前記事がipadやiphoneで読み込むと文末まで表示されない現象がまた出てしまい、記事を繰り越しました。
古典部シリーズの原作をつまみ食いして私が思うことは、千反田えるの行動には責任とある種の自己犠牲が付きまとっているなということです。まさかとは思うのですが、千反田家と関谷家の力量バランス(関谷純の名は極々一部の反動勢力、革新派からやり玉に上がるので、伝統を重んじる人々から見ると目の上のたんこぶ以上の厄介者であったことだろう)に千反田えるが政治的に利用された可能性すらあります。狭い狭い町のなかの出来事ではありますが、伝統を大切にして将来的に成長していくためには、若い者に責任を与えて先祖たちの苦労を偲ばせ、未来に躍進するための知識を学校で身につけさせなければなりません。「なぜ伯父は泣き叫ぶわたしを見て怖いことを言ってごめんよと慰めてはくれなかったのでしょう」「なぜでしょうか折木さん」 「それは簡単なことだ。お前の伯父は、撤回できないことをお前に話したんじゃないか。泣く子を相手にも、いまの話は嘘だったって言えないような肝心なことを伝えたんだろう」「(ふつうに考えてそんなことを言うのはよっぽどのことだ。関谷純という人間と千反田という人間の間にある関係を、赤の他人である俺が立ち入るようなことはできない。・・・はずだ。)」——とはならなかったのは、原作、アニメを読んで見た者ならだれでも知っている話です。結局折木は関谷純に大きく肩入れすることになるのですが、スーパーお人好しが炸裂する(関谷純の悲鳴が聞こえたとして、ある種の自業自得ではないかと我関せずを通すこともできたし、姪の千反田への関谷の不器用な愛情を感じたとしても集団心理の冷徹さを幼稚園児に教えるなんて度が過ぎている。結論として関谷純が背負った薔薇色を折木は激怒したのだが、折木が持つ薔薇色への愛着と憎しみに一定のお人好しの善性が隠されていることに賭けた千反田えるは、とんだギャンブラーだといえる)のを千反田は見越していたのか、気になるところです。千反田がはっきりと怒りを表に出すことを見た事がないと古典部内で話題になったことがありますが、折木が内心で傲慢、慎むべしと念じたように、千反田が傲慢に染まりきる可能性はあります。きっといい人に違いありませんと(根拠なく)人を信じるのはいいことではないからです。罪を憎んで人を憎まず・・・。伊原が千反田が折木に染まっていくのは断固として阻止する!とシュプレヒコールをあげる(有無を言わさず福部里志は巻き込まれる)のは見ていて楽しい。「摩耶花だって好きなマンガから影響を受けたりするじゃないか。千反田さんがホータローからいい影響を受けるのだって——」「————!」「折木は黙って」「いいや、黙らない。伊原、お前は里志が俺とお前の好きなマンガを同列に並べたのが気に入らないから今立ち上がったんだろうが、なら、俺もお前たちに言いたいことがある」「後で聞いてあげるから今は黙って・・・って言ってやりたいけど、いいわよ、聞いてあげようじゃない。わたしはあんたと違って自分のことが大好きだし好きな人やマンガのことははもっと大好きだから、弱い折木を許すことができるってわけ」ふくちゃんが間髪をいれずに叫んだ。「ガンジー! かっこいいよ摩耶花!」ふふ。もっといってふくちゃん。・・・・・・・・・・ガンジー? 古典部シリーズ3作目『クドリャフカの順番』の前に米澤穂信は別構想の3作目を出す予定だったとネットで見て知り、さよなら妖精を買って読むかどうか思案中・・・。ユーゴスラビアといえばサッカー選手のドラガン・ストイコビッチ、しか知識が出てこない(愛称ももちろん知っている)。ユーゴ内戦も聞いているが、あえて近づきたいとは思わない。福部里志はこだわりたいがこだわらない…。水戸黄門、第29部(石坂黄門)を再視聴する機会が、実質BS-TBSの再放送を見るしかない現実。私がイーロン・マスクならTBSと東映にソフト化を迫ろう。第29部第一話から見て、従来の水戸黄門フォーマットを大胆に崩してきたのは明らかで、とにかく状況説明セリフがそれまでの黄門と比べて多い多い多い。時代劇は様式美なので最後には必ず決着するはずなのですが、悪を懲らしめて終わり、というフォーマットを崩しに来ているので視聴者に「ついてこれるか?この新しい黄門に」といらん緊張と覚悟を求めてきました。穴掘って自分で落ちる馬鹿は見ていて楽しいので嫌いではなかったのですが、ウケなかったですね…。ソフト化を求む。千反田えるが人の悪意を見ようとしないのは、伯父の関谷純が薔薇色の高校生活に反旗を翻すことをせずに神山高校を去った事実と、文集「氷菓」に残した積年の思いを姪の自分にだけ告げた現実に答えがだせないからでしょう。伯父の優しさは悲劇ではない。わたしの推測でしかありませんが、折木供恵と千反田えるは関谷純の神山高校での去就を巡って心情的に対立しているのではないでしょうか。福部里志が道化喜劇に興味をそそられ手を出してしまったら、この日々、きっと十年後毎日のことを惜しまないと言い切れるのでしょうか。折木奉太郎は力のタロットカードの啓示を受けていると里志はからかっていましたね。『ふつうの軽音部』で鷹見はたまきの舎弟になればいい、とわたしはからかったのですが、その流れでいうと伊原は糸魚川教諭に関谷純に纏わる学生運動の、おもちゃを取り上げられた子供の狂騒とその矢面に立つ人間の苦労話を聞いておくべきではないでしょうか。なんの益もないのですが、千反田の痛みと悲しみは今のままでは折木にも伊原にも福部にも理解されることはない。千反田本人もどうしてこんなに苦しいのか、わかっていないはずです。プライバシーを人に言いふらす趣味はないと孤独を気取るのに、ここぞと見込んだ相手には秘密を打ち明けて手玉に取ろうとするのは褒められた仕草ではない。やられたことを他人にやり返して精神的な満足を得る。端的にいえば復讐です。糸魚川が関谷純に感じていたであろう後ろめたさは、「なぜ復讐をしなかったのですか。わたし以外に」。まあわたしに害が及べば兎の一羽として皆と一緒に、先輩を生贄にするのですが…。争いも犠牲も、先輩のあの微笑みさえも、全ては時の彼方に流されていく。(中略)いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。折木が「氷菓事件」でらしくなく怒りに震えたのは、関谷のなけなしの復讐が文集氷菓の表紙に留まっていた事実(実害など皆無)(メタ的にいえば「鏡には映らない」事件の首謀者である折木には関谷純にすべてを見透かされていたと感じたことだろう)に、シンパシーを感じていたからでしょう。こいつ、意外と面倒くさい男だな・・・。折木供恵はわたしの妄想の中では「勝てばよかろうなのだー」と弟の前で開き直っているイメージなんですよね。『優しい英雄』でしょ?関谷純。あれも悲劇よねー。いやだったわー。そんな暇はなーい!じゃね! ・・・・・・・・・・・・・・・。「ところで折木君にはお姉さんはいるかしら」「ええいます。神高のOGで五つ上の(姉が)」「そう。やっぱり姉弟ね。似ているわ」「・・・伊原たちを呼んできます」「ええ。約束の時間に会いましょう」 勝てばいい。勝つ算段はなによりも貴い。期せずして福部里志のこだわりとこだわらないことの決算を千反田が外的要因によって迫られており、古典部シリーズは長い休日に入っている。折木供恵に相談すれば、「この世の中には二つの流儀しかない。やるかやらないか。決めるのはあんたよ」となんの役にも立たないアドバイスをしてくるのではないか。探偵は己の欲する所業をためらいなく実行するので「やるかやらないか」と悩む人種では、基本的にない。汚職をしない権力者はいないのと似ている。蕭何が若き日の劉邦を「彼は嘘つきのゴロつき。客人として迎える価値のない男です」と断じて世の中にはいらない人種だと思っていたのに、後に生涯の君主として仕えることになった話は好きなのです。折木供恵が劉邦と似ているといっているわけではない。若き日のガンジーも「やるかやらないか」ではない、古典作品を読み未来の誰かのために行動していたと、先日のEテレの番組で放送していました。非暴力の抵抗運動の根っこが古典作品から生まれていた・・・。福部里志が古典部と折木奉太郎を前にしてじっとしていられるかというと、無理というものです。摩耶花が福部里志を好きと断じて揺らぐことがないのも古典部シリーズ内の大いなる謎なのですが、単純に「好きなことを好きだという人が僕は好きなんだ」と福部が言っているのを聞いた摩耶花が一方的に福部を好きになったのでは。その辺りは千反田が気になっているはずなので必ず読者に明かされることだろう。折木の省エネ主義は、どうしてもやりたいという欲(強欲?)を天敵とする。やらずにすむことをあえてするのであれば、それはエネルギーの過剰消費というものだ。ネットで散見できる古典部シリーズのキャラや謎の独自の深掘りは読んでいて時間を忘れるほどに楽しい。神高の数学教師尾道と千反田との確執に折木が想像し驚き納得しかけて自戒する一連の出来事に、読者として思いをめぐらすことはとても楽しい。愉悦といっていいだろう。伊原がムッとするポイントには折木奉太郎は一日の長がある。折木がぼーっとしていて(無秩序に発生する)伊原の不機嫌を福部があやして「(どうしてふくちゃんは私の気持ちに共感してくれないの)」とさらに事態が悪化するのは、千反田える部長時代の風物詩といってよい。折木ゆるすまじシリーズは糸魚川の笑いのツボを激しく衝くことだろう。「私には許せないものが二つある。作品を見もしないで世間の評判から駄作と決めつける人たちの傲慢さと、私の意見を聞いた上で自分の意見を曲げようとしない折木。折木のくせに・・・」糸魚川先生はどう思いますか。「え。真面目に答えないといけないのかしら・・・」罪のない犯罪は刑法でどう裁いてきたか。ハンムラビ法典に沿って考えれば折木君が伊原さんにあまり関心がないことに起因する人間関係のトラブルなのだから、伊原さんが折木君に対する過剰な関心を取り払うことで報復合戦を防ぐことできる、と伝えることが教員である私に課せられた理想的な答えであると思われる。青春の火種にガソリンをぶちまけるがごとき思考ではあるが・・・。古典部の平和のために武者小路実篤の言葉を引用して伊原さんを煙に巻くのが次善かな。福部君は古典部にとって得難い人材ね…。何事も楽しむ精神は炊飯釜にこびりついたお焦げみたいに、古典部の伝統だから。 折木供恵の後に古典部の部員が消滅していったのは、いったい何をやらかしたというのだ。素行不良な神高教員の身辺調査をしてその報告書を配布したとか…。放っておけば事態は悪化することはあっても、好転することはない。 欲深で嫉妬深い人間(そして嘘つき)は始末に負えないクズですが、人を見る目と欲望を達成するために必要な大所高所を兼ね備えている人間は不思議な魅力があります。己をためらうことがないのは成功すれば美談なのでしょうが、それは粛清によって磨き上げられた物語ですからやはり唾棄すべきものです。蕭何と劉邦には、個人的な人間の好悪と長期客観的な視点がたまに発生するのが楽しい。蕭何は自分と一族を漢帝国に捧げ、神を祭るために劉邦を供えている感があります。野球でいえば審判を買収するのが蕭何で、観客を味方につけるのが劉邦。大事なことは観客を楽しませることなので審判が馬鹿であっては困る。曹参のいう「蕭何の決めたことに変更点はない」は、突き詰めれば劉邦という男の治世の肯定、万人の視線の先にある皇帝の肯定(死すべき)。球場の中の出来事であれば狂気の謀略も法の範疇ですむ可能性がある。そうあってほしいものだ。場外乱闘はしないでねと言っている。「放逐」という言葉を検索してみると「追放」と同じ意味と出てくるようだ。関谷純が神山高校を去るにあたり古典部部長の権限をフルに使って氷菓創刊号を退学する前に刊行しているが、折木たちはその創刊号を目にしてはいない。きっと祭りが終われば放逐されるであろう人間の心理なんて想像できるはずもないが、過失はあったにせよ故意ではない学校公共物への取り返しのつかない破損行為は生徒側が起こしたわけで、関谷純が肝っ玉の強い男ならまあ済んだことは仕方がないと思ったのではないか。死傷者も出ていないわけだし。次の古典部部長に関谷が指名したであろう郡山養子は絶対に納得していなかったようだが。寒村の寺小屋に甘んじてはいけない、と当時の神山高校助校長の英田は神高教師陣に発破をかけて、そしてまんまと自分の体面を潰してくれた生徒代表の関谷が驚くほど従順で物腰の柔らかい人物だったことにどんな感想を持ったことだろう。そりゃ「担がれたな」と思うでしょう。歴史にifはないけれど関谷が退学ではなく数ヶ月の停学処分で済まされた場合は果敢なる実行主義による権力主義者への抗議とその輝かしい戦果は全て関谷純の手腕の賜物だったことになり、英雄は皆に祝福され号砲を鳴らされつつ神高へ帰還することになった…わけです。関谷はともかく、郡山がその茶番に耐えられたかどうか。氷菓創刊号は関谷の退学処分が決定する前に準備され刊行されているので、穿った見方をすれば神高教師たちから古典部の文集は検閲され、取引の後に発禁処分になった可能性はあります。古典部の存続を報酬とした事態の黙秘を関谷に求め、文化祭日程の維持と関谷自身の体面の確保。英雄として友達とお別れができるよう配慮する。笑える要素が何もない。関谷純を取引の材料としてしか見てない人間に囲まれ、『優しい英雄』は自主的に全生徒の盾となり神山高校を去った、より充分な説明を想像するなら、全教師の生徒保護者たちへの面目を立てる(生徒の自主性を尊重し、大人としての責任を果たしたと社会に説明できるだけの行動をしたと)人身御供として関谷は立派に行動した。現場の生徒の声として、関谷ほど明晰に現場を説明できる人間はいなかっただろう。期待以上の活躍。火でもつけるか?(タバコにね) アニメ『氷菓』では小説の中の表記で「相手の目をみつめて」「目をみはって」といった、相対する人物の値踏みをするようなシーンでは意図的に避けて表現しているようです。いやいや・・・。入須と奉太郎のシーンはそんなことはなかったような気がする。郡山養子、現・神山高校教師で図書室の司書である彼女が伊原をなんとなく気に入っているのは、分かりやすい正義感と分かりやすい嫉妬心を隠そうとして隠し切れていない、お尻が見えている狸みたい(雉)だと思っているからでは。未読ですが、『さよなら妖精』のヒロイン、マーヤが折木たちの前に現れていれば、福部里志の知的興奮はとどまるところを知らない状態となり、伊原の精神状態は化学実験のフラスコ内のように予見ができなくなったことでしょう。駆け抜ける嵐。藤子・F・不二雄のエスパー魔美なら高畑くんが命に代えてヒロインの矜恃を守り抜くのですが、ここは米澤穂信の世界。基本、矜恃は等価交換の法則に則り命よりも重い。つまり誰にも守られない。ガンバスターのキックがバスターキック、スーパーバスターキックなのが米澤穂信で、イナズマキック、スーパーイナズマキックなのが魔美世界の藤子・F・不二雄。ヱクセリヲンを土台として貫くか止まるかで世界が決まる。神山高校にSF研はSF研究会は存在する。太田中佐がヒロインだといっているようなものだ・・・・・・・。魔美の母親と高畑は「人間の姿形をしている異分子」に対するアプローチに違いがあり、雪女事件(雪の降る街を)では魔美の父親、佐倉十朗は妖怪女に恋をしたかと美大仲間にからかわれている。半径5メートル内のすっ裸の攻防(精神的に)を娘に見られる十朗は、かなりおいたわしい。十朗の友人の「おい聞いたか!あの雪女、明日、郷里に帰るらしいぞ」(うろ覚え)は折木供恵も比較にならないほどに、なぜおまえが知っている案件…。魔美も男の言を100%信じるので見ているこっちが信じられない。有無を言わさずその通りらしいと話が進むので(その通りらしい!)確かな感動がなければ気になって話が頭に入ってこなくなるだろう。いいお天気ですね! 雪が降っていますけど・・・。 この話は名曲「雪の降るまちを」のサビの歌詞である「新しき光ふる鐘の音~♪」と親子3人と一匹でハモるラストが美しく、感動的です。アニメ版の声で忘れられないのは十朗の友人の声を当てた人物です。アマプラだとオープニングとエンディングを切られて配信されているのですぐにはわかりません。絶対に外す自信しかありませんが、これは当ててみよう。・・・美味しんぼの谷村部長と声が似ているような気がするなあ。違う気もするが。ウィキペディアをみると当たっている? うー。 魔美の母親(になる前)であり十朗の妻(になる前)でもあると視聴者は知っているので違和感がないようですが、夜の公園、寒い日の雪が降る人気のない通りで、明らかに自分を待ち構えていた男からボタンを投げつけられて「今日はいい天気ですね」と声をかけられたら、まあ絶叫して走って逃げます。そうしなかったのは予め佐倉十朗という人物のことを知り得ていたからに他なりません。だとしてもですよ、十朗の友人から「俺はちゃらんぽらんな男だから説得力はゼロかもしれないが、一度あの男の話を聞いてやってくれ」と見ず知らずの男から頼まれて夜の公園に出かける魔美の母親の豪胆さには舌を巻きます。「佐倉があなたに見惚れてから今日まで一年間、ただ眺めてため息をつくだけの腰抜け男だったが、あいつほど心根の優しい男を俺は知らない。この通りだ頼む。お願いします。今日会いに行ってやってください」 ——氷菓事件の解決パートで糸魚川養子は関谷純の優しい英雄の真実を話し出す前に、折木の人物像を確認するかのように「じっと見た」。折木と千反田が関谷純を「撤回できないことを話すなら、たとえ相手が泣き叫ぼうといまの話は嘘だったとは言えない」人物だろうと意見が一致していたように、糸魚川は関谷純よろしく真実を話す算段を確認したのではないか。失われた氷菓創刊号のことを聞かれたら糸魚川はどうする気だったのだろう。もうだれも興味がない、初めから大して好かれていたわけでもない、ただ当人たちだけで盛り上がってしまった状態だったとしたら、今さら表に出したところで意味はない。神山高校助校長の英田の学力重視宣言もエスパー魔美側から眺めると創立以来の天才であろう高畑のような生徒からは眠たい宣言に見える。つまり大騒ぎする理由がない。個としての学力が母体の魅力を底上げするか、高畑はおよそ興味がない。「学園暗黒地帯」で高畑がガラにもなく身体の危険を冒して暴力と謀略が大好きな連中に説得を試みたのは、所属する団体の名誉のためではない。