(前々回の続きから)

 

 キャンプ初日はしずかが提案した本物の深海魚を観賞するツアーを楽しんだ一行であったが、二日目にはドラえもん自らがマリアナ海溝探検を企画し、のび太たちを地球最深部(full depth)フルデプスへと誘う。人類がマリアナ海溝への有人探査に挑んだのは1960年1月、アメリカ海軍に所属するトリエステ号が初めてだ。深度1万mの深海では想像を絶する水圧が全方位から襲いかかる。指先ほどの面積に1トンの水圧がかかる…というのだから人間が行っていい場所ではない。分厚い金属で作られた耐圧球で人体を保護し、アクリル製の窓から深海の様子を観測したという。

「どんなに困難でも人間は知らない場所への挑戦を続けてきたんだ。これから行くマリアナ海溝も未知への情熱と危険への用心深さを兼ね備えた人たちの歴史があって、初めて到達できた場所なんだよ」

 バギーを運転するドラえもんマリアナ海溝へ挑んだトリエステ号の話をのび太たちへ話して聞かせた。

「もちろん君たちはテキオー灯の効果で深海でもへっちゃらだけど、これから行く場所は人間の知恵と勇気が大自然と格闘してやってこれた場所なんだって知っておいてほしい」

《深海ノ過酷サヨリモ、未来ヘノフロンティアガ深海ニハアルコトヲ説明シテホシイデスネ

 機嫌よく話をしているドラえもんにバギーが割って入る。もとより海洋レジャー用途として作られたバギーは、AIの当然の欲求として搭乗者に海の知識を聞いてもらい余暇を楽しんでもらうガイドとしての本能がある。ジャイアンスネ夫は絶対に信じないだろうが、バギー最大の喜びは搭乗者に自分の海中ガイドを聞いてもらいドライブを満喫してもらうことなのだ。しずかたちを乗せてマリアナ海溝をガイドする機会を失ったバギーはドラえもんに未来デパートで購入されて以来、二番目に機嫌を悪くしていた。バギーは自覚していないが、トリエステ号という二世紀前の深海調査艇にまで嫉妬していた。深海の人類への有用性(フロンティア、人類の未開拓地)と高らかに謳ってはいるが、マリアナ海溝の入口で留守番をする羽目になったことの愚痴をバギーなりに韜晦した台詞なのだ。

「…………」

 出発前にチャレンジャー海淵まで一緒に連れていけと催促され、探検の気分に乗らないという理由で断ったドラえもんはバギーの面倒くささに閉口した。ただのおしゃべりではなくプライドが高く傷つきやすい。のび太並みに自尊心が高いが、出木杉といっしょにいるしずちゃんと遭遇するのび太並みに面倒くさいのび太ならしずかとの仲を取り持つのもやぶさかではないが、バギーの機嫌をそこまでとるのは……。

「クリーンエネルギーの話は——」

 ドラえもんが話を変えようとバギーに話しかけると、しずかがスッと話をつないだ。

「深海にどんな未来があるのかしら。知りたいな。バギーちゃん、教えて」

 アクセルを踏み込んでもいないのにバギーの巡行速度が上がったかと思うと、バギーは海洋温度差発電と海底都市の可能性と人類の進歩について嬉々として説明をはじめた。しずか以外には本当に拷問のような時間が過ぎたのだが、バギーの機嫌はどうしようもなく上がった。ジャイアンスネ夫のび太も、バギーがレジャー用途のAIであることをこの時に嫌というほど知ったのである。