよく持っているかが重要なのではないでしょうか。型を重視しつつマンネリはイカンと好きなことを言っています。おそらく誰にでもある経験だと思いますが、映画やマンガ、アニメ作品などで作品全体の感想としては「凡庸」の一言で終わってしまうのに、ある一場面の絵面が忘れられず、何十年も経ってから見直したらストーリーは忘れていたのにそのシーンだけはしっかり覚えていた、なんてことはないでしょうか。わたしは思うのです。奇跡が起きて忘れられないシーン(その人の感性に焼き付くほど価値がある構成の絵)が開幕から終わりまで続いたとして、その作品は名作とたりえるかと。わたしは「たりえる!!」と断じたいのですが、経験上からいえばそれはファンサービス、ろうそくが燃え尽きる前の最後の炎であって、そんなものがメラメラ燃えていたら現場はヤケクソなのではないかと疑います。価値はある。だが普通ではない。

 勝手に盛り上がってきたぁ~ッ!!

 TBS系で毎週放送されている『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』、面白いですね。YouTubeで散々ハサウェイのPVを見て「眼鏡のそばかすの娘は可愛いなあ」と思ってましたが、TV版2話を見て『なんでそっちに逃げるんだよ!!』の名言を大音量で喰らったので鞍替えしました。背のでかい姉ちゃんはいい!ヒュー

 かっこよさ、と大の男がたじろぐ場面。雰囲気とこいつアホなんじゃないかと諦観が混じる感情。特に衝撃的なのが結局は雰囲気・・・・・・騙されているだけなんじゃないかと正気に戻った時におまえどうすんの?と。

 いつも心に武田のオヤジを。さっき頭の中に浮かんだフレーズですが、0コンマ3秒後に『Dead or alive!!』と心が叫んだのでそんなもの飼うくらいなら死を選ぶわと即断しました。閃光のハサウェイの3話の放送は本当に楽しみなんですが、同じくらい心情的に警戒しています。私はザンボット3をリアルタイムで見たことはなく、なぜか子供向け絵本でファーストコンタクトをした口なんですが(主題歌のソノシートが付いてきたのでオープニングソングはクッソ繰り返し聞いた)成人してからザンボットをビデオで見たときはオープニングの『ザンボット3!!』連呼にはっきりと恐怖を感じたので、あ、これはきちんと見てはいけないアニメだとカッコで括っています。ガンダム作品全般もだいたいその口で、富野監督の成分が濃さそうな場合は心情的にかなり遠ざけて視聴しています。

 アマゾンから注文していた本が届き、ペラペラとめくって読んでいます。逆シャア友の会なんですが。恐ろしすぎてチラっとページを見ては本を閉じ、各界の著名人が富野監督のことを好き放題言っています。令和の世に一人の人間をサカナにここまで言いたい放題なのは許されるのでしょうか。

 で、このブログを書くのも終わりにしようと思います。読んでいてくれた方がいたのかほぼ分かりませんが、やるべきことは見つかったので手に入れようと思います。

 ご自愛ください。失礼します。