魔美の母親が高畑の無鉄砲さを聞けば(アホだなと思いつつ)好感を持つのではないか。魔美はさながら高田の馬場に駆けつけた堀部安兵衛ですな。アマプラで見られる高田馬場の決闘を見れるだけみるか・・・。忠臣蔵まで広げるとFateでセイバーのマスターで四十七士ゆかりの品を持っていれば47人の堀部安兵衛を演じた役者が出てきそう。食費で死ぬ。堀部安兵衛、1936年の黒川弥太郎主演の映画は見ていてとにかくツライ。浅野の殿の前で大酒をかっくらう中山安兵衛(中山の家の名は絶対に潰させないと、男と男の、武士と武士との約束を義父堀部弥兵衛としている。)のシーンが見ていてお辛いので視聴を中断していますわい。民衆のヒーローとして本人はまったく意識していないのだけれども、長屋の連中がいてくれてこそのこの俺だ!と、愛嬌だけは通常のサーヴァントの5倍以上のゲインがあるんだよなぁ・・・・(イラネーヨ)。大石内蔵助の苦労が大変に偲ばれる。きっと飲み代も自分の懐から出してやったんだろう(そして感謝されない)。万人から大石内蔵助をやってくださいと懇願されても、私は突っぱねる。江戸に来て遊興三昧をしていた大石を殺意の視線で見ていた安兵衛たち(弥兵衛の心労は極まる)を想像すると侍なんかにはなりたくないですな・・・。美味しいところだけ見えるものです。歌川国芳も近寄りたくないほど屈折していますよ。アップデート堀井は疑う余地がないほどにキレ芸芸人と思われます。ハトノが近寄りたくないのは必然。キレて親しい人の首を絞める現場を目撃したら辛い。矢賀が堀井を推して推して推しまくるのは、屈託と屈折のブレンドが使命によって上書きされている人物と見込んでいるからでしょう。そんな人間がこの世にいるのか・・・? 15代武蔵川はほとんどテレビに出てこないので、武双山や雅山に会える機会があれば、どんな先輩だったのか聞いてみたい気もします。恐れ多くて自分の口から言葉が出てこないとは思いますが。氷菓の関谷純にも、人生で何に一番怯えたかを聞いてみたい。千反田えるの好奇心と自尊心に多大な影響を与えてしまったのだから、それくらいは答える義務があるはずです。矢賀はアップデート堀井が好き、藤井は歌とギタークソうま女たらしクソ野郎の鷹見が好き、鳩野は100年に一人の天才、ロックの申し子と呼ばれているはーとぶれいくのハトノが大好き。最新話「君に語りかける」をちろっと読みました。タカミはナイーブだよな…。セミの幼虫羽化事件でのハトノの主観視点と悪夢とカムバックと殺意を込めた復讐の流れを知れば(知ってどーする)、大抵のことは体力(大事)と時間(大事)と金(大事)でなんとかなりそうと思うのでは。鳩野も鷹見も努力を惜しまない人間なので上記3点が揃えば結果を度外視すればなんだってできる。ただし復讐はなにも生まない。地獄の片道キップだけが手に入る。等価交換? 絶対こいつのほうが間違っているのに 弁が立たなくてうまく言い返せない・・・ 人生あるあるではある。ハトノは気持ちよく人前で歌うことに憧れがあって、まあ、誰よりも好きなんだろう。歌う人が。ただし人並みの羞恥心も鳩野にはあるので、安全装置が解除されていないときは(引き金に指がかかっていたとしても)いきなり公衆の面前でリンダリンダをアカペラで歌いだしたりはしない。ただ、本当に気持ちよく歌う人が鳩野に誘いをかけてきたら、ほいほい土俵にあがる軽率さはハトノにはある。なぜならきっと楽しいからだ。人前で歌を歌うことは。1巻から2巻の鳩野はよくいえば糸の切れた凧みたいな女子高生で、たまき以下なんとなく鳩野を応援したくなったメンバーによる追い風で海の方まで流されていきましたが恨み言を言わないのがエライ。逆に追い風を送ってくれたメンバーに今のままでは申し訳がないと修行を始めるので偉い。鳩野は自分のことをスゴイと思ってくれる人がいるとどこまでも図に乗る女ですが、偉いなぁと思われると「もしかしてわたしをバカにしてる・・・?」と勘繰りを始める鎌倉殿体質なので面倒くさい女です。こういった鳩野ちひろの特性が鷹見項希の兄へのカウンターとして、角度も勢いも体重も、すべてが有効に働いている。怒りのトリガーが軽い。ハトノの母親が娘を見れば、「なにもかもがあの人そっくり・・・(おだてに乗せられたのは私だが)」とロック歌手にちひろが憧れることに不安を感じているのではないか。鎌倉殿の13人は令和4年1月から放送され同年12月に終了している。つまり鳩野たちが谷九に入学したのは令和5年の春と思われます。私は鷹見項希にはほとんど興味がない。好きなことをバカされて反論できなくてもいいのだが、疑問に思ったことをきちんと確認しないで周りの騒ぎに便乗して有耶無耶に済ますのは私の信義に反する。どうでもいいことはどうでもいいのですけどね。鳩野の中学生時代の同級生とのカラオケで泣いて帰った事件も、気持ちよく人前で歌った経験は傷ついていない。鳩野の声質が他の人と比べて変わっているから笑われたのであって、鳩野の歌が笑われたわけではない。鎌倉殿も正直あまり見たくはないのだが、史実なのかあまりにも有名な「頼朝公のご恩は山よりも高く海よりも深い」で奮起した鎌倉東国武士団が朝廷軍を打ち破り京都御所を監視下に置いた事件は興味をそそります。矢賀っちが最推ししている源仲章は鎌倉殿の13人からは嫌われていたようだ…。アップデート堀井の概念を理解するために、源仲章(生田斗真)を知らなければならないのか? なにもかもが間違っている気がするが・・・。鳩野が軽音部の第2次、第3次等、脱会ラッシュに巻き込まれないためには、実際本当の所、鷹見のプロトコルと共同戦線を張るのが最善であるのは明白。なら共同合宿でもするかと話が進めばよい。彩目がズタボロになりながら奮起する未来が見える。他校の軽音部にナメられるぐらいならプライドは捨てるのが藤井です。荘園と国有の財産と国民の税で維持管理しているのだから安売りはできないと本当にいいタイミングで頼朝は死んだ(威張る前に死んだ)と、空前の朝廷からのくすぐりと体罰。俸禄と官位。燃やせる物はエネルギーに換算できる。信濃の木曽の軍勢と坂東の幕府軍で、京の街中での綱紀粛正の差は如実に現れたのでしょう。頼りがいがあると思われるのも面倒を抱えるものです。鎌倉殿の13人を見るのが億劫なのは延々と内輪もめを見させられるのが嫌だからなのですが、鳩野の一押しである梶原景時は坂東武者の中では浮いている存在で、源頼家(二代鎌倉殿)からも見放されてしまう流れはなぜそうなったのだろう?という興味はあります。苦労をしょって本分を尽くす。逆シャアでのシャアがキモいっ!とネットで話題になっていたようですが、それをいうなら逆シャア友の会での執筆陣が持つ富野への愛と憎しみは想像を絶してキモい。富野が俺たちを(以下略)!!!! という常軌を逸した感情が溢れているので正視に耐えない。新選組なら鬼の副長が最後の最期で芹沢の名を口にするぐらいキモい。鎌倉殿なら上総広常なのか・・・ッ(見ればいいのに)。ふつうの軽音部でもアップデート堀井の独演会のチラシ(20XX年)(8月25日(日))に地獄の中でこそ心構えある者には光明が開かれると書かれているので、曇りなき眼でキモさに向き合うのは全人類に課せられた使命なのでしょう。ちなみに令和5年(2023年)の8月25日は金曜日なので、ハトノたちが見た鎌倉殿の13人の放送日が史実通りなのであれば、マンガの舞台である大阪は令和6年の日本であると特定できます。そりゃ暑かろう…。エアコンのない教室でエレキギターをアンプに繋ぎスピーカーでかき鳴らしてでかい声で歌うクソあちぃ青春。正気の沙汰ではない。口には出さないが矢賀がハトノに畏敬の念を持つのはごく自然なことです。平家でいえば平重盛? アップデート堀井が戯曲化された重盛(人は地獄の中でこそ花を咲かせるものである)を任じているのなら、絶対に近づきたくない人種ではありますな。アニメ『小市民シリーズ』第21話「黄金だと思っていた時代の終わり」を見ました。小鳩君の他人をイライラさせる性癖に鈍感すぎる性格はかなーりキテました。他人のお金と他人の権力に鈍感すぎると普通に殺されるので気を付けたほうがいい。浅野の殿のまえで大酒をかっくらい重臣たちには礼を払わず義父の弥兵衛の心労は極限に達するシーンなみに小鳩君の日坂君への気の回らなさは酷い。軽いビンタ(なでる程度)で済むわけがない!!!!!!!!!!! 堂島健吾はどこだぁ! 中山安兵衛は剣の腕前だけは常人の比ではない(OPの高田馬場の決闘が効いている)ので、御前試合で浅野の殿から褒められてしまえばすべてが有耶無耶になってしまう。ホームズがスコットランドヤードの刑事に常時でかい面をしているようにです。ロンドンの労働者階級からは喝采されるホームズですが、小鳩君は日坂君のお姉さんから絶叫(なぜ許されるんだよお前は)を叩きつけられるのではないか。大晦日の深夜の病院の病室で。安眠を邪魔する奴は許さない、、、、とか言っていると万人から吉良吉影認定されそうだ。うまい酒が飲めるかだけが人生だ、と聞かされたら「そのお前を不満たらたらで見ている人のまえで飲む酒はうまいのか?」と問い詰めたくはある。一人だけ切腹をさせられなかった堀部安兵衛? 生涯の禁酒を仲間と殿の墓前で誓うのでしょうが、酔わずに生きていけるものなのでしょうか。鳩野が鷹見を否定するのもただギター演奏が上手いというだけではなく、人前でのステージ演奏に邪念がある(可哀想に…)と認めているからでしょう。なぜか上から目線のハトノ・・・。町内掲示板に事故目撃情報、所属高校を特定し目撃者の情報提供を求む、と張り紙をした小鳩君の行動は堂島健吾がいれば止めさせたはずだ。自分のケツを拭くだけではすまなくなる一線を越えるのではないかと判断したと思う。日坂君が交通事故にあった直後に一緒にいた女性を現場から逃がしたという事実を小鳩君は軽く見過ぎていた。上記掲示板の告知をエーカンのエーコが見た時の衝撃は余人にわかるはずがない。我慢できずに小市民シリーズ6巻『冬季限定ボンボンショコラ事件』を買って読んでしまいました。予想していたよりもずっとずっと小鳩君の述懐が多い! 日坂君に怒られてビンタされたことに、なぜ日坂くんは僕に怒っているのだろうなぜ僕はこんなにも衝撃を受けて動揺しているのだろう、と内なる疑問に答えを出せない小鳩常悟朗。おまえというやつは・・・。日坂君が事故現場から逃がした女性を公開捜査もどきで衆目に晒した件について、「運もよかったけど、ぼくの狙いもよかった」と善意全開だったのも・・・・・・・・どう反応すればよいのだ。日坂君が「俺は充分、不運だった」のになんでおまえは追い打ちをしてくるんだ?俺が知らないだけで恨みつらみがおまえにはあったのか?俺にはわからないんだよ俺の——俺の大切な家族の仲を引き裂くようなことを悪気なくしてくる、その理由が・・・。「放っておいてくれよ。頼むよ」 古典部シリーズの折木奉太郎と小市民シリーズの小鳩常悟朗には共通した美点があり、それは自分をよく見せるために他者を下げるという行為を潔しとしないことです。こう書くと、小鳩君はわりと無邪気に他者を軽く(下に)見ているのではないかと思わなくもないのですが、彼を擁護すると「入り組んだ謎を解いてみせると周りの人たちが喜んでくれる」「その称賛が嬉しい」もっと頑張ろうという前向きな性格をしていて、「長い休日」に入るまえの折木奉太郎と小鳩常悟朗はよく似ています。堂島健吾が小鳩君の善性を好ましいと思っているのは、たぶんそういうところでしょう。奉太郎の場合は面倒な雑務を押し付けられても、それが周りの人たちの役に立つのならと黙々と頑張っていました。 悪の姉、折木供恵も幼少期のホータローには「偉い!さすが私の弟。出来が違うね!」グーだよグー!と褒めまくっていたのかもしれぬ。小市民のアニメ2話を初めて見てますがこれは楽しい。健吾の「へぇ~すごいね。教えてくれてありがとう?」「嫌な奴になったなおまえは」「わからないことがあると解明しようと話しだして止まらないおまえはどこにいった? 今のおまえは腹に一物ある嫌な奴だ」小学校の卒業式ぶりに会って(違うか)「三つ子の魂ってやつだ」「おれはおまえのいうことを信じんぞ」と畳み掛ける堂島健吾はかなりの曲者です。小鳩君が「それはおまえの自由だ」「でも僕には健吾が聞きたいようなトラウマなんてなにもない。ただ自然とこうなったんだ。健吾が理由があって善人じゃないようにね・・・」 僕は小市民だけど健吾と違って善人ではない(理由がない、自然と小市民になったのは僕。理由がある、人の手が加わった非自然の侠客、テレビ映画にでも影響されたのが健吾だ)。ボンボンショコラ事件(を見た)後でこのシーンを見てると、小鳩常悟朗はなにと戦っているんだと笑っちゃいますね。小市民は街中を歩いていて不意に襲撃を受けたりはしない。まして入院先の病院でヒットマンに襲われるなんて、小市民を名乗る資格は最初からなかった・・・イジメか。すまん。そもそもの小市民への志向が良かれと思ってやったことが人を傷つけた(黄金だと思っていた時代)ことの反省から生まれているのなら、善人と小市民は両立するのか? そもそもの話、健吾以外に小鳩の知恵働きを称賛(?)した人物はいたのか。その小市民とやらは小鳩常悟朗の悪癖を悪と断罪できるほど魅力的なのか。いいたいこと、わかるだろう。入須と奉太郎の「何も君に責任を負ってもらおうというんじゃない。・・・歯痒いな」の場面を少し連想する。まあ決定的に違うのは、堂島健吾の場合は「念を押すまでもなく常悟朗の責任だ」「馬鹿馬鹿しくはない」「全部俺がそう思っただけだが・・・」「四角をマルにすることは俺にはできないが、四角四面に見て実行するのは得意だ。これが想像を超えてくるとヤミツキになる」「・・・小学校の遠足の時にラップにくるんだ特大の丸い生味噌おにぎりを古新聞の包みから出してみんなから喝采と蔑視の混じった視線を浴びたことを思い出すよ」「あれは姉貴からも人づてに聞いて姉弟の縁を切ろうと思ったと言われた。本当においしいし癖になるうまさなんだがな。なにがいけなかったんだろうな・・・」安心と平穏を脅かしたからに決まっているだろうが。健吾の姉が年長者の威厳を守るためにキッチンで小声でバカな弟の謎の行動をトレースするぞと小鳩と小佐内に宣言(ほぼ強制)するシーンはいい。おそらく堂島健吾は「明文化されたルール」には従うという不文律を自分に課していると思われる。つまりマナーといった「知っていることが常識でわざわざ明文化まではされていない」行為については、ほぼほぼ自分の良心によってのみ判断しているのではないか。姉を敬うといった行為は後者であろう…。アニメ2話のエピローグで堂島姉弟が機嫌よくケーキを食している場面はきっと何度でも思い出してはくすりと笑うことだろう。弟がケーキフィルムを舐め舐めしているのを興味がない球団の4番がホームランを打ったかのように無視している姉。口にする言葉は小鳩君への期待と称賛。おまえ小鳩君を大事にしろよ…。エスパー魔美、ふつうの軽音部、そして小市民シリーズと、わがまま、自由、恥じらい、無知、厚顔と、わたしは何を書きたいのでしょうね。魔美の父、十朗の絵はアート市場ではあまり評価されていない作品です。ほぼ一般大衆には認知されていないので、評価されていない、というのは業界人しか読まない雑誌の片隅に載っているアート時事の記事にちらりと書いてある程度のはなしで、なんというか、世界で魔美だけが十朗の絵を評価している(高畑もいい絵だと思うとは言っている)のが現状であり、真実なのね。鬼岩城でしずかがバギーの独断を「人間が指示したことを守った」と判断したのも、堂島家の台所で姉の知里が「弟の健吾から挑戦を受けた」と判断したのも、鳩野が鷹見に自分の演奏や歌には目もくれず「セミの幼虫だけ見ていた」と判断したのも、お門違いだったわけです。鷹見説はまだ判断保留案件ではありますが…。惰眠からの使者というか、母親たちが私たちも夏休みが欲しいんだわと思うというか、ヘタクソが努力してなにか意味とかあるの?と鷹見が漠然と思うというか(鷹見自身が観衆から絶賛されることにねじれたよろこびを感じていることを忘れてはいけない)、判断保留と判断委譲が起きていると推測されるのですわ。有無を言わさない本物は存在する、は摩耶花の自説であり青春の呪いみたいなものです。そんなものはどうでもいいから我に惰眠を貪る自由を!(厚顔無恥) クドリャフカの順番を読み返すと摩耶花が「夕べには骸に」について熱く語りあえる人物と神山高校で会えることを熱望していたようで、折木が当該本を読んでいたのを目撃した時の摩耶花の心境はちょっと想像できない。小佐内は和菓子と洋菓子との最高を選ぶのなら後者を選ぶ女なのに進学先は京都の大学にするとか、あくまで次善は次善というスタンスは崩していない。ちょっとどうかと思うレベルで高慢で忘れがたい女性ではあります。次善を口にしている時点で、まだ見ぬ最高とは何か?という謎かけは発生していますね。らーめん再遊記で芹沢が度々口にする生麺と乾麺は別物なのに両者を比較することから逃れられない(メーカー側ではわかっていて世間への訴求力の強さを優先しているようだが…)、生信仰や出来たて信仰は百害の可能性すらある!は、芹沢達也の人生の根幹と関わってくる話にもなります。かふくはあざなえるなわのごとし・・・。生命の安全さえ確保できれば、後に残るのは—— どんなに強く握りしめても いつかは手が離れて落ちる 君も乗るなら 君も共犯 分かるか?今から覚悟を決めろ!(ニッコニコな鷹見。顔面蒼白どころではない・・・)サバシスター「覚悟を決めろ!」より 鷹見の足りない覚悟は他者から奪う覚悟であり、奪われる覚悟ではない。 小鳩君もわりとそうだ。健吾の殺しても死にそうにもない常悟朗、というのも、殺意を向けられても謝辞で返す小鳩常悟朗を小学生の時分に複数回目撃したことからきているのではないか。感謝と祝福を届けようとして拒絶あるいは侮蔑で返される。個人差はあれど、集団生活をしていれば必ず発生するイベントです。そこに疑問を持つと相手と自分の正気について、結構なマージンをとっておかないと社会生活を円滑に進めることができなくなります。親子や兄弟姉妹の間では他人よりも遠慮がなくなりやすい。昨今の多発する詐欺事件も、根絶できない理由の一つは相手の正気を公衆の面前で疑うのは控えるというマナーが広く世の中に浸透しているからではないでしょうか。含み笑いは死に直結しない。倉に米が整然と大量に備蓄されていることが評価の対象にならない。おにぎりを持参して出かけることもここ数十年来なかった。客を客と思わぬ。死ぬときは礼儀正しく死にたいものだ。蟄居の意味合いも社会的死を考えるとイメージが変わってきます。我は拒絶する…。こんにちは。お元気ですか。郡山養子が快刀乱麻を断つべきだったのではないか、他者の含み笑いを見て、見ぬふりをする関谷純に甲斐性の無さを感じていたことを。神山高校の三十三年前の運動、『六月闘争』を炙り出した折木奉太郎に不気味さと恨めしさを感じ、復讐者が湧いて出たと認識したのではないか。鎌倉殿の13人もつまみ見をすると、梶原景時が頼朝に天運を感じて大庭景親はそうでもなかったらしいと見えてきて、主役のはずの義時はただの雑魚に見えた。ハトノの「なんだかわからんがおまえは駄目だ」は坂東武者っぽいです。鎌倉殿のパワーバランスは誰がどう見ても、上総広常を味方にできるかどうかで機運が決定していた。対外への見栄え、担ぐ神輿の見極め、内輪の統治ができるかの見定め、配下からの信頼、義時の右往左往ぶりは広常を満足させたことだろう。「面白いんだろ。愉快なんだろ。どんな気分だ今」「武衛は坂東で満足している俺たちとは違う。(不平不満しか言わない)御家人なんざ使い捨ての駒だ・・・」「法皇様だって目じゃねえや」(キ、キルヒアイスぅ・・・・・・)遷都を可能とする権力を最終的に征夷大将軍が手中に収めるまでの物語だともいえる。家康は外様と譜代の色分けと各藩の財務状況を生かさず殺さずに削り取ることに注力したようだ。頼朝を尊敬していたのは嘘じゃないはずです。甲斐源氏の武田はとにかくいいポジションにいますぜ…。金と米と馬だ! 頼朝は東国武士の力を我が物にしなければ何も始まらない。捕らえられて首を落とされたら終わりなのだ。鼻持ちならない源氏の棟梁(頼朝)を千葉常胤らは「懲らしめて」やれと謀反を企むのに上総広常は「親父の敵を取らせて」やろうと度量の広さを見せる。頼朝の父、源義朝は坂東じゃ超有名人なのでしょうが、どんな人物だったのやら・・・。上総広常が斬首した大庭景親の平相国への筋の通し方は、ある意味頼朝から見た理想の御家人そのものではある。喜んで規則や規制に雁字搦めになってくれそうな有力者。鼻持ちならなさは人の上に立つ者に必要な資質だと大庭景親は思っていそうでした。ただの馬鹿は論外。序盤のカチコミ話で義時がひたすら影が薄いのは実に当然のことでした。頼朝が論功行賞のやり方を義時に教えるのは、よくよく考えれば本当に信頼していたのですな。(与える物がない有力者などこの世にいていい存在ではない) 草笛光子が演じる頼朝の乳母、比企尼(ひきのあま)がドラマに出てくるまでは本当にアイツ(頼朝)どうでもいいわと見て思っていましたが、彼女が義時に「北条殿、その者たち(比企能員とその妻の道)のいう事など気にしないでください」「まともに聞くことなどありませんよ」「佐殿にお伝えください」「比企尼はいつでも、殿をお待ち申しておりますよと」 べたべたに甘やかし過ぎだぁ。だから生まれと育ちの良さに嫌みがないのですよ佐殿は・・・。「鎌倉殿の13人」の2話の時点では頼朝に平家打倒の志などない。どうにも父親や叔父にこの世からいなくなってくれたらどんなにすっきりとするだろう(平家もいなくなればなおよい)と漠然と思っていたフシがある。義時と違って頼朝は黙っていても女性から好意を持たれる、ぶっちゃけ頼朝の前半生の運の良さとは、女性運の良さであるといえるはずです。金と米と馬だ!(うんざり) 戦大好き義経は、頼朝と幼少期の京都での暮らしで何にうんざりしたか、いとにくきものを肴に歓談していれば、義時を小突きながら酒を飲み交わしていれば、よかったですね…。 「私だっていとにくきものはあります!今だってそうです!いとにくきもの!あなづりやすき人ならば「後に」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人いとにくくむつかし!失礼いたしました!!」 比企能員が比企の本家嫡流ではなく、政子が比企の顔を潰さず伊東の館にクギを刺しに行く(祐親の耳に入れば無事で帰れるはずがない)のは面白かったですね。義時のふんだりけったりは誰のせいなんですか?とまあ言いたい。ただまあ、誰がどう見ても、北条が源氏嫡流に最大加速で接近している状態なので三浦の方から超嫉妬光線が出ているくらいは気にかけてもいい。兄弟の仲が良いというのは、本当に素晴らしいことだ。義時のふんだりけったりは誰のせいかといえば、兄(宗時)と父(時政)のせいです。兄を敬い姉を心配し父には呆れ、所領の安定統治に黙々と精を出す小四郎(義時)は頼朝に好かれる要素が多分にあります。 あの伊東祐親に頼朝が好かれようと努力したのかもしれない(しなかったかもしれない)のは想像するだけで笑えます。義時から「出ていってください。北条から」「源氏の嫡流とかどうでもいいです。優しいお母さん、美人で気立てのいい恋人、食事に文句を言えて朝風呂を用意してもらえるご身分、あなたにはもう欲しいものなんてないじゃないですか」「なにが可笑しいんですか」 「源氏の武者として京に居られる身分であればな。平家との戦いに敗れいつ殺されてもおかしくない暮らしを京でしてきた。生殺与奪の権を握る相手にどう好かれるかを考えて暮らす生活。今のわたしに「北条から出ていけ」と小四郎は言った。今も昔も、わたしが欲しいものはひとつしかない。皆が安心して暮らせる源氏の世だ。その中でしか、わたしは安心して暮らせない」「それをかっこよく言えば、挙兵して都に攻め上がり平家を滅ぼし法皇さまをお助けし源氏の世をつくる、ことになるな…」「絵そらことに北条を巻き込まないでください。源氏の世になれば飢饉は起きなくなるとでもお思いですか?」「神や仏に祈るのは神仏にすがりたいからではないのか。坂東の者たちがわたしを佐殿と呼び慕うのはひとえに法皇さまが持つ神通力におすがりしたいからだ。絵そらことというなら米の不作を源氏のせいにするおまえも己の立場や責任から逃げていることになる。ままならないことではあるが」 小四郎が他の坂東武者たちと決定的に違うのは頼朝が持つ権力中枢への、より豪華な美味しい食事をたらふく食べて美酒をかっくらって安心して寝る、配下にも恩着せがましく生活する楽しみを提供して一族が繁栄する夢を見させる、といった都への渇望があまりない点にある。とにかく父親の時政が正直すぎる坂東武者(死ぬときは死ぬし、生きている間はいい生活をしたいし、家族からはちやほやされたい)なので反面教師であり、死んだら終わりという生き意地汚さを持たなければなにも始まらないと義時は学習している。家族の話ですよね。武士の高潔さをシステムに組み込むのなら、理想の死に際を教科書に載せるに限る。所領の安堵と土地の再分配と・・・。舅殿はわたしの欲しいものを全部持っているようだ。鳩野も鎌倉殿の13人は居間で母親と見ていたのでしょうから、娘が梶原景時を推したのに対し、母親の方は誰のファンになったのでしょう。大庭景親なのではないか。脇の甘さに惹かれるとみた。アノトキヨリトモヲコロシテオケバヨカッタノニ・・・ 北条と伊東の仲裁にやってきたのかと思いきや、「いいぞ。やれやれ。俺が見届けてやる」と喧嘩をけしかける大庭景親なら上総介と気が合いそう。もちろん北条と伊東の共倒れを狙い、領地はおいしくいただく。将来的に新田開発と商業の発展まで言い出したらニセ徳川家康の出来上がりだ。坂東統一、奥州藤原氏との連携、平家軍の自滅、源氏嫡流のモグラ叩きとやること多過ぎで目が回りそう。梶原景時は身命を賭して働いてくれそうだが。平家打倒のシンボルとなる神格化エピソードは必須です。なにかあるかな・・・。やはりあれか。穴を掘ると温泉が湧き出て、川に小便をしたら砂金になり、サツマイモの栽培を奨励したのだ。くっくっくっく・・・。時政の対大庭への口上は「かねてより言ってみたかったから言った」だけで、頼朝のことなんて1ミリも考えていなかった。愉快だ。上総介に「おまえなんかいらん。正々堂々と戦って殺す」が殺し文句になっているのも同じく愉快です。坂東には馬鹿しかおらんではないか!!! 千葉常胤がそうであるように、堂々たる合戦での戦働きは武士の誉れであり源義朝やその父の為義の西国での暴れっぷりは好き嫌いを超えて坂東武者に影響を与えていたのでしょう。頼朝が義経を恐れるのは源平合戦での武勲を考えれば、あまりにも自然です。あと何回も擦って申し訳ないのですが、時政は自分がキモチイイのならやる男で、他人の為に苦労するなんざまっぴら御免(主君の為に身命を賭す、とかアホだと思っている)と考え、そして自分は一国一城の主だと自認しています。調子のいいことを口にして約束は破る。ただ身内と判定している者には情が深い。おまえなんざ使い捨ての駒だ…。頼朝における安達盛長のような忠臣は鎌倉殿の13人の世界では砂金のように希少なのです。上総広常と千葉常胤は鎌倉勢最大の立役者であり、頼朝は神輿の上で揺られているお飾りにすぎません。千葉殿はスヤスヤお爺さんの印象もありますが、誰よりも現実主義者の一面があったはずです。ふつうの軽音部でたまきが「軽音部は気持ち悪い」と常々思っていたと告白していましたが、「源氏はうっとうしい」は坂東武者の総意ではあるでしょう。佐竹氏の扱いがぞんざいなのもその流れです。「軽音部は気持ち悪い」「源氏はうっとうしい」「佐竹氏はズバっと斬る」と、頼朝の気の休まる場所はこの世にはない。征夷大将軍の役職、称号も豊臣政権時代の地ならしがあってこそ、初めて有効に家康が使えた側面がある。返す返すも時政の「苦労のわりに実入りが合わない!」は頼朝が最も嫌う考え方であり、「あー!!もう心が折れた!やめだ!やめだ!!」は(以下太字)石橋山の戦いで無為に兵を殺し一縷の望みで再起しようとしたが雑兵がわらわらと現れて首を狙われるので雑兵を皆殺しにしておいていわく、「心が折れた」なので、開いた口が塞がらない。不満たらたらの大庭の首をチョンパしたかっただけなのにっ!!! 義時が坂東武者に愛想が尽きないのは「父と比べればマシ」「兄上はあの父を全部呑んで行動していた」「最終目標は平将門といって過言ではない」(地獄ではないか)と支離滅裂で破綻はしている。時代劇の陰腹を見たあとに鎌倉殿をみるとなんともいえない気持ちになります。時代劇でヒーローが何十人、何百人と、息一つ切らさずに斬殺していく現場から悪党の部下たちが逃げ出さない、最後の一人まで主君に忠義を尽くす(正気で現場にいられるはずがない)のは異様なのですが、将軍を頂点とした武家社会でのドラマでは、鎌倉武士から連綿と続く土地をめぐる争いが下地としてあるのです。封建社会の封建とは、まさにそれです。ガンダムでいえばビームライフルの光線が装甲を溶かす理由は土地に縛られて生きるのは愚かだという反逆エネルギーに由来するのかもしれません。エネルギー問題は絶対に解決してるよね、あの世界。絶対に生まれて絶対に死ぬのね。鎌倉殿の13人の梶原景時は史記を読んでいるだろうし、伯夷列伝も知っているだろうし、天道、是か非か、と呟けば必ず乗ってくる。生産性のない土地や人間に、価値はあるのかと(逆の場合は論ずるまでもない)。頼朝に天運を見たとか、常時、ギリギリな男ではあります。頼朝、義経の兄弟とあそこまで関わってしまうとか、悪の天運を持っているようだ。え?逆だろうって? そうかなぁ・・・ すべてを度外視して考えてみると、舞台の上であれば裏切りほど見栄えするものはない。悲劇が人を惹き付けるからこそ、情けと忠義がより光り輝く。裏切りが常態化すると常時下痢をしているようなもので、ほぼほぼ衛生観念なんてどうでもよくなる。ロボットアニメでいえばゼオライマーが基準となっているようなものだ。維持コストも全体全滅技もそれが普通だと言い張るのであれば残るのは人間関係だけになるだろう。目的のために手段がある。頼朝と上総広常との間に起きた悲劇の根本はそこです。親の敵討ちすら頼朝には手段だったのですが、わざわざ上総介に説明する馬鹿はいない。あまりに図星を突くと殺されても仕方がない。土地の支配権が安定していると、義理や人情に気持ちを持っていきやすい。銭形平次は長屋の住人から大家の横暴を懲らしめてほしいとの依頼は受けない。結局のところ、江戸の将軍さまのお膝元とは何か?という話になってしまうからです。町人の祝言に武家社会が(ぱっと見には)関わらないのも江戸社会の安定のためです。人情がないからではない。上総介の「法皇さまだって目じゃねぇや」は本当に核心だったのね。おもしろおかしい人生だと、頼朝は後白河に肯定してほしいのだ。それに比べれば源氏の世を取り戻すことなんて些事でしかない。じつにまっとうな人間ではある。もちろんそれは源氏の嫡流という驕りでまわりの人間を散々にカス同然に扱ってきた報いを受ける覚悟が頼朝にはあるよね?という当然の疑問に答える義務を(頼朝は)持っているのだろうという期待を込みでの感想です。「武衛の頭の中は、父親の仇を討つことしか考えていないんだろ。違うかい?」(頼朝、微笑で返す) ガンジーが愛読したインドの創世神話のお話はなんといったっけ・・・ そもガンジーに男兄弟はいたのだろうか。感謝したいのか、感謝されたいのか。鎌倉殿の13人の劇中で一ノ谷の戦いにおいて愛馬を谷底に落とす(義経曰く、鹿が大丈夫なら馬も大丈夫)作戦に異議を唱えた坂東武者はいなかった。梶原景時は結局どうしたのだろう。鳩野が梶原景時を推す理由の一つは、生前にやりたいことができなかった、みんなの前で坂東武者として活躍し称賛され八幡大菩薩の化身よと言われなかったことの無念さに我が身を重ねているのではないか。み、みろよハトノだぜ。はーとぶれいくのハトノだ…。あの八幡大菩薩の化身と呼ばれている・・・? (鶴の理想とあながち外れてはいない予感…) まどマギのほむらもくつがえることのない地獄をなんとかしたい一心で行動していましたが、そもそも地獄とはなにか、なぜ地獄が発生するのか、なぜ誰のものでもない名前もついていないものに固有の名称がつくのか、代替可能品としての地獄(一般的に地獄とは安心を求める場所ではない)、比較検討可能な地獄、持続可能性を考慮した地獄と、スラップスティックな地獄(京都とユーゴスラビアには親和性を感じる)はそこかしこに存在しているのではないでしょうか。2010年に放送されたアニメ、ソラノヲトで主人公カナタの直属の先輩リオは血の呪いから逃れようと七転八倒するキャラクターでした。今思うと通信兵のクラウスをリオが軽んじていたのは責任のない偽物でしかないクラウスのことを少し羨ましいと感じていたのかもしれませんね。偽物が本物の真似をするのはピエロそのものなのですが、クラウスが砂漠の狼(笑)を演じきったのはリオの自分の中にあるクソみたいな部分(全部他人のせいにする)が本当はどうでもよかったと気付く契機になっていました。目的と手段は違う。本当に影の薄い小隊長フィリシア・ハイデマンがリオのクソみたいなところも全部含めて献身的なサポートをしていたのは、今になると奇跡的な出会いだったのだなと思う。よく手をださなかったな・・・。お盆の回でリオは灯篭流しに参加していたのか、いなかったのか。していました。フィリシアのリオの悩みに意味なんてないと思うと言うのは、なかなかの爆弾発言でした。フィリシアが弱り切っていなかったら喧嘩がはじまったのではないか。死者と生者の関係に他人が口をだすな!はリオのクリティカルポイントなので(思えば小隊全員がそうだ)、脚本の妙というか、全然お話に関係なかったじゃん!と思う1話の首のない巨大天使も、弱り切ってなかったらきっと大戦争がはじまっていましたな。時の小隊長は変な性癖を持っていなかったか、否か。持っていただろうなあ・・・。目的と手段は違うが、スペックと相性は絶対なのだ。リオからこの地上における最低のゴミ、耳カスの詰まったダボがぁッ!!と罵られてもカタログスペックの数値に憧れる気持ちは止められない。湾岸ミッドナイトの平本とは来世まで相容れない壁がある。目の前に極上のベースカーがあったら、それがガラス一枚の向こう側にあるとしたら、それは夢中になってしまうでしょう(映画D&D2023年版)。リオが素直になると「逃げて逃げて逃げて逃げて、ついに世界の果てまで逃げてやったぞ」と自嘲し、そして大切な人たちを想って逃げることに罪悪感を感じてしまう。ソラノヲトでは中央政府を打倒しこの地上に楽土を建設するのだ、といったテーマは出てこない。砦の乙女たちが逃げてきた堕天使を匿い、天使の仲間たちが逃げた同胞を取り返しにきてひと悶着がありカタストロフが起きかけ、堕天使の宣言によって騒動は収まる。世界はほぼ終わる。天使群が人類を滅ぼさなかったのは、砦の乙女たちにより懐柔された堕天使から得体の知れない感傷を角笛によって呼び起こされたからである。時政⇔頼朝、上総介⇔頼朝ラインはエスパー魔美の周囲の人々からチヤホヤしてほしい、チヤホヤされたいという単純明快な欲望と比べて、同じ惑星上の出来事とは思えないほどに離れている。ちやほやされることは馬鹿でも嬉しいのか?と問えば、魔美なら「うれしいに決まっているじゃない!!」「もしお年玉をもらって嫌な顔する子供がいるならあたしが説教してやるわ」「ただし暴力を肯定していい気になっている子供がいるならあたしが天にかわってやっつける」「なにごとも人にはブンソウオウってものがあるのよ」と褒められてこそ人は育つのだと言うのではないか。悪い人間にひっかかりそうではあるが。高畑に褒められて有頂天になっている魔美はかわいい。魔美の父佐倉十朗は娘の気立てを好ましく思い同時に心配もしているのですが、「いまの芸能人と比べても魔美が一番美人だ」と娘にいうくらい親バカなので魔美が人から褒められることへの耐性のなさ(自己への客観性のなさ)は佐倉十朗に多くの責任があります。正義のエスパー、という看板をしょって立つ魔美の気概は、そのようにして幼少から育まれてきたのです。パパはあたしとママを幸せにしてくれている(金はないが)。その生涯を賭けて取り組んでいる絵画は世界的名画に勝るとも劣らないはずだ(誰も欲しがらないが)。よってあたしは—— 正しく魔女の系譜に魔美はいる、と実感しますね。呪術廻戦の羂索に娘がいたら魔美みたいな子供なのではないでしょうか。土地の呪いに魔美はほとんど影響されていない、という点は稀有であるといえるでしょう。ヴィランとヴィジランテは本質的に同じものだ、というのは魔美の母親の基本的な社会の見方であると思われます。社会から見て気味がわるい存在は、社会の枠に収まらない、収まろうとしない存在である。社会的存在だと自認しない人間は、なにをしでかすかわからないから。ここで「雪のふる街を」事件を思い返すと、美大生だったころの十朗の挙動は不審者のそれだったので魔美の母親の度胸と好奇心は底が抜けていることがわかる。人様の役に立つことと社会の役に立つことは似ているようで違うことがある。絵画鑑賞が人生の役に立つか、社会的に意義があるかと問われれば、そんなことは知ったことではない。「おい聞いたか!あの雪女、明日郷里に帰るらしいぞ!地元で見合いをするらしい!!」と一度でいいから焚きつけてみたいものだ・・・。アニメとマンガを両方見た人なら知っている話ですが、十朗の美大時代の友人はあそこまで雪女に告白しろと煽っておいて「——で、あのあとどうなったんだ?」と二十年後に聞いてくる(マンガ版)ので本当に興味本位で行動していたのですが、アニメ版ではそりゃないだろうということかブラジルにいる叔父の事業を手伝うから俺の禍根を残さないためにも雪女に会えと言い残して日本を離れるというオリジナル展開があったりします。おまえ自分の直感を信じるって言ってたじゃないか。いや~でもほら、僕は金も地位も名誉もない絵描きの端くれのそのまた卵みたいなものだから、さ・・・。彼女に告白してカップルになるなんて神をも恐れぬ所業というか・・・・・・。いい加減にしろマヌケ殺すぞ。 呪術廻戦で領域のはじまりは両者間にあるルール理解の齟齬を、より洗練された領域が支配することでお互いが強制的にルールに納得する相互理解の手段だった(相撲やろうぜ相撲)ことは、まあ、大好きなんです。現在「ふつうの軽音部」では突発ゲリラ型青春タイフーンの発生を目論む鶴の野望が正に実行されているのですが、鶴の野望の原動力はたまきが経験した弱い自分が臆病ゆえに本当にしたい言いたいことを我慢して他者とぶつかり合ってしまった痛みを自分で感じていた歌の感動として他者に伝えたい(相当に変態的ではある)という、感動の伝道師として壊れるまで突っ走りたいという欲望から来ていると思われます。カタルシスとは弱さゆえに生まれるのだ!!!!! 髙羽の術式と鶴の野望はダブるところがありそうです。欲しいものが手に入らない、欲しいものは他者から与えられるものではない、欲しいものとは自分と相方だけでは手に入れることができない、そもそもが領域に"必殺"とかを付与した馬鹿のせいでお手軽に領域で遊ぶことができなくなった(髙羽の擬似領域も観客と審査員の笑いが術式効果で「必ず笑って」いるのかは不明。羂索の調整でどうとでもなる状況だった可能性はある)、笑いの感情が乗る客席の温まり方は羂索の永遠のテーマ(死ね)だと思う。義ゆえに戦い、義ゆえに死す()。桃が鷹見にあまり含むところがないのは、基本、鷹見が強者に見えているからで弱者が弱者のままでいいという態度を鷹見が桃のまえで見せれば、一転して侮蔑の対象になり得ます。強者とは何か?は鷹見の一生課題なので、桃はわりと天敵です。弱いふりして我を通すのは桃のまえでは鬼門なのです。田口が「? 音楽なんて遊びやん」と鷹見の最大級の地雷を踏み抜いて無事でいられているのは、約束されたモラトリアム空間である谷高が鷹見の傷心を癒す場であるからです(たぶん)。すべてがしゃらくさいですね。楽器店でおしゃかしゃまのイントロを弾いていた鷹見を目撃している鳩野もずっとそう思っているはずです。姉を誘惑した頼朝を義時が見てしまっていたら、ハトノと同じことを思ったかもしれない・・・。(この人はわたしを破滅に誘ってくれている)のを魅力的だと感じてしまうのは、カリスマなのだという他ない。内田桃の愛読書であるという「コンビニ人間」村田沙耶香、著を楽しく読んでいます。36歳になった「古倉さん」こと「私」は1998年(平成10年)5月1日から2017年(平成29年)の5月1日まで、同じコンビニ店舗で週5日出勤のバイトを19年間つづけるという変人(偉人)です。店長はオープン時から数えて8人目なのだそうだ。内田桃と「私」が似ているのは大勢の価値観を尊重し大切にしている人格者である、コミュニティ内の和を乱すことを嫌う、自分が異常者であることを理由に両親を悲しませたくない(内田はわからないが)、物わかりの良すぎる妹がいる(内田は姉(!)と弟だが…)、社会の一員として相応の責任を果たしたいと願い、かつ行動している(こんなわたしを誉めてくれる人たちが社会にはいる。あの人たちのような気持ちの良い人間になりたいとわたしは思う)。ダメだ笑う。わたしをナメた奴のアタマをカチ割るくらいの気分でヤる。鶴の大好きな遠藤周作『沈黙』もふつうの軽音部のせいでまともに読めない身体になってしまったかもしれない。桃がハトノを好きなのは神だからではない。どちらかというと負けっぱなしのグズっぱなしでいるのならヤるほうがいい、という危険思想に目覚めたからです。知ってた。川崎の暴れ馬とはラチッタデッラというねん。コマでいえば自重に耐えきれない鈍重独楽のように見えてバンドメンバーが揃うとアホみたいに回る(駄馬などいない。名伯楽がいないだけ)それが鳩野ちひろ。独楽は働かないよ。・・・・。もしかして『沈黙』好きは鶴じゃなくて厘だった?ヤベエジャアナイカ 「みんなと青春したいです!」と書いておいて「沈黙サイコーです!」は筋が通らないだろう…。逃げる用意をしなければ。はーとぶれいくのバンドメンバーは桃が大道と乃木と同じバンドメンバーとして交流し、鷹見と乃木との破局が遠因となりバンドが解散した事実を知っています。死ぬほど興味本位な表現で内田桃を解説すると、同じバンドメンバーの女子二人が彼氏を作って充実した高校生活を送っているのを見ていて人として置いていかれている(ただし大道と乃木を応援し祝福したいと心から願っている)ことに焦燥感を持ち、自分は社会的な人間ではないのではないか(欲しいものが欲しいと駄々をこねる人間は子供だ。わたしが優希と舞伽にバンド活動を中心に考えて行動してほしいと願うのは子供が駄々をこねていることと何も変わらない。人は子供のままでいてはいけないのだ…)と自傷行為に似た自省を繰り返す見た目一軍女子が、はーとぶれいくに加入する前の内田でした。内田の"みんなと一緒に(≒おなじで)いたい"という強い願いは、舞伽から「私から鷹見くんを奪った藤井さんが桃と一緒のバンドで仲良くするのを私は見ていられない。自分が最低の駄々をこねる子供なんだと思い知らされて本当に嫌な気持ちになる。だから桃と昔みたいに仲良くすることは、私にはできない!!」と宇宙移民側からコロニーやアクシズを落とされる連邦ハト派の重鎮みたいな事態を生み出しました。わたしも誰も気にもかけていないことですが、「恋が破れたからといってバンドまでやめるのは違うのでは?」と、鷹見も内田も同じことを言っています。オリジンでミライの父親が言っていましたが、本当は皆、心のどこかで戦争を望んでいる。戦争がしたくて堪らないんだ。(そして皆、いいところで止められると思っている。)ランバ・ラルが落ち目の父親を生存させるためにドズルの誘いをギリッギリまで断り続けるのは、尊敬よりも笑いが勝つんですよね・・・。舞伽が中2の桃に告白して玉砕した武田くんを「普通にイケメンだと思っていたけどよく見たらイケメンじゃないし寝グセが酷くて私服もダサイ」(ココな)と桃に好意を寄せた武田を見えない刃物でズタズタにしていましたが、本当は桃は「(好意を寄せてくれた)武田を気持ち悪いと思う私を気持ち悪いと思わないで、ずっと友達でいてほしい」と武田なんてどうでもいいからずっと私と遊んでほしい(子供だ)とこっそりとお願いしていたわけで、彼氏いない歴=年齢の鳩野と矢賀コンビ(すまん)では、よく食べてよく遊んでよく寝ればきっと元気になるよしか言えなかったのはまあ、当然です。大道も見誤ったことですが、桃も舞伽も、サウンドスリープを最上の場所だとは思っていなかった、居心地がいいのと心身が重篤な状況下での避難先は違う(後片付けをしなくても優希がなんとかしてくれるのが前者で、他者からの救援が見込めない生きるか死ぬかの現場が後者。ハトノはわりと血風録寄りの女)。厘のハトノプロジェクトも導火線と火花には大道に目をつけているっぽい。いやおまえ人のことなんだと思ってるんだ…。困難さよりも気持ちよさが勝つ、何を困難とするかは人それぞれの人生観で差が出るのですが、気持ちよさでいえば大した差はでないはずです。人の欲望は4000年前くらいからあまり変化していないのに対して、困難や不幸のバリエーションは増える一方です。遠野元もきっとそう思っていることでしょう(無理やり)。鳩野ちひろのステージ上でのくそ度胸は困難や不幸を燃料にしてギター演奏と歌唱力によってそれがどうした私はこんなに幸せだ(気持ちいいぜこんちくしょー)と恥をさらすことによって実現している。理屈でいえば鳩野が自分のことをみそっかすと認知(鷹見が尊敬する兄のことを悪く言って自己嫌悪しているのに、周りは名実ともに人生勝ち組だねと鷹見を持ち上げるのとは対照的に)すればするほど、たまきや鷹見にありがとう私は幸せです!と感謝を届けているので実に気持ちのいい女だといえるだろう。鷹見は違うか。最新話の第76話「その感情を知る」で嫉妬という言葉が出てきました。鳩野が内田に向けている感情は本当に好きと書いて尊敬なので厘がぽけーっとしているのは少し解せない。たまきへの感情は本当に尊敬しているです。幸せの形は平凡で多様性がない。セミ事件は鳩野が訳も分からずに頑張って頑張って何も覚えていないところに「はとっちの肩にセミの幼虫がついていて、それがめっちゃ面白かった!」と唯一のお褒めの言葉を鷹見からもらうという、「噛み潰してみろ。わたしという不幸を」事件であったわけですが、鳩野には人生を左右する一大事件であったとしても、鳩野の母親や父親から見れば人生のスパイスの一粒くらいであったことでしょう。娘が元気でご飯を食べて生活をしてくれれば、高校の部活での恥の掻き捨ては軽い笑い話くらいでしかない。「いやー常識的やわ、はとっち」だけは鳩野の母親が聞けば「ヤっていいぞ」と言うかもしれない。あの夏の日の殺意だけは、わたしのものだ・・・。思えば虎杖に嫉妬という感情は限りなくない。ある種の無下限ですわ。伏黒が虎杖に重すぎる感情を持っていたのも、津美紀と同じで善人には幸せを享受する権利があり、それは悪人に蹂躙されることのない人生を送ることだ(魔虚羅調伏を最初から諦めているのに大それた野望。宿儺に思いっきりその身の丈に合わない野望のスキを突かれた。魔虚羅調伏は五条とペアを組めば不可能事ではなかったはずだが目的のためには手段を選ばないとまで振り切れないのが伏黒恵)と人間千手観音を目指していたのでスゴイ(ちょっと馬鹿にしてる)。最終回以降の伏黒は魔虚羅を使役できていたのか、使役可能であれば人類特異点を体現しちゃってるのでたいへんにまずい(ゴーゴー)。イナーシャルキャンセラーを常時発動する(毒すらも次々と克服している)最強呪術師とかいたら五条悟も乾いた笑いが出て止まらないだろう。呪術廻戦を1巻から読み直すと病院で亡くなった祖父を虎杖はゆっくりと見送る時間もなく宿儺戦へと突入するので、祖父の死を悲しむ余裕がまったくなかった。呪術師の規定で本来死ぬはずだった虎杖を伏黒が私情で助けてしまい、そして宿儺が伏黒に得体の知れない興味を持ってしまったので、虎杖は身内の死を悼む間もなく伏黒の爆弾、兼相棒として呪術師として死線に立つことになる。親しい人の死を悼む時間。呪術高専の学長の夜蛾(やがっ!)と祖父の死で問答するシーンが第3話「自分のために」であるのですが、よくよく考えると唯一の肉親で育ての親ともいえる祖父を亡くしたばかりの高校生に、「死ぬ殺すばらすが当たり前の狂った職場で働くのを祖父の遺言(と書いて「指図」と呼ぶ)だからやる? 呪術師として死ぬときも祖父のせいにするつもりなのか」と学長を名乗る男が悪魔みたいなことを言ってました。呪術高専に入学する生徒は人間として最低以下の末路になってもいいから呪術師になりたい、という動機が必要なのでそうしているのですが言っている内容がとにかく酷い。小説『コンビニ人間』で「役に立たない人間はここ(コンビニ)では修復されて消えちゃうんですよ?」と白羽くんに言う古倉さんなみに酷い。システムに迎合する気はあるんですか、と悪気なく聞いているのですが呪術廻戦では呪いの王が主人であり、コンビニ人間では社会生活の基盤が主人なのです。呪術廻戦の最終巻を読もう。読んだ! ザリガニ釣りで負けるのが怖いのか呪いの王。ふん、乗ってやる。見ろ俺の方が大きい! あ、それアメリカザリガニだからノーカン。ニホンザリガニの方がレアなんだよ。「あ゛?」「お ?」 領域内のルールにはきちんと従う呪いの王。いや、なんなんだこの領域…。本編では東堂が無駄に使い切ったとも噂される術式の開示(は嘘偽り)を最後の最期で主人公が本心、真心から宿儺に提示したともいえるかも。今後は俺のルールの中で俺と共に生きてみろ。殺さないでやる。寂しさを肯定すると呪いではいられなくなる。対比の問題ではない。嫉妬と政治は切っても切り離せない。内田桃が恋人と別れたからバンドも辞めるってのは絶対に嫌だというのも、ド究極の我儘をいえば人間関係のすべてが壊れたとしても、わたしの趣味に付き合えという王様宣言に他ならない。鳩野の水尾への恋心に内田が二の足三の足を踏むのは当然なのですが、小学生の内田が「つまらんことでギャーギャー騒ぐやつはアホ」という態度を隠そうともしない子供だったことには留意されたい。もちろん私は逃げる。 他人の恋路の成就を願う、というのは氾濫するかもしれない河川の工事を緊急で行うようなもので義務も責任もないのなら放っておくに限る(通報すら躊躇われる)。彩目がなんとなく遠野と桃にちょっかいを出したくなったのはヒマだからなのでしょうが、自分が鷹見から声をかけられた理由が「ギターなら藤井がいいんじゃないか。あいつは上手い」と遠野が言っていたからだとしたら、彩目はどう思うのだろう。嬉しいのだろうか・・・。術式の開示がひゅーっとやってひょいな?ひゅーひょいっ ほらやれ、で済むなら誰も苦労はしない。家電の話と直結しそう。ゲルマニウムラジオをはじめて見て聞いた時は、わりと文明観を揺さぶられた記憶があります。アンテナをうまく張れば音はより鮮明に聞こえてきたはずですが、生来の無精さが勝ち創意工夫の発露は起きませんでした。ここが難しい所で無視することは許さない、他者と価値を共有する、水田の畦道の管理権は自・他・共、と強固に見えて曖昧な状態である(今話題の改正鳥獣保護法の実施も根本的な問題は「誰が責任を取るのか」が曖昧な点にある)、たまきが意中の人物から結婚する話を聞かされて「あ、ごめんね。言ってなかった?」と自分がコミュニティの中にいない人間なのだと思い知らされたことと、状況はまったく同じです。喜田は本当にイケメンです。彩目は自分が望みもしない王子様役を振られてやらされる羽目になる可能性があります。なんで? イノシシやヒグマの子供にちょっかいを出すと母親に殺されるのは知識としては知っていても、実際にやってみる馬鹿はそうそういないはずです。いないはずです。藤井彩目は本作の登場人物の中で、告白され(←本人の中では)告白し返して(本人の…)その相手から一方的に破局を伝えられ、その後殺意を持って元交際相手と相対している貴重なキャラクターです。遠野元には藤井彩目は人間が持つであろう情緒の理解を超えている人物と見えているはずです。それもこれもなにもかもすべてが、内田桃にキモいやつと認識されたくないという遠野元の保身から来ているのですが、「あ、そうか 元は桃以外の女には興味ないんか」(ちょっと性格が悪すぎたか…)は言葉のナイフの先が鋭利すぎるのね。獲物を奪うのにまわりを見て躊躇うやつはアホ、いらん獲物を捨て置くことに躊躇しないやつは死んだほうがよい。なにもかもすべてが鷹見項希とその兄の関係に、彩目の指先がかかっている。鷹見項希を彩目はいつでも殺せる素質がある。あと遠野元も。人生終わるまでに桃にキショいと言われなければ元の勝ちなんか。ただそれを言うと彩目は鶴の同類になる、なってしまうので、言わないかな…。元が「藤井、おまえこそ鷹見以外の男に興味はないんか」と聞けば戦争な。言いそう・・・。ドラマーとしてメンバーの演奏を自由にしてあげたいという気持ちが言わせる可能性がある。彩目がプロトコルに参加していた時にどれだけ水を得た魚のような状態だったか、そのことに鷹見はまったく興味がなく、遠野元には最重要事項(ふさわしい場所でふさわしい人物がふさわしい演奏をする)であったと思われます。舞伽と桃、星と穂高(衛星としての寅子)のように、汗と血で舗装された道を全部ぶっ壊すことになるのか、今後の展開を想像するとわくわくします。レッチリ聞くか。『虎に翼』の星長官(初代最高裁長官)が自分の後釜に座る人物を選ぶことに汲々としない性格だったのは時間がたつほどに異常性が増していきます。周りから見ると穂高一門を星が重用しているのは明らかでしたが、肝心の穂高本人には「君はまだ使い捨てるには惜しい」と(出涸らしでも)死ぬまで働けと発破をかけていましたね。死んでその名を永遠にしろ、は1986年テレビアニメ三国志Ⅱ天翔ける英雄たち、で曹操が張飛に言い残した名言。星の人生はどうやって死ぬか、どうすれば死んだ後に他人からナメられないか、史実を積み重ねることでのみ誇りは伝授される(日和った死に方はほぼほぼ禁忌)、それを韜晦して柔らかい物腰で生きて死んでみせるべきではないですかと、穂高に持ちかけるので、ざっといって 悪魔 誘惑 甘美 とメフィストフェレスと同類ですよこいつは。政敵との対峙と懐柔は星がやり尽くしたはずで、桂場の法学の師は穂高ですが、法曹界での立ち回り指南は独学で星を師と仰いでいるはずです。レッド・ホット・チリ・ペッパーズではなくオアシスを聞くのだ。なにをすべきではなかったのかを……。鷹見は兄の尊厳を奪う覚悟が足りない。ただより高いものはない。鳩野の父親が元妻とちひろといっしょに会わないのは、ほぼほぼちひろのお願いに応えられなかった負い目からだと思うのですよね。負い目のない男に魅力を感じないといえば呪術廻戦の禪院真希。五条をゴミカスバカ呼ばわりし人類の希望禪院直哉は女の尻だけ見てる男(後日、五条悟は面だけ男にランクアップした)と実力と礼儀があろうがなかろうがふんぞり返っている人間は熨斗をつけて殴る。盆暮れの時期に世話になった人への挨拶を欠かさないできた女。お願い力。折木奉太郎の薔薇色への憧れは、善良な社会の一員であることは素晴らしいことだという、素朴な社会通念への憧れと同義であろうと私は思います。「わたしは、(中略)過去を吹聴してまわる趣味はありません」は折木への殺し文句(なぜ探偵という職業が警察からお目こぼしされていると思いますか? 自分たちと同じ市民を守る同志としての連帯感からではありません。どうでもよく低俗な雑務は民間人にやらせてかつ責任もとらせることで健全な社会が維持できるからです。わたしが折木さんを低俗でどうでもよい人間だから身内の恥を晒してお願いしているとお思いですか?)として優秀。俺にコーヒーを飲ませろ……。ディオではないが、わたしは折木さんに安心を与えることができます。折木さんは不安定なわたしをサポートしてください、きっとわたしたちはお互いに最良のパートナーとなります。「・・・つまり俺は出来損ないのシャーロック・ホームズでお前はレストレード警部とマイクロフト・ホームズを兼ねているわけだ。ふん、ワトソンがいないぞ。これじゃあ等価とはいえない」「シャーロック・ホームズの冒険を読んでいる折木さんならご存知のはずです。ワトソン氏は法に触れることも逮捕されることも女性だけで住む邸宅に発煙筒を投げ入れて「火事だ!」と叫ぶことも大義名分、 good cause さえあれば実行する人物です。見返りを求めない、そんな人が本当にいるものでしょうか」「ドラえもんの映画でのび太たちの夏休みが何回来るんだ的な話を俺にされても困る。フィクションはフィクションだ」「ホームズの話を先に始めたのは折木さんです」ぐぅ。「とにかく俺に混迷した事態を打開するような解決策を期待されても困る。お前に嫌われるとわかっていていうが、物事の本質は解決することではなくなぜそうなったかを理解することだ。たとえばドラえもんのび太の海底鬼岩城序盤でしずかがバギーの独断を人間の指示に従っただけだと曲解(?)する場面があるが、あれは源しずかというキャラクターがロボットに人間の業を背負わたことを人間が非難するのはおかしい!というおかしな主張が物語終盤にポセイドンに向かって人間を無意味に殺戮するならあんたをぶっ殺してやる!!と手のひら返しをするわけで、なぜしずかは態度を変えて復讐の復讐を是としたかなんてわかるはずがない」 ワールドトリガーの物語序盤で空閑遊真が質量弾レッド・バレットの存在を知り(結構驚いていた)トリオンを瞬間的に質量に変換する技術にツッコミを入れなかった(『シールドに干渉しない』とレプリカ先生も言っていた)ことも今となれば不穏。アフトの角トリガーのトリオン体とトリガーを一体化する思想も不穏。レプリカ先生がブラックトリガーである遊真のトリオンを外部射出する管制を一手に担うAIなのも不穏。もちろん遊真の身体活動はほぼすべて凍結しているのも不穏。身体の拘束を自発的に選ばせてその見返りとして身体の外部拡張をボーダー隊員たちが得ているのも不穏です。身体の熱量を維持するのにAIの助けがなければなにもできない状態。アフトの外世界をトリオンと化して自らの存在を永続化させるのはゲスの発想ですが、なら他の動物を食べて自らの身体の熱量を維持する生命はゲスではないのかと聞かれると、人間は別にいいんだよ?と言っちゃいますね。スーパーの精肉売り場で動物たちに感謝しているかと自らを省みれば、それは・・・。忍田から「○○一党」と、皆殺しにして袋に詰めて燃えるゴミの日に出す(食べないの?)ぞと言われるのと迅から「死んだ恩師の形見よりかわいい後輩の笑顔」と言われるのでは、城戸ではありませんが後者を選びます。殺しはしない。コンビニ人間の古倉さんはシステムに迎合する側というよりシステムと一体化することで人間らしさを体得できると信じている(余暇を人間らしく過ごせないことが、古倉さんの世間の人々への後ろめたさの根源ではないか…?)ので、今務めているコンビニが潰れたら次の職場へとささっと転職して地域密着のコンビニウーマンとして元気にやっていくことでしょう。古倉さんは遊真にめちゃくちゃ好かれそうな気がする。誰かの役に立てないと生きている甲斐がない、あなたとわたしは違う人間です、死んだように生きるより自分が生きたいようにして死んだほうがずっとよい。わたしは人間らしい人間になりたかったのですが、人間らしい人間になったと言われたいわけではなかったのです。ワートリ13巻でカゲと遊真が初対面した際に(人の心を読む……?)と遊真が影浦のサイドエフェクトに興味を惹かれ、村上に「ホントに心が読めるわけじゃないよね?」と質問する流れはいいです。わたしも見ただけで質量を読めるサイドエフェクトを持っているように見せて、「ホントは別の物を見てるんでしょ?」と遊真から質問されたい。それにしても木虎はいいやつだな・・・。ワールドトリガーでは異界からの侵略者に対して国家が常設する軍隊では対抗できない(押し潰す、熱で焼く、毒で殺す、といった古来からの暴力ではトリオン体には決定的な打撃手段とはならない)ので代替手段として人間が本来持つとされるトリオンを軍事転用する(モヤる表現)ことで対抗している。ありもしなかったものを人間が持っていて当然のものとして社会を形成していこうというのだから普通に考えて完全に頭が狂っているのですが、それが多数を占めれば普通となるのです。木虎が凄いのは良きボーダー隊員であれば良き市民と良好な関係が築けると信じて行動し、三雲修のような反社会的善良個体(反社会的だけど善良な個体)も市民の方々の利益になるのならと受け入れる度量があるところです。修がネイバーと通じていたと知った時はC級服務規律違反の比ではないほどに驚いたはずです。話が変わって弓場のフルアタックは本当にカッコいいのですが、防御のトリガー構成を完全に捨てて一対一のタイマン、キマり決った状態から殺るか殺られるかの状況まで持ち込めれば弓場はほとんど無敵です。ただ何事にも例外はあり千佳が全力でシールドを前方に展開し、ケンカはよくないですと和解のために弓場に歩み寄れば、たぶんプレッシャーで弓場は潰れるのではないでしょうか。ヤンキー、ツッパリの価値観はその他大勢とは違う、個体が持つ信念強度(特に理屈はない。理解できなくてもどれだけその考え方を大切にしているか、外界からのノイズにどれだけ対抗できるかで価値が決まる)オリジナリティがどれだけ他者をシビれさせるかでキマる。重要なことは、他者からのノイズによりイライラする状態はヤンキーにとって恥で、まして外に喚き散らす(ヨーコヨーコヨーコ)ことは死をもって償うべき醜態である点です。ボーダー組織内だとまずなによりもトリオン生成能力の大小が問われ、次に組織内からの情報漏洩阻止の徹底を遵守できること、ネイバーからの侵略にどう対抗するかは正直運が大きくからむので順位をつけるのなら理念としては高いが、指針としては下がる。C級が勝手に行動するな。千佳を守ることがボーダーの戦略と合致している。トリオン生成時における肉体が感じるであろう種々のサイン、木虎がボーダーに入隊してから感じたであろう人生初の挫折(平静時の体内トリオン量が隊員内で下位であったこと)、千、万を超える実戦で磨き上げた弓場のトリオン戦闘体の練度(水道の蛇口とバケツの大きさ)、聞いてはならない体内トリオンの質量はどこに行っているのか(千佳はある日突然ブラックトリガーに変身する未来があったかもしれない)。トリオンを血液に例えると同じタイプのトリオンは輸トリオンが可能なのか。(たぶんできる) 千佳と修では持って生まれたバケツの容量がケタ3つくらい違う印象ではある。バケツでないのなら情報記憶量とみるのが正しいのかもしれない。高トリオン体を分割して安全に輸送できる技術の発明は革命的なのですが、可能性の段階で玉狛支部が全力で潰しにかかるので戦争の火種になりそう。ただ大量輸送の概念は個人や団体で阻止できるとはとても思えない。超圧縮と超解凍、超速読。内田桃のハダカを私は見たいんですが!!レイハハベツニドウデモイイ はあはあ。鳩野がレイハを自分が子供の頃から憧れたロックギタリストと同一視している(みっともないとわかっていることはわたしにはわかっているけどみっともないとみんなから言われることは我慢できないくらいにみっともない、が、わたしの大好きなロックバンドのボーカルはみんなそうだったはずなんだ!!)のはただの勘違いなのかもしれない。野呂あたるの人前でケツを出して脱糞することがパンク!という思想は文字通りのケツ持ち(警察には頼らない、ケツを出した男は生涯その責任を自分で取る)なのでしょう。鳩野はまあとんでもない奴に目をつけられたね。歌で人の思想や人生を変えるということは想像を絶する暴力ではあるのじゃよ…。鶴、つるよぅ・・・。人前で無防備に寝る、というのも暴力なんだよ。人に向けて舌打ちして「思い上がってんじゃねぇぞ」と皆がいる中でクギを刺すのも大概暴力ではある。藤井に聞け。あの時オレはどうすればよかったのかを。内田は(まあまあもうバレバレではあるように)自己責任で決断する人間が好きなので、遠野は「ジャンケンに負けたのはオレのせいだから大道さんの提案は受け取れない」「だけどオレたちが合同ライブで必ず活躍すると約束させてくれるのなら、ありがたくその提案をもらうよ」と、調子に乗り過ぎなイタイ発言をすればよかったんじゃないかなー。そして軽音部内で流行る「約束して?」「約束するよ」の嵐。遠野はつまらない男だけど演奏と歌でどれだけ観客を動かせるかは人一倍気にしている。UKロックバンドがアメリカで成功するかしないか、遠野に語らせたら止まらないはずだ。動物の犬がご主人の命令を喜んで聞くのは寝る食べる散歩する遊ぶクソして寝るのサイクルの外にある何かが犬生の余興として魅力的だからだ。鳩野が特別な人間だと厘が信じてやまないのは、おそらく犬の余興を鳩野はかっこいいと本心から嘘偽りなく思っているからです。自己愛が肥大化すると他者を貶めずにはいられない。道徳心や業界の常識はカビの生える温床になりやすい。藤井が折れやすく、そして強いのは「クソが・・・死んでしまえ・・・」と呪いを吐いても世界を呪おうとはしない人間だから。大道が桃と藤井さんはたぶん馬が合う(そして私は置いていかれる)と感じたのは結果から見れば完全に正しい。鷹見が兄の身を案じて世間では兄貴のような人間は世の中でやっていけない、犬が服着て歩いて人間のふりをしていたら石を投げられて死んでしまう、わかってくれよ!!と叫んだ感情は鳩野が無弦の境地に達するとキングダムを超越する変人だと見て知った後だと、わりとどうでもいいことに感じたことだろう。鷹見が異性からモテてモテて、その自分を取り巻く環境に特に感慨を持たない(なんて俺はつまらない人間なんだろう)態度に谷九高校に入学した頃の藤井は鷹見が特別な人間なのだと感じたのですが、最新話まで読んだ読者には周知の事実として大道優希が努力の末に鷹見と同じような環境を手に入れていることが公開されています。そして大道は鷹見にある種の羨望を持っていて、同時に鷹見から特別視されている鳩野に畏敬(イイスギ)を持っています。親友の桃を寝取られた気分だぜ…。そしてなぜか相談される鳩野からの水尾への恋心。「・・・なぜ私?」「なんというか恋愛相談をバンド内でするとよくないことが起こりそうな気がして・・・」「あと私の知る限り、大道さんが誰よりも一番、相手の気持ちを考えて答えてくれそうな人だから」「プ、プレッシャー・・・」(「まあ、深く考えんくてもええんちゃう?」が封じられた!!)鷹見に丸投げするのがサイコーに楽しい展開であるのは明白。谷九高校軽音部の運命は大道優希の手中にある…。ちなみにカイジの利根川の名言、「世間はおまえらの母親ではない」はエスポワールのルール説明時ではなく、電流鉄骨渡りでの参加者募集時の発言です。「負けに不思議の負けはない」は野村さんの言葉ですが、わりと利根川と近しい気がしますね。チームが勝たないと個人の賞与もへったくれもないといった人生観は特に似ていると思います。付き合いきれないといった感情は、親交だけではなく憧憬や嫉妬といった感情にも派生するようで、まあ、もし鳩野が犬の主人を見捨てない義理堅さにかっこよさを見ているとすれば(鎌倉殿の13人のマイフェイバリットキャラが中村獅童演じる梶原景時なのでその可能性は高い)なんだかんだで鷹見との因縁は死ぬまで続きそうです。ハトノの自分は陰の者なのだという自認は人からよく見られたいという怨念にも似た価値観からきているような気がします。世界は必ず猥雑さを増していく。ハンマーで潰した空き缶は熱を持つのに、潰れた空き缶を見た目もとに戻したとしても、発生した熱エネルギーはもとに戻らないように。怪獣の花唄の歌詞は読んで聴いてみると不可逆はこの世の真理みたいだけどこの世ならざる怪獣が騒げば夢は現実に可逆するよきっと、と歌っているようでロマンがありますな。あとすごい自信だ。SBRのジャイロが父親から叩き込まれたのは神の教えは一方通行で可逆することはない、覆水は盆に返らないしネット上に跳ね上がったテニスボールがどちらに落ちるかなんてことは誰にもわからない。人の心が決めた行動が運命を変える可能性などない。プラマイゼロというか・・・。処刑人として罪人を殺し医師として弱っている人の命を救う生活は、殺人の精度を100%近くまで上げていくことは可能でも人の命を救うことに100%まで精度を上げていくことはできない。殺していい命と救うべき命を選択する(しない)ことを、SBRに参加するまえのジャイロは自分はできる(偉大な先祖たちはしなかった)と思ったわけで、作家荒木飛呂彦のジャイロを過酷な目にあわせてやろうという魂胆はすこぶる酷い。「君はDioに負ける!」からの「ヤロ~・・・・ジョニィ…」は大好き。マルコ少年の時は「やめろ~!」と項垂れるだけだった(チョー痛いとこ突かれたから)ジャイロが愛馬ヴァルキリーにぐちぐち文句垂れてるシーンは可愛いですね。自然を相手にしたレースは100%の旅の安全なんて望めない。SBR参加者はみな愛馬の安全を祈っているし、動物に優しくないことで知られる荒木飛呂彦も人が変わったかのように馬を労わっている。資本主義は富める者がさらに富を増やす(生活の余剰分を貸し出すことで更にリターンを得やすい)が、SBRレースは己の身体一つ、1台の機械、あるいは1頭の馬で北米大陸を毎日休まず他人と競い合って横断するレースで、予備の機械や馬の交換は認めていない。道なき荒野も走破しなければならないので、先頭に立つ者ほど事故にあう可能性が高い。1巻からSBRを読み直すとスティールの人生そのものをSBRで再現しようとしているし、スタート前のビーチの無法地帯ぶりにぶち切れたスティールの『このビーチにいる限り『ルール』はこのわたしだ!』は精一杯の虚勢だったと見て知れて、スティールのこともより好きになりました。番宣CMのスティールの声も100%イメージに合っていてもっとより酷い目にあってほしいと願わずにはいられません。記者たちスティールのこと大好きだろう。令和7年10月13日のTBSテレビお昼の番組「ひるおび」で高市新自民党総裁と公明党代表斉藤氏との会談で連立離脱(白紙状態)の話題を報じていました。高市氏の「新総裁がわたしでなければ連立離脱はなかったのか?」と斉藤氏に質問し「誰が新総裁になろうとも決断に変化はなかった」と答えたと番組で紹介され、司会の恵も副司会の八代も「いささかウェット(すぎる)」「俗人的で(正直)驚いた」と言葉を選んで感想を述べていました。わたしも実生活で「常識ないなお前」とよく言われています。先日中学の同級生と飲み会をして、友人から「S氏は君より成績がよかったんだよ?(ずっとね)」と言われ「知らんかった」と答えたら笑われていました。指導者が迷っている時に「みんなおまえに惹かれて集まっている。その理由をもう一度考えてみろ。(結果に責任は持てないが)自覚があれば、自ずと行動できるはず・・・。知らんが」と他人事で言いたい。フィッツジェラルドのグレート・ギャツビーを見るか読むかしてみるか・・・・・・・・。ひるおびを見直してみると、副司会者八代の発言「ぞくじん」的は「属人」的と理解する文脈でした。自民党新総裁が誰になろうとも公明党は自民党との連立を離脱する、との斉藤代表の発言の真意を「高市早苗個人を理由として」離脱するのではないか取れば、「属人的」と受け取れることになります。バックトゥザフューチャーみたいに国会議員年鑑(人事マルわかり!)の未来分でも手に入れば楽しいんだろうなあ。鶴(ふつうの軽音部)の部内人心掌握の礎は部外の人への恋に敗れ傷ついたたまきが、実は周りの大切な人たちを自分が傷つけていた(外見の美しさ、歌唱能力の高さ、コミュ力、異性へのフランクな対応、とたまきに罪はないがことごとく親友の夏帆を傷つけていた)気持ち悪さを認めて、気持ち悪さを認めて、わたしたちは仲間だ!!!とみんなのまえで歌い上げたことの感動にあります。鶴はたまきでさえ離合と集散から逃れられない、そしてそんな現実に信念を持って戦う(しょっちゅう負ける)姿を見て敬慕しており、まあ、誰が何を言っても出会いと別れは最高だ!!!!と脳を焼かれた女に届く言葉はない。彩目が最大警戒をするのは当然である。まるまると健康に育ててから火加減を調整して美味しくいただくのだ。SBR以降、ジャイロが直面するはずだった絶対王政の崩壊後の生きる目的とは何かの問いに、ジョジョリオンでは再興(復興)とは何を指すのかと逃げ場を封じてから質問を質問で返す展開で攻めてきました。常敏はエリートの復活だッと行動するのですが、父親の街の発展に尽くすことが大人の務めでありひいては人々の尊敬を勝ち取ることに繋がるという考えに同調はできませんでした。月までブッ飛ぶこの衝撃…。ワンダーオブU戦も「流れを見る」という意味不明なスタンドバトル(シビルウォー戦を思いだすゼ)で、ノリスケの「人の流れを見るんだ」がとにかく気になるのだ。4部吉良は救急車に轢かれて死ぬし、8部吉良は母に恩義を感じてくれた友のために死ぬ(8部ホリーは4部仗助のように無差別に人を助ける無鉄砲さがある)のでドラマチックなやつだぜ。「ケッ。ボーリングの爪切りなんて超ダサ」とか言わないようにしよう。センスいいですね。ホントに? 犬も食わない人の暗部を曝け出すとか最悪の趣味だわ。幸せを享受する価値のある人間、ふつうの軽音部の元部長、山添の「その内輪ノリをどんどん広げていってプロにまでなったわけで」「そう考えると別にバカにされるようなもんでもないと思っててさ」は祈りみたいな台詞ですよね。喜田と新田が山添を信頼している(そして桃はスゲー嬉しそうなんだなこれが)のが伝わってきてライブ対決の決着は本当によかった。内田桃の笑顔を見逃している遠野元はマジモンのカスである。腕組みしてる場合か。本当に笑えないぞおまえ。(他人の演奏モチベーションに鈍感なのはまあいい。好きな女性の笑顔になるポイントに関心がないのは傲慢と言われても仕方がない。「内田さんはどういう時に笑顔になるのかを知りたい」と藤井に聞け。命令だ)(腹ペコ状態からご飯を食べた時、と言われるだろうがセルフツッコミ) 内田が新田たまきに人間として好意を持っているのは明らかなのですが、それよりも鳩野の尊敬を一身に集めている人物として尊敬していて、はーとぶれいくがprotocol.に勝つのは必然なのだと内田が言い切れるのは間接的に新田が鳩野の成長を促している事実に安堵しているからでもあります。ジョジョリオンでノリスケが常秀のことが心配で心配で仕方がない(高校生(18)にもなって14歳年上の兄にベッタリでグロ注意!グロ注意!ヒャッハーッ!!と自宅で息子が騒いでいれば父親として心配するだろう)のも、ジョジョリオンの本筋とはクソほどに関わらない話なのですが、最終巻を読んだ後に私の胸に去来するのは常秀は少しは成長したんだろうかという一点ですね・・・。常敏が詩人相田みつをのファンなのはジョジョファンなら誰もが知っていることですが、弟や父親など、ごく親しい間柄の人間には相田みつをの素晴らしさを理解して当然だよと軽いパワハラをはじめることがあります。相田みつをが素晴らしいかどうかはさておいて、すでに広く流通し、経済価値を認められたものを素晴らしい素晴らしいと言っているのはトイレットペーパーは素晴らしいと言っているのと何が違うんだと思わなくもない。もちろんトイレットペーパーは素晴らしい。漫画『ワールドトリガー』でブラックトリガーが作中で重宝されつつ同時に忌避される存在なのと、常敏が相田みつをを愛好してしまう癖は、ほんの少しだけ似ていると思う。しおりが雨取を徹底的に甘やかす(玉狛支部の部費でおしゃれ着を買いたいと雨取が言い出したら「許す!」と言いかねないくらいに)のも、ブラックトリガーは本来すべて消滅させるべきものだという思いが、特に女性にはあるからだと思います。個人差はあるにせよ。エスパーなんていたら気味が悪いという魔美の母親と、浮浪者の「社長」が魔美を気味悪がって逃げ回り、「わたしが元手をつくってあげるから昔のように働いて生計をたててみたらどうかしら」との提案に感嘆、おそれいったのは社会の一員になればきっと幸せになれるとおもうの(きみはエスパーなのに⁉)という社会と関わり生計を立てることできっと幸せになれる、パパが売れもしない名画を出血赤字覚悟の個展を開いては通りすがりの名も知らない人たちに見て買ってもらおうとしているように、目的を達成するために努力することはなによりも尊い(うぅ!!!!!)と、人生訓を聞かされたからです。この「社長」は大会社の社長で資本主義の荒波を泳ぎまくって会社を回しているのですが、たまの休日に銀座、新宿界隈でルンペンをしている変人なのです(ネタバレしてすまん)。アニメ版でもきっとこの話は放映されていることだろう。されてた。声優は・・・(アニメ美味しんぼの声あたりから想像する)大原社主あたりのイメージかな。いや、辰さんというまんまな人物もいるじゃあないか。ネット検索をしてみると、OVA版エリア88のグレッグと同じ人が社長の声をあてているようだ。今度レンタルして見てみよう。見た。想像していたよりもアニメの演出がウェットだった。食わずば死ぬ。OVAアニメの方のマリオネットRのウェットさ(食わなくても死なない機械人形に社会基盤を預けた社会)とちょっと通じる気持ち悪さがあったな…。人形側にウェットさを持たせて(いやいや)自分たちは工学的な存在でございと恥ずかしげもなく舵を切っているように生きて死にたいという欲望は一億パーセント理解できるのですけどもね・・・・・・・・・・・・・。家康が想像の2500分1くらいの流した血の量で江戸幕府を開いていたらどうなっていたんでしょうね。流した血の量に適応した結果の世の中であるというのなら、テキオー灯の常時照射における世の中の変化を観測する実験を行うとどうなるのだろうか。単純に生物が風邪をひかない、寒さや暑さに負けない、高圧空間でもへっちゃら、毒にもテキオーしちゃうぞとなると、ほぼ不死身なのでは。ロボットが人間の代わりに生活する世の中と見分けがつかなくなる気がする。愛があるから素晴らしいのではなく、人間らしい生活をしているから素晴らしいはコンビニ人間の真骨頂(人々が古倉さんを惹き付けてやまないほどの魅力を有していない結果により観測された社会。世の中は素晴らしい)で、鬼岩城から鉄人兵団への最大ストロングポイントでもあります。バギーが熱望した未来はロボットを人間のように生き生きと世の中で活躍させる社会なのです。ロボットに人間が見捨てられないように。リルルが鉄人兵団の生みの親の祖となる人物を一発で探し当て、ドラのタイムマシンに乾坤一擲の大博打を強いたシーンは本当にさらーと描かれています。ドラのひみつ道具のセキュリティのガバさは散々ネタにされていますが、鉄人兵団でのタイムマシンの使われ方はレベルの違う逸脱ぶり(藤本氏は大長編ドラえもんでのび太たちは必ず冒険から帰ってきて日常へと戻ると誓いを立てている)で、別の銀河宇宙での人類滅亡と関与して冒険から帰り日常へ戻ることができたのは、リルルの内心の自由をトルクへと変えて運命を蹴とばしたからなのでしょう。天使のような心を持つロボットになりたいというリルルの内心は現世では邪教中の邪教であり、鬼岩城でのエルの内心とちょっと重なります。やましいといえばドラはギャグまんがの範疇を超えた悪意を素で出すセリフでも有名ですが、鉄人兵団の作中でもザンダクロスの中枢コンピュータをさっさと改造して人類の命令を嬉々として聞くロボットに仕立てることに成功しています。アイデアはスネ夫だぜ。ザンダクロス改造のそもそもの目的は、鉄人兵団と軍事衝突は避けられないと見たドラたちが強力な兵器が必要だと判断し、敵側の土木工事用ロボットだったザンダを軍事目的用ロボへと転用させつつ、自律型無人攻撃機として役立てようと画策したことにあります。米澤穂信の氷菓もはじまりは不本意な英雄、関谷純の転向の真実を省エネ主義者のホータローがどんどんのめり込み暴いていくというものでした。短編『大罪を犯す』(遠まわりする雛に収録)で奉太郎は他者の怒り(や悲しみ)を安易に推測するのは大罪であると自己を戒めるのですが、探偵業で犯罪に首を突っ込み真実をバンバン暴いていく輩が口にしていい誓いでは・・・。慰めろ千反田。「政治家の皆さんだって選挙が終われば熱さが喉元を通り過ぎたかのようにきれいさっぱり忘れるじゃありませんか」わかった、ありがとう…。決めつけるのはよくないナ。尾道の間違いに三分の理があると考えるのも学業が本分たる高校生には必要なことだよな。義務と本分は違う気もするが・・・。ここでおまえに尾道の何がわかるんだよ?と斜め左下から切り込んでくる謎の人物がいると笑える。鬼岩城のラストでしずかはバギーの思いを忘れないと誓っているのですが、人の悪いことをいえば「おまえにバギーのなにがわかるんだよ」とほんのちっとばかし思わなくもない。どうしようもなく人の悪いことをいうとバギーが生存した鬼岩城のエンディングがあったとして、機械の意思をゴミ以下としか思わない人間社会(機械に命じたのはもちろん人間)が生存できてよかったねと悪のアトランチスは滅びてよかったよかったと皆で祝っている中ではバギーのタイヤとサスの接地具合は調子が悪くて仕方がないだろう。皆が命じたことをきちんと守ろうとした挙句に悪の成れの果てあつかいされるのでは(鉄人兵団)生まれてきた甲斐がないというものだ。エルがムー連邦内で異端扱いされるのも陸上人と交流があり禁忌の機械科学に精通しムー最上層部に忌憚なく意見をいえる軍人である(しかも下っぱ)と、首相の息子でもない限りは消される運命にあるからです。一万年まえの法律を律義に守り続けてきた国民をなめるな。氷菓の関谷がそうであるように、一方的に同化され、ちょうどよい機会を見て切り離される。ふつうの軽音部の鳩野も転校した中学校のクラスメイトからカラオケに誘われて、人生初のカラオケを披露しクラスメイトから変な声だなと聞こえるよう言われて泣いて家まで帰った悲しいエピソードがあります。とにかく桃は光で(ハトノは闇)眩しいのですよ。彩目がわりかし卑屈な性格なのも、小学校時代に光の精に見えた桃にずっと友達でいてほしいとお願いをしたら「つまらんやつらに文句をいってやりたかっただけで、人間ぜんぱんにはたいしてきょうみはない」と想像を絶する拒絶をくらったせいでもあります。実際のまんがでは好き嫌い、敵味方、といった話には興味はない、です。桃が小学校のノリを維持したまま社会人になれば、吉良以上のシアーハートアタックを生み出していた可能性は高い。つまるところ吉良に高畑でいえば野球、桃なら軽音、関谷でいえば(神山高校の校史の編纂…?)まあ無理か、といった一人では作業達成不可能なチャレンジを趣味として持っていれば、えらいヒーローになれていたのではないかと妄想する。米澤穂信の書く小説の相棒なら「俺は信じんぞ。三つ子の魂ってやつだ」と小学校の話をいつまで蒸し返すんだよとキレそう。よくも悪くも代替できないおまえだけの宝があるのだから変に無理をしないでやりたいことをやればいい。書いてある用法はきちんと守り、書いてないルールは己の良心に従って生きる。小学校時代の小鳩常悟朗は嫌なやつだが己の良心に従って生きる、ある意味で気持ちのいい男だった。はずだ。この世の中に名探偵はいらないと誰かが言ったとしても、おまえだけはムキになって違うと喚き立てると思っていた。ほら、小5の時に同じクラスの女子に「なぜ薔薇は美しいと思う?」と質問して泣かせたことがあっただろう。クラスの全女子から吊るし上げを食らったのに常悟朗は表情を変えなかったじゃないか・・・。「最悪のエピソードだね」「あの頃の僕は一人一派は元を遡れば同じところに辿り着くと考えていた。でも現実は違った。兄弟でも仲違いすることがあるように人の動機は皆それぞれだったんだ。いわば、その薄い動機の膜を認知するための保険としての小市民さ」「——存外、切れ味が鈍ったわけでもないらしい」切れないはずがないのだから切れるようにしか切れない。ニコニコしながら麻酔なしでささっと再縫合をはじめる(インフォームドコンセントはない)。呪術でいえばサイコロを転がして双六に興じる遊びがパチンコに化けたように天元の結界術が何某かの陣取り合戦ゲームを模した遊び場の提供(御三家も込みで)であれば——天元への人身御供はルール保全の環境整備ということになりますな。ルール保全のための勤勉さ。punkとは鳩野みたいなやつのことや。(うん?うーーん?)ネットミーム漬けの鳩野がジョジョを知らないはずはないのだ・・・。また重ちーが顔を出してきそう。対価を払うスタンド・・・。自分にできないことを他人にやらせようとしている悪…。不思議の「不」はどっからきているのか。不可対称性。ポルナレフではあるまい。まぁ、おっかぶせようというのは後期ジョジョの典型的な悪(重ちーとブチャラティには自分自身からの怒りは他者に向かいにくい)。ホームズのように自分自身の欲望を自分で語って行動し、ワトソンに尻ぬぐいさせてるのもなかなかに最悪ではあるのですが。壁外人類がいると知ってがっかりしたとエレンが言ったその場にジャンがいたらなんと答えていたのだろう。そのかなり後の「俺はおまえたちが大切なんだ」(だっけ?線路工事の帰り道でエレンが皆を赤面させた事件)でジャンなら「俺たちが大切なら大事なことは独りで決めないでここにいる連中に相談してから決めろ。ライナーの二の舞を演じるというなら俺はおまえなんて大切だとは思わない」と言ってやれ フロックの「なあ昔のジャンに戻れよ。おまえはそんなやつじゃないだろう?」はまあまあその通りのなのですが、「エレンが大事な相談を俺じゃなくておまえにしてたことがムカつく」(誰が大事な相談をおまえにするんだよ、)とどいつもこいつも俺をなめやがってとミカサに言ってみようジャン。「ジャンはどうでもいいけどエレンが私に相談してくれなかったことが悔しいのは同意する。ジャンはどうでもいいけど」「(なんで俺を肯定してくれるのがフロックだけなんだよ・・・おかしいぜこんな世の中)」「(エレンおまえもこんな気持ちだったのか・・・・・・・いや、あいつはやっぱり俺とは違う)」快適な内地での暮らし(進撃の巨人~)に拘るのがジャン・キルシュタイン。フロックもエレンも別にジャンのために働いているわけではないが、結果としてジャンのような一生母親のおっぱいでもしゃぶってろと同僚の女性から罵倒されるような男に外を見て生きていく社会性を与えたともいえる。社会の窓というか・・・・・・・・・・・・・・・・・。ふつうの軽音部の最新88話、まだ読んでないのですが、どうもふつうの対価を払う努力をしない人間をレイハが痛烈に批判している内容になっているようです。なんとなく鳩野が桃を好きになった理由とレイハに敬語で話しかける鳩野の心性が重なります。はとっちのいい所は有名人はその光の代償を払っているはずだ、腹が空いたらお腹が減るのは当然なのだと理解していることです。自分が傷つけた父親がわたしを恨んでいるはずがないと傲慢に信じていることと表裏一体です。ちなみに大阪、天王寺周辺は大阪でも治安の良いことで有名なのだそうです。なんだその説明…。川崎のラチッタデッラがハトノのダサくないオシャレなイメージで、ナンバガのボーカル向井秀徳がカッコイイ代表なのね。まわりがナンバガのファンだったりしたら火に油を注ぐようなものです。かわいくてかっこいいはまわりの審美にとって、とても重要なのだと思いますね。鳩野は周りからナメられていることには敏感なので「ハトノ氏はかっこいいですね」とまわりから言われたりしたら水尾も引くほど浮かれてしまうことだろう。信じられないほどストレートに褒められた。向井秀徳並みにかっこいい!!!!!!!!???????(言ってない)画一化の対義語は… 9巻読んだど。遠野聞け。ダバってなに?ダバ返上するにはどうすればいい?ぐいぐい聞け。人生変わるど。そういうとこがダメなんやお前は・・・ジョー・ストラマーも言っている。「パンクイズアティチュード、ノットスタイル」外面で構えようとしてる(四角四面は金よりも好きなのだが)のはパンクではない。野呂から聞いた。虎に翼の第一週で寅子の父、猪爪直言は長男の祝言で羽目を外しまくり寅子は傍観者として女性陣のすまし顔に強烈な違和感を覚えたのですが、父の顔を立てようと宴会ソングを大声で歌ってその場は過ぎ去りました。外面で構えようとしているのはパンクではない。タバコ(を吸うの)も税金を払って国に貢献する立派な行為でパンクではない。立派代表穂高先生が狙い撃ちにされた面は否めないな・・・。池に浮かぶ月影を掬いあげようとするかのごとし。桂場の恩師に対する最大の批判は実弾の代わりに前途有望な女性たちを兵士に仕立て上げた(桂場は法律家が法律で死ぬこと自体にはなんの感慨もない)ことの意義を、先生は最後まで示すべきだったんじゃないですかと妹弟子の寅子を慮る場面ではないかと思う。つまり寅子の努力を先生は(先生だけは)誰が見ていなくても私は見ている、だから安心して頑張りなさいと鼓舞すべきだったんじゃないですか(喜んでヴァルハラに行け。いやフランス法学だと自由と博愛に召されるのか…)と。寅子は不満よりも怒りが勝る法律家だと桂場は見ている。はず。少し前に完結したショーハショーテン!で作中の最大ライバルである絶対高校生王者、絶唱サンドバッグの印象ははっきりいって薄いのですが、作中で一番語りたいのはこのコンビです。全然面白くなかったのですが、畦道の父が全然才能のないフォークシンガーでも愛は届けられる(はず)と終わりのない地獄を夢と希望の20代を糧にメジャーデビューを夢見ていたエピソードと絶サンは重なります。人にウケる才能が人を幸せにするのか、です。畦道の父親はもし才能があったとしても、絶サンのように人を馬鹿にする才能に開花していたのではないか、俺のことを馬鹿にするな、という絶叫を救ったのが今の奥さんというちょっと救い難い過去話を聞かされて畦道のお笑い芸人としての人生は始まっているのです。絶サンの俺が救ってやる証明してやる完璧な実績を見せつけてやる、は畦道の父に対する宣戦布告だろうがよ・・・。ガラ靴の背の高い方岩清水の勝った時はメシに誘っておいて負けた時はそそくさ帰るってのはカッコつかないからチャンピオン、メシに付き合えというのはイカす。傷心の畦道を見届けてから水飲んで落ち着いたら笑-1も優勝してみせろよと目標を示すのもイカす。その後スベ散らかしたらしいのは笑う。寅子がイケメンの恋人と裁判官としての実績を手に入れたらヒリヒリとした面白さが消えていた、星長官にワッハ師匠みたいな憎たらしさがなかったのは悔やまれる。ワッハ師匠のモデルは笑福亭仁鶴なのだろうか・・・。グランデ谷津川もモデルが誰なのかさっぱりわからない!あの因縁のグランデ単独ライブチケットを断った話「面白いことを やる方なんですね」はいつでも笑えるな…。今、思い返すと太陽は本当に自信がなかったのだ、あの時は。アメリカの国旗の星の数を聞かれても正確には答えられない確信があるほどに。太陽の母親も(父親も)傍目からは成功した人間に見えていたのだろう。他者の歓心を買うことが幼年期の太陽の最大関心事で、その実現には「社会的に成功した人間になること」がきっと一番に違いない、皆が褒めそやすことを実行できれば母も(父も)喜んでくれるに違いないのだと邁進したのでしょう。ガラ靴の背の小さい方ひまわりと太陽は似ています。 「母親を笑わせるなんて 楽勝もいいところだろ?」はショーハショーテン!のいいところが全部詰まったセリフです。たしかに椚は神だった。コーヒー飲みたい!!!という時にあったかいコーヒーを給仕してくれる早坂が来てくれたら「神!!!」と叫んでしまうのは当然です。悲鳴をあげたくなるほどに椚と祭は対の存在だったのね・・・。かぐやさまで男性は社会的生物でなければ死、あるのみという思想はけっこーキツいのですが、白銀の場合はそれが人生のすべてなので他人からとやかく言われる筋合いはないのね。くさったミカンというか・・・。ラベルを、誰かに貼ってもらうべきなんだよ。チームプレイの司令塔に生かされて、面白さは生きるんだ。ラベルを剝がされた泥谷がショックのあまり当然の権利だと思い込んで椚に復讐に走るのは太陽から見ると甘ったれにも程がある(作中、シュプレの鉄平太のセリフで「笑うとは、一種の敗北なんだ」と述懐するシーンがあるのですが、なら「泣くことは、真の敗北である」といえるかもしれない。いや、実際マンガの中ではだれがどう見ても敗北したでしょというシーンで皆号泣しているのだ…)。楽勝なら涙が引っ込むという理屈になりますな。(屁理屈) ガラ靴の「クラス一軍は皆つまらない」も泥谷の劣化バージョン群にダメ出しをしているのですが、岩清水が女子高のクラス内でギャグを振りまくひまわりに(絶対口にしないが)天才性を見ていることの裏返しでもある。勝って証明してみせる、実績を見せつける、だれに?という話は私のほとんどすべてですね。ほとんど興味がないくせにね・・・。魔美の母親と畦道の母親は人が良さそうではあるが、社会不適合者そのものの男性に人生を賭けてみるのが凄い。畦道の父親は憑き物が落ちたようにフォークソングの世界から足を洗うのですが、どれだけ惨めだったのか想像もつかない。ショーハショーテン!本編は、息子と娘には絶対に自分のような惨めな思いはさせないぞという父親の情念の物語でもある。虎に翼と似ているな…。畦道が父親の心象を聞いて知ったとしても、いや実際に本人から聞いたわけですが、相方(太陽)がいるとそう無謀な話でもない、初ステージの演目「東方太陽withX」で太陽のアドリブの実力に底が見えないことを知り、ついに底が見えなかった(怖い)。実際、演目「ミュージカル」でド滑り確定のネタを笑いに繋げたのは太陽の舞台上で人を惹き付ける才能があってのものだったし、畦道の誠実さも華がなければ舞台上では意味がない。怖い所だな舞台。泥谷のお笑いへの姿勢はシュプレなどからは本腰を入れてない状態だと思われていたのですが、高校生活の思い出作りの一環としてのお笑い活動なのだとすれば、泥谷の姿勢は常識的で普通だといえます。クラスメートにどっかんウケて、だべったり遊びにいったり、たまにお笑いステージに出て友達からやんややんや言われて内輪で盛り上がるのなら、いったい何に文句を言われる筋合いがあるというのでしょう。ショーハショーテン!では「射程」を蔑ろにする姿勢は悪だとほぼ断じている(原作者の朝倉氏が高校のクラスメートの前で漫才をして、同クラスメートの女子から殺意メラメラに睨まれたエピソードはその典型です)のですが、神が常に正しいかというと、神もかなりいい加減だと言わざるを得ません。畦道がドン・ザ・キッドの岸辺からアドバイスをもらった時は、岸辺の態度は射程がかなり曖昧だったといえます。本業の人間が高校の生徒に大人の都合も考えてしゃべれ、俺たちの時間はタダじゃないんだぞとビジネスの礼儀をやんわりと教えて、いじめられっ子が俺の前で反撃もしないで負けて帰るなんてことは許さない、俺の都合も考えてくれやとプライベートをさらりと見せるのはズルい。ヤマグンから震源地でテキトーに噂が広まっている可能性もあります。射程には共感が必ずついてまわっています。ラベルを貼った者には責任と呪いが付与される(決して本当に欲しい物は手に入らない呪い)。いや、だとしたら太陽にラベルを貼った人間には銀河級(太陽系級だろ)の呪いがいくじゃん…。QSCを整えてお祓いをするのだ!! 石清水のシンデレラコンプレックスはヒビの入った共感と射程への反逆(椚と出会っていたら結構な不信感を持ったのではないか。臨時コンビでお題「シンデレラ」を演じたらガラスの靴は何に化けたことだろう)であり、みんな共感してますよという煽りは岩清水には効くのだ。ぜひラベルを貼らせてください。太陽が気持ちいいのは、あいつ、自分でラベルを貼るという行為の切れっぱしも持ってないのに、絶望の淵にいる畦道の父親に「才能あります」「保証します」とラベルのバーゲンセールをするおバカさんなとこですよ。今気が付いたのですが、本当に欲しかったのは相方だったのですな。ボケは「才能」、ツッコミは「努力」。M-1のDVDを注文してみるか・・・。檜山教授の採点が、ガラ靴「87」神風出世魚「82」いわしつよし「85」ぶるーたす「86」特盛り「80」シュプレ「88」ライジン「93」柴犬世界一周「90」天片「94」絶サン「81」、なのだ。ちなにみワッハ師匠は、ガラ靴「95」神風出世魚「87」いわしつよし「81」ぶるーたす「95(!)」特盛り「77」シュプレ「98(!)」ライジン「92」柴犬世界一周「94」天片「95」絶サン「86」、稽古の量を加点しているのは明らか。檜山教授とワッハ師匠との採点の差が大きいのは「ぶるーたす」と「シュプレ」。いわゆる「コント漫才」と「しゃべくり漫才」で、どちらもワッハ師匠が大幅加点をしている。特にぶるーたすの95点はちょっと破格で、泥谷と新田のコンビが気に入ったのではないか。いやまてまて。泥谷の金持ち設定は嫌みたらしさ鼻持ちならなさを笑いに変えるための布石でコントっぽいが泥谷本人の素を出しているのでしゃべくり漫才、なのだろうか? 私の人生で一番見て聞いて笑ったコンビ芸人はおそらくオール阪神・巨人なんだよなぁ・・・。生活笑百科をほぼ毎週欠かさず見ていたからです。見た目が面白そうですよね。天片はショーハショーテン!でずっとやってきた距離と共感の賞レース総取りを目論む邪道コンビなのだ。いつも変わらずにそこにあることに無頓着である、と言い切るのは悪意に満ちた見方なのですが、システムは善意でも悪意でもない。NHKで毎週お昼に漫才が見れる幸せを全世界が平和になってないのに享受するなんて不道徳!と断罪されるとなかなかに辛い…。ラッパーが司会者だとすれば笑福亭仁鶴は名ラッパーということになるのですか。次回、彩目怒る。(誰よりも特別扱いしてくれる桃が実は誰にも特別扱いしない異星人だった衝撃。忘れていないだろう)遠野は彩目にさんざん(飲み物を)たかられているので、しょーもない意味で彩目の特別だといえる。「あ。こいつ(遠野)今、桃にキショイレッテル貼られた」女性から虫を見るような目で見られると傷つくよな遠野…。蛇口をひねると水道水が出てくるように、何も考えずに自己の行動を決定できる環境はよい。彩目がガーッ!と怒れるのも、鳩野たちがてへへへ・・・と自己の行動が他者にどう影響を与えているかを顧みる余裕があるからです。彩目の判断は他者から見て納得できる理由があるのだ、と鳩野たちは彩目を信頼しています。彩目が鳩野たちにいいように使われている、ともいえる。意趣返しの萌芽が空振りに終わるのはいい。ここでジャイロやシーザー、あいつらかっこよかったなあと思ってしまうのでは、もう一生救いようがない。太陽が2個以上あってもらっても困る。おっぺけぺー
とんでもない弾圧を受けた後にどう立ち回るかはその人のユーモアセンスが問われるのですが、気持ち悪いのは自分だと堂々と言いたい(親友の夏帆に言わせそうになった)と新田が走りだし、前バンドメンバーは置いてけぼりにされたシーンは今になってじわじわと胸にきています。何もかも持っているように見える人間を何もかもは持っていない人間が世間に噂を流布する。普段の自分の行いを顧みずにはいられない。大道が鳩野に尊敬と苦手意識があるのも同学年で一軍トップにいる鷹見にケンカを売られて臆せずに買うは才女幸山厘に心酔されてるは軽音部の立志伝中の人物でもある新田に可愛がられているはでテングになりそうなものなのに自己評価が低い、鳩野の心性に驚きを感じているからです。幸せなのにこれ以上望んだらバチが当たる、大道の幸せは多数の感じる幸福を引き受けてバチは当たらないように調整すること(幸山は大道をわきまえている人間と見ているのだろう)で、彼女は努力教の敬虔な信者なのだ。エスパー魔美に繋がったな・・・。飼い犬は努力(?)しても人間の都合で捨てられる。大道は絶対に捨てない人間で、ふつうの軽音部の作中で桃と元は捨てられた子犬状態でしょげているところを大道に救われている。野呂と鳩野のダブルパンチは身内外と身内のやらかしを純真無垢水尾に見せつけるという奇行に走りがち。この3人にストッパー役はいない。野呂のおじさんはしずかのバギーに見えるので、おじさんがアル中から脱してくれないと困る。野呂はパンクに傾倒しているだけで常識は誰よりも持ち合わせているのではないか。パンクが憲法なら野呂は総理大臣だな。(仕事しろ) 数志が七道高校との合同ライブで部長として一皮むければいいのですが・・・。鶴に部内を掌握されている現実をみて「めっちゃ心強い」と鶴にいう男だからな…。退屈することの恐怖を、数志はまだ想像したことがない。新田たまきの持つ軽音部への愛情は一筋縄ではなく、コピーバンドの優劣に勝ち負けもないはずなのですが、マウント取りに精を出し男女共にゴシップ話に忙しい谷九軽音部を新田は好きだったのです。大をつけろよデコ助野郎 将棋連盟の改革は、対局は死合いなので遅れた奴は死人と見なす(あ、お前生きてたんだ?)慣習の全面的な刷新も含まれているように感じます。そばもおもちも食べたし新年があけました。健康で昨年を過ごせたことに感謝。暴飲暴食も良識の範囲で収まるように頑張るぞ。年末にスーパーの特売で1個106円(税込)で買ったいわしの缶詰でオメガ3脂肪酸を確保するのだ。身の量が減っている気もしますけどね。将棋連盟も新田たまきも、ついでにいうとAKIRAも、子は親のエゴの塊なんだから悪いけどそこは認めてくれん?と言っているような感じですかね・・・・・・・・・・・。聞いとるかハーディン? アカネイア貴族連合を粛正しまくれば闇にも落ちるヵ 家康は顔色変えずに改易しまくった印象がありますね・・・・・・・・。どうする家康を見てみるか。秀吉側に寝返った家臣は誰だったっけ。榊原康政だっけとググったらどうも間違えたらしい。加賀さんがフリーで作ったヴェスタリアサーガのゼイドの軍師役が敵対する陣営に寝返るシナリオが始まったら夜も眠れないな・・・。髙羽史彦の呪力はお笑いに真面目じゃない奴への不満が募り(刑事事件の被疑者に対して検察が起訴すれば99.9%の有罪判決まで持っていける現実が日車には現実とは思えなかった、ある種の異界に思えたように)羂索と通じて理想のお笑いの箱を出現させている。チョケることと判決を勝ち取ることが同義になっているのです。社会的に正しいのだと分かってもらえて、それが嬉しい。でも相方はできなかった。日車の相方はいい根性をしていますよね…。ヤングアニマルwebで読み切りが載った 森下フミコの反撃/読み切り安田剛助、を読みました。メチャクチャ面白いです。ただひたすらにひかりがおもろい。わたしの財宝を超える人間など存在しないッ!!!!!!!(ギルかおまえは)fate sword 因縁や運命を断つ剣。(基本的に)終わらない物語に終止符を打つ剣。自分のハラをキル剣だろう、それは…。 トリスタンがネタキャラになるのは必然では…。「人の心がわからない」「嘘をついている自覚がない」「闇を飼っているのが自分だけだと思っている」「闇オーミチの可能性についてほんのわずかでも考慮したことがあるのか」「」「遠野の辞書に深慮遠謀という言葉はない」(いやホントは二股だと思うけどね) 大道さんに「遠野君は(内田さん以外の)他のバンドにあまり興味ないから」と言われてほしい。劇光仮面の登場人物、切通アキノリは我慢がならないことにどう対処していたのだろう。劇光仮面1巻はほぼほぼ切通の物語であり、劇中の背骨である劇光は切通が見た光でもある。自分たちが子供の頃見ていた光が、本物の人たちが造った本物の造形だった、ということが劇光「仮面」よりも切通には重要だったのね。常に思考が怪人、改造人間の方に向いていて、いかに生を充実させるかが大切で切実であったと思われます。スフィンクスがそこに在るのは、切通には自分が生きている証なのだと思えたのでは。そんな重い男に告白された真理りまの心情は想像できない。(嫌に決まってるだろう) 最新刊の中野はノリノリ過ぎる。キボーガーを山間地で運用するとかまあまあ正気ではない。悪のクマ退治、鈴木少年(二矢)のたっての願い、対等以上の相手とタイマン相撲と燃えない理由はない。御託はいい。立てキボーガー。 実相寺の気持ち悪さと中野の誠実さ、特に実相寺の肌感覚で気色悪い必死さはどうにも拒絶反応がでるのですが、ミカドヴェヒター自体が死体の再利用品なので実相寺に自分を守るという概念がかなり欠けている。そのリビングデッドが非力で将来性の塊である鈴木少年役を担うという倒錯性(ヴェヒターよォ!)。実相寺は認められないんだよなぁ・・・。自身のぬるま湯の生活を守るためにやむを得ず立ち上がる構図。特撮と現実は地続きだと、いや、現実は特撮の地続きだと認識して生きるのが特美研の美意識で切通の太古の人類は夜空の星を見上げ、そこに神秘を感じて生活していた。特撮造形は星に手を伸ばす人類の見果てぬ夢なんだ(といってから伏龍の話が始まる)。キボーガーが対テロの暴徒鎮圧用兵器としての出自なのも伏龍との関連性が高い。中野は機動隊の出ですしね。ティガのイルマ隊長の「ティガとはじめて会った時、わたしは神を見たと思った」「でも違うのね」「ティガは人間だった」「必ず勝って、ウルトラマンティガ」の流れは熱い。そして危険だ。ハーディンが外様も外様で主君の血筋から消去法で選ばれていた(周りもみんな知っていた)、母方の家系は重きを置かれない(の?)、ホエルンがやたら強化されたらしい(ゲーム違う)、ホエルンに生粋の致命反撃を授けよう。スキル貸与。とんでもない疫病神が疫病神らしく退陣するのがウルトラマンティガ・・・なのか。神に義務はない。空気軍神現る。大魔神っぽいよな。見た事ないけど・・・。呪術廻戦の敵キャラである羂索が嫌いなのはやりたいことを実行するには五条悟が邪魔なので徹底的にその除去に努める真剣さにあります。髙羽と組まれると羂索の緻密さと髙羽の術式の即興コント力(こんとちから、と読む)でなにもかもが有耶無耶にされる地獄が生まれる。いつまでやる気だこいつら。ティガの最終回が人間の心がウルトラマンの力を動かして勝利したのだから、ダイナの最終回はウルトラマンの心が人間の業を燃やして勝利するのが筋でした。ウルトラマンの心性はゾフィーを見るまでもなく魔性ですけどね…。侵略してくる宇宙人の方がウキウキでやってくる感じがするなぁ。お伊勢参りに行く江戸市民の感覚で侵略しに来ているのでは。セブンはくそまじめですよね。メトロン星人は茶ぐらい出したのか? 四字熟語の一つである虎渓三笑、聞けば日光東照宮の彫刻の中にも題材として存在してるそうです。絶対に渡らないと決めていた川の橋を旧友たちと語らう楽しさに夢中となり、うっかり禁を破ってしまう場面の彫刻です。三猿とずいぶん温度が違うなと言わざるをえない。ネットで調べると得体の知れない仙人や賢人たちが陽明門にはいるそうです。中国の上海にある玉仏寺の珍妙さを思い出すぜ。家康は死んでから遁世したかったのですかねえ。葵 徳川三代で前田利家を演じたのは・・・(検索)北村和夫。その息子はNHKの朝ドラ「おむすび」でヒロインの父親役を演じた北村有起哉ではないですか。意外です。おむすびの松平健が演じた爺ちゃんはかなりの自由人でしたが、その子供の長兄は苦労するとしか思えない。次男以降はあほみたいに楽しいのでは。漫画「BLEACH(ブリーチ)」と呪術廻戦は切っても切れない関係ですが、長兄のスタンスという観点から白哉と甚壱を見ると、まあまあお互い苦労している(のではないか)と想像します。しがらみの頂点に近づくほど苦労ばかりが増えていく、五条悟も例外ではないです。相撲だけしていれば幸せ。カッパ(三代)の簡易領域が相手の領域の必殺必中効果を上回る、例えば五条の無量空処とカチ合うと相撲の無限の可能性に上書きされて五条側に流れ込む(最悪)のなら、とりあえず平和でよろしいのではないでしょうか。羂索はコロス。「みんなチョケてる俺を見たいんじゃないの?」と小学生髙羽のわりとギリギリな思いを受け止める大人の髙羽がすこし切ない。脹相も父と母は子供たちの成長を楽しみにしていたのではないかと弟たちに聞かれるまえに確認しておきたかっただろう。俺を助けろ虎杖も悠仁は俺に気を遣ってくれいていると感じていたかもしれませんが、実際にあの時の伏黒は本当に困っていたので本心からのお願いではありました。東堂ぐらいですよね。あいつのデリカシーを心配するなら恐竜が絶滅した隕石の衝突回避方法を模索したほうがまだ建設的だと感じるような人間は…。東堂が高田ちゃんを比較対象として見てしまうのか(高田ちゃんのどこが好きなのか)はちょっと気になる。酒を飲んで高田ちゃんと他のアイドルを東堂の前で比較、論じてしまうと血を見ることになるはずですが、宿儺を怖がらない裏梅を想像するように、東堂を他の人間と大差ないと楽しく相席できる人間にはなりたい。(「東堂葵。親切な奴」と謎ワードがふと口に出て来て笑ってしまった。たぶん殴るまえに呪力総量と呪力の流れをチェックするために「10秒後に腹を殴る。守っておけ」と東堂は言いそうだなと思ったからです。まず「店の外へ出よう」からだろう…)獄門きょう(漢字!「疆」)の作動原理について延々とダベっていたいな。NHKの朝ドラ、ばけばけでヒロイントキは親友サワの人生の一大岐路に立ち会いました。ここで呪術廻戦の日車には師匠がいなかった(と思われる)のを思い出す。自己領域の拡大と罪の裁定(術式の剥奪)、刑の執行(受刑者には可能な限りの抵抗を認める)、なんというかおまえは何と戦っているのかとつっこまずにはいられない。頭にきたクソ師匠と戦っているのなら可愛げがあるのですが・・・。たぶんこの世の不条理に怒っているのだよな。妖怪でも召喚しろ。宿儺が気に入っておもちゃにするはずです。待ってやるから反転術式で治せ。できなければ死ぬぞ。日車と髙羽の術式がカチ合うとNHKの深夜コント番組ライフ!が始まりそう。「Ms.釘崎、可愛さとは何だ?」「たぶん、幸せになると漠然と信じていることがかわいさの正体だと思うのよね」「死ぬときに微笑んで死ぬじゃない?」「あれってこれから幸せになると信じているからだと思う。自他共にね」死んであの世に行ってから「こんなはずじゃなかった…」と生前の後悔を繰り返すのとセットね。羂索と釘崎はメチャクチャ反りがあわないだろう。クソみたいな故郷と天国みたいな都会、クソみたいな因習と天国みたいなアクティブ志向。因習とアクティブの天国合体が羂索だといえます。戦後の炭鉱開発による地域発展みたいなものかな・・・。水源と燃料と水産物、肉、野菜類が豊富に取れて爆発的に増える人口も充分に賄えるならあと必要なのは娯楽(と医療)だけだろう。教育はどこだよ!!それは雑魚の思考だ 鉄腕アトムの青騎士は読んでないんだよなあ・・・。朝日ソノラマ社・月刊マンガ少年別冊ではたして刊行されていたのかどうか。(されていたらしい) BS4Kのウルトラセブンの放送を時々見ていますが、宇宙人がやたらセブンに馴れ馴れしいのとノリがあまりに調子がいいので「こいつら心の底から侵略を楽しんでいる・・・ッ!」と変な気分になります。故郷に帰ったら地球はこんなに楽しかったよと長屋の住人たちに話して聞かせるのでしょうね。ワートリのネイバーたちがこのノリでやってきていたらと思うとすべてがあほらしくなります。(つまり幸せになるためにノリノリでやってきている。本人たちに悪の意識は微塵もない。自他ともに幸福になったコナン・ドイルや!) 佐殿にやたら馴れ馴れしい北条時政(官位が己の領地の保証になるのなら魔除けの類には誠心誠意「の態度」をもってあたるのは当然)は存在しない。魔除けの苦労を考える人は変わっています。頼朝のことを悪く言っていた三浦の息子も、小四郎を相手にしていた時にだけべらっべらぺらっぺらとしゃべりまくっていたのだから、時政から見ればゲラゲラと笑える光景だったことだろう。石橋山の戦いでの時政の名乗りは大変気持ちよさそうで私はいつ思い出しても殺意を覚える。いや、まあ、本当に気持ちよさそうだなあと思うのですけれどもね。時政の生涯であの時の気持ちよさを上回る戦名乗りを目撃したら、嫉妬で乱れ狂って死ぬのではないか。善人は名乗らないというか…。伏黒の姉、津美紀は個人情報云々を別にしても、困っている人を助けても名乗らないと思う。東堂や悠仁の爺ちゃんもまた然り。伏黒の言う「芯の通った人間が好き」はまあ、助ける人間は別に誰でもいい、その時の気分で助けるという暴走善意の人かもしれない。領域展延を使い、高い基礎体術に空中ダウン属性攻撃とガード上からケズれる百裂の拳と脚を持つ暴走善意の呪術師を完成させよう。ダイの大冒険でバランが他者の竜闘気を支配できたのか(そんな環境はない)、竜闘気に細かい制御方法はあったのか(必要ない)、闘気と臆病さは同居できるのか(勇気は臆病さを自覚できる者のみがきちんと扱える)、おしりぴりぴり病は闘気と関係があるのではないか(ないよ)、いろいろ気になります。確かロン・ベルクはポップの親父さんから「かなりの変人」と評されていたような・・・。日車の誅伏賜死で五条の無下限を没収できるかはわからない。日車の領域内で大人が子供みたいなことを始めたら咎められるんでしょうかね。有罪!有罪! 絶対に完成しない(観客のいない漫才のように)メタファーでもありますね、ロン・ベルク。アバンとベルクは因縁が出来てしまった。究極的にはアバンもベルクも他者の承認を必要としていない。どんな偉業を成しても他者があっての自分、というスタンスを(たぶん)死んでも外さないのでバーンみたいに気前よく褒美を与えるという親しみやすさがない。ティガ→ダイナ間の違和感も、いってしまえばティガへの信頼(と願い)をティガ自身はなんとも思っていない(と思われる)ことへの違和感ですな。TV時代劇のヒーローが悪をばっさばっさと成敗していくことへの、俺の納得性といいかえてもいい。私が納得しない以上、認められない。ロン・ベルクは他者からのアイデアで想像もしない武器を作れたら、俺はつまらないことにこだわっていたつまらない魔族だったんだなあと(ベルクさんが死んじゃう!!)言うかもしれませんね。ベルクスシリーズが出てきてしまうと、竜の騎士たちの出生のひみつにアバンが絡んでしまうのではないか、バーンが正体をぼかしてアバンに語りかけてしまうのではないか、要するに配下にならないかとリクルートするのではないかと危惧されます。「病原をより積極的に撃滅するワクチン、それが竜の騎士だ」 完成された竜の騎士は、愛も憎しみも持たないからね・・・。ドルオーラを直視して戦意を失わないおっさんはちょっとどうかしている!!! バランが冗談で口にした「私が気に入った連中は皆、魔王軍からいなくなる」「ハドラーによほど人徳がないのかな」は、ダイの大冒険の世界の冷たい真理をついている。やせ我慢と死にたがりの呪いに満ちていることに。ハドラーはバランに怯えていたのですが、やせ我慢と死にたがりの洗礼を受け入れてバランと並び立ったのです。フローラがハドラーの顛末を聞いたら(誰から聞くんよ?)まず呆れるし、アバンに聞くまえにポップを問い詰めることだろう。「——で、大魔道士ポップくんは彼のことをどう思うのかしら」「」「ひ、姫さん。こいつはまだ若いんだ。勘弁してやってくれ・・・」(オレ一人じゃむりだ!!!!!!) 初代劇光仮面にも通じることですが、退屈で退屈で仕方がない(死に損なった)ので人生を充実させるための趣味活動をしていたら光明がさしたわけです。我が世の春が来た!バーンの魔界大ふっかつ作戦も魔界の住人の幸せのためかというと、・・・・・・・・・・・まあ、そんなことはない。魔界に太陽光が差したら大激変時代が到来するのは確実で、バーンの機嫌は最高潮で三神は頭を抱えたことだろう。肝心の竜の騎士も結果から見れば子作りした後にバーンの勧誘に乗り竜の騎士の性能を存分に発揮してから死んだ(大学に通っていたはずの息子がテロリストになっていた親の気分)のだから堪らない。ごめん、言い過ぎた。娘が大学を卒業したのでフランスの料理学校に留学をさせようと思っていたらラーメン屋になっていた汐見ようこの気分くらいかもしれない。欲望に突っ走る人生。原田編で原田とゆとりのニアミスが起きかけたのはかなりスリリングでしたよね…。ゆとりの「ヘルシーで美味しくてチャンとしているけど、ラーメンと違って全然ワクワクしない!!」「ママの料理と同じよ!!」 は原田の爆弾をかする予感もする。年老いた母親が以前のように料理が作れなくなったのを嘆くシーンをなにかの作品で思い出せるかというと、ない。死なない程度に栄養を補給する方法はいくらでもある。バランたち竜の騎士が母親の優しさに触れるのは死んだ時だけなんです。竜魔人は死を与える。ハドラーが心の底からバランに怯えるのはまったく正しい。じゃあバーンがバランからハドラーを守ってくれるかといえば、寝言は死んでからいえとしかいえない。楽しい、面白いと感じていた作品が冷え冷えとする世界の産物で、それに気が付くとなにが楽しくて面白いと感じていたのかが分からなくなってくる。沽券至上主義を提唱してみたい。クロコダインの張子の虎発言は最終決戦のバーンが口にした「敗北よりは良い」に直接かかると思うのですよね。たとえ二度とは元にもどれなくとも・・・勝利(しょうり)! その二文字のためになら・・・ 本物の呪いなのですが、「勇者アバンと獄炎の魔王」でロン・ベルクが出て来てしまったので、争いに勝つための武器と、戦いに臨む戦士は一心同体だと彼なら言うでしょう。沽券! 端正なラーメンを食べると「二度目はない(かな)」と思う確率が高いのと、高級ホテルでフレンチを食べたときの「もう二度とない(だろう)」は普段使いの食事と比較しての漠然とした感想ですが、普段使いの食事、普段使いの戦闘、普段使いの歌、普段使いの酒、普段使いの—— やはりアバンは異常だと思います。マトリフは思ったことをそのまま口に出し過ぎですね。フローラとマトリフがポップの将来を心配するのは至極当然です。アバンはもう手遅れですし…。「勇者アバンと獄炎の魔王」を読み返してみるとカール王国城下の街でロカが裸で練り歩く場面をより鮮明に思い出し、ロカは本当にいい奴なのだと強く思いました。ふつうの人間なら自分の幸福を他者のせいにしたくなるものです。魔族が傲慢なのはひとえに人間のおかげだ、といった具合にです。聞いとるかロン・ベルク?(死)あいつの必殺剣もモロにメガンテなので考えなしにも程があるだろう。ガンガディアも呆れているぞ・・・。他者充填は悪の発想なのでアウトなのだけど、ドラクエ世界の魔法体系をそっくり作り替えた魔法術の構築ならセーフかもしれない。羂索を殴り倒すにはあいつの知識外から殴る必要があるように。どうすれば殺せるのだろう。ちなみにアバンの凍れる時間の秘法とマトリフのエッチな魔族の本に閉じ込められる話は対比になっているといえなくもない(フローラが聞いたら「すこしはマトリフを見習ったらどうです?」くらいは言うかもしれない)。やむにやまれずという点では、どうやら同じのようですし・・・ 若きハドラーが鬼面道士ブラスに軍団育成の任を与えたのは先見の明がありすぎてちょっと怖いくらいです。バランとロカも「戦士が所帯を持つなんて生涯あり得ない」と言い張っていたわけで、とてもよく似ています。ロンベルクが弟子から「今度結婚しますので仲人役をお願いします」と言われたら「結婚なんてやめとけ。酒も好きに飲めなくなるぞ」「まあ、おめでとう」と魔界一の名酒をみつけて持ってきてくれそう。仲人役はジャンク夫妻がいいぞ。最強の武器と最強の戦士の組み合わせを求めているロンは神々の後始末と新秩序の支配者を自認するバーンと相性がいい。いってしまえば旧秩序と旧支配からの破壊と再生(と支配)なのでノヴァがロンを最後の最後あたりまで毛嫌いしていたのは、理屈的にも感情的にもまったく正しい。バーンも美酒と美女で接待なんてしないで、軽くロンを実力で捻っておけばよかったんじゃないですかねぇ・・・。魔族で向上心のある者と出会うなんてことは砂浜で砂金の粒を見つけるくらい希少なので大事に扱いたかったのかもしれない。「真魔剛竜剣。あれはカスだな」ああん!!!!!?バラン本人より武具(真魔剛竜剣)を茶化されると怒りそうだよな、ロンベルク。竜の騎士に思い入れがあるのではなく、どちらかというと人間として生まれ育ち、ある日真魔剛竜剣がかっ飛んで来る(のではないか)人武一体の物語に惹かれていると予想します。そういう話であるのなら、弱い勇者と弱い武器の組み合わせもお互いが真に信頼しあっているのならロンは家庭教師と専属鍛冶屋をほぼ無償で(頼んでもいないのに!)はじめる奇特さを持っているのだろう。変人すぎる。バーンもバランの生まれ持つ底知れぬ殺気には警戒しても、神々が由来となる自分の知識外からの一撃(単純にいえば闘気と魔力以外から派生する技術)にはまったく無警戒です。ロージェノム化はしないのだ。フローラの「勇者とかいう住所不定の無職には鈴をつけときなさい」は金言なので、ダイの剣には鈴がついていると思われる…。ロンが一番、傍若無人な人物でバーンの魔王軍総司令の誘い(無期限の酒宴を受けといて)を断る逸話は6軍団長が聞いたら全員ハドラーの顔を見ずにはいられない。フレイザードがいたら「ヒュー! ハドラー様、残念でしたねぇ!」くらい言っちゃうかもしれん。「ふん。物の数ではない。かえって張り合いがでるわ」 ((おお)) 「(ふっ)さすがだな魔軍司令殿。バーンの手駒としての自身の存在に疑念を持たないばかりか主を見返してやろうという覇気を感じる。私もうかうかしてはいられないか・・・」 (!!!!!?????? 魔軍司令殿が手駒? この男はなにを言っておるのだ) 思ったことを全部小声で口に出してしまう世界線のバランと相変わらず忠義が厚いクロコダイン。バランと真魔剛竜剣はダイとゴメちゃんの関係に似ていたらすごい笑える。 沽券とは自身をみじめだとはどんな拷問を受けても認めないことでもある。ロンが造る武器には魂があるっぽいので、武具が持つ自負はすべての勇者に説教と、その誇りの体現を宿命づけられていると(恥ずかしながら)断言できます。中二病も極まれば神話を侵蝕するのだ。褒めているわけではない。ロンが覚醒時の9割は酔っぱらっていることには注意を要する。アニメ「機甲界ガリアン」の神々の最終兵器巨大鉄板ってどうやって止めたのか覚えていないな・・・。竜魔人バランも一度変身するとその場の全員をほぼ殺す(ソアラ死亡時は何一つ遠慮がなかった)ので剣の出番はまだ理性が残っている時だけかもしれない。ガメラの墓場ならぬ剛竜剣の墓場がどこかにあるのではないでしょうか。バランの竜魔人化はヒュンケルの考えなしの説得のせいもあったのですが、ダイの大冒険の世界の永遠に繰り返す鉄則、弱音を見せられないので痛いトコを突かれるとここぞとばかりに「おまえが悪い」とキレる、誰も自己を顧みない(マトリフ、聞いてて耳が痛いだろう)現象の再確認だともいえます。食べることと寝ることと死ぬことは修行なのですが、たぶんそんなことを人前で口に出していったら馬鹿にされてしまうのでしょう。誰もが馬鹿にされないゲームに参加しているのだから、馬鹿は馬鹿にしてよいのですとも言い換えられます。竜魔人化はそれまでの竜の騎士の慣例からすれば、目的を果たしたら生きる気力を失い、マザードラゴンが生命活動を任意停止させて天界へ回収する、流れとなっていたようです。重要なことは三界の神々も竜の騎士のログアウトには口出しできない(なのでマザードラゴンが仕事を放棄すると竜の騎士は文字通りの天涯孤独になる)のです。おいおいおいおいおいおいおいおい。いやな世の中だよなぁ・・・。映画見てないですけど、大魔人(埴輪形態)が常時街中でおとなしく生活を送っているようなものです。バーンの心境たるや。ゴメにどうかしているほどに憎悪を持ったバーンは、わりとまともな心性をしています。竜の騎士と神々の涙が友達で願いをなんでもかなえてくれる、バーンはブチ切れないので偉い。バーンがバランを配下に誘う際に「貴公が望む願いをわたしがかなえよう。わたしにできることならなんでもする。それでどうかな?」と言ってしまって延々とソアラとディーノの話を聞かされるバーンをすこし見たい。「まだ終わんないの?」 三界の神は娯楽のために世界を創造したわけではないと、信じたいですよね。強者には蓋を。弱者には楽園を。環境維持のためには竜の騎士をと、なんというか竜族は竜の騎士を感知したら殺さずにはいられない(いつ殺されるかわかったものではないから)。ゴメを憎むバーンも、世界創造と奇跡の体現はできない。敗北よりは良い。いや、マザードラゴンの心労はだれも気にしないな・・・。ダイは竜族の長とは会っておいてみたいですよね。まあ・・・・・・・・・・・・ロンベルクに会ったあとなら、どんな変人に会っても耐性ができているから大丈夫でしょうし…。あの人、あつかいにくいよね。麒麟族が神魔双雷槍を保持していて聖母竜の友人兼、守護者として末裔が生き残っている(いた)とか妄想すると楽しい。バランがヴェルザーを打ち倒したのも個人的な動機で命を奪わなければならなかったのではないし、ダイがバーンを滅したのも個人的な動機で命を奪わなければならなかったのではない。ここで「え? ダイは地上のみんなが大好きだからバーンを殺したんでしょ?」と言われると、うーんと返答に詰まる。竜の騎士の力を思うがままにできたら・・・とダイの大冒険の世界の権力者なら一度は夢想するだろう。真魔剛竜剣を超える剣を鍛えることができたら・・・と年がら年中妄想していた中年男性が本当に成し遂げた事例ならある。「虎に翼」の寅子の初代パートナー佐田優三、優三さんが日本国憲法の化身となり、初代最高裁長官、星朋彦は腑抜けになった穂高に死して花となり後継に道を示せ「わたしもそうする」と盛大に呪いをかけていきました。ダイの大冒険でメガンテ禁止、虎に翼で優三さん死ぬの禁止とすると途端に炭酸の抜けたコーラみたいになりそう。落とすための勉強(試験)と殺して奪うための戦争(富国強兵)、神魔双雷槍は神代では神権の象徴で魔界戦国時代では国落とし(雷雲の大発生による大規模破壊呪文と同等、永遠にMPを消費するイオナズン発生装置)兵器、ダイが訪れるころはちょっと丈夫なトンファーになっていそう。ロンの「(誰だって)自分の欲するものを手に入れたいとおもうものだ」「オレの場合は武器と使い手だったというだけで、おまえたちとなにも変わるところはない」「そうだろう?」はいいことをいっているように聞こえて、欲しいものを手に入れるのなら(目的を達成するのなら)周りの目を気にしてはいられない行動あるのみと、バーンのやっていることも肯定しちゃいそうで問題が多々ある。バーンからは最大級に気に入られる人物のタイプではあるが。おべっかやよいしょをしないで行動する人間、バーンパレスの設計技師もロンみたいな変人であった可能性は高い。バーンの自画像や彫刻ももしあるのなら、ミストが探してきた人材からバーンが指名して作成させたのではないかと想像できる。ザボエラもロンの爪の垢でも飲んでいれば化けたかもしれない・・・。物語全編を通して見ると、やはりハドラーの小心が最大の軋みであると思います。フレイザードの謎の爽やかさは虚栄心の鼻っ柱の純度が120%の爽やかさであり、ハドラーは開き直って地底魔城の玉座からぶるぶる震えて立ち上がり、ヒュンケルの養父にさんざん愚痴を聞いてもらえばよかった。「こんな時にクロコダインがいてくれたらどんなに心強いことだろう!!!」(えー いまそれわしに言う? わたしはあなたの心の強さから生まれたのだから これから勇者に殺されるのはいやだと泣き言をいわれても困るんだけど… )ヒュンケルの謎のハドラーへの忠誠も、ふつうに考えれば養父への愛がハドラーへの義理立てになっているのだろう。いやまあ、ハドラー、散々だな・・・。「これで負けたら、バカだぜぇ!!!」ひゅーひゅー バーンを苦笑させたら凄い。バルトスの最期はどうしたってクロコダインの「オレは・・・馬鹿だった・・・」を連想しますし、かなりどうしようないことを考えれば「オレという上司がいながら他所の人材に魅力を感じるとは言語道断!! あなたらしさ(気高き心)を取り戻してください? おまえにオレの気持ちはわからんッ!!!!!!」 ぼかぁ!! バーンのロンへの態度と比べると、ちょっとだけハドラーがかわいそうではあるのです。クロコダインを見習え おトキの親友サワもダンナに「あなたってホントにハンパ者よね」と辛らつなこと言っていたよね・・・ だってクロコダインだって「オレ馬鹿」いったあと自決したじゃん!!!!!!! オレが死んでいいの!? ハドラーのギリギリの台詞が「アバンよ。俺の右腕になれ」なのでバルトスが泣いているぞ・・・ おサワのダンナは自分のボスに「つまらない面子にこだわっていないで男の度量で真実の愛を見せてみてはどうですか?」「奥さんに言いつけますよ?」と言えと妻に催促されているのです。バルトスも我慢した。「人間の子供を育てることを酔狂だなとあなたはいった。酔狂!あなたに足りないものはまさにそれだ!!!」ハドラーをいじめると気分がよくなるのは如何ともし難い。原作者三条陸も言っている。少年ジャンプはバトルロジックを延々と述べていても誰も文句をいわない。次の展開が待ち遠しいのなら、いつまでもニコニコしながら聞いていてくれる、と。日車の領域はいくらでもつけいる隙がありそうですよね。あれ、術師の良心が暴走した結果なので電波ジャックならぬ呪力ジャックをして日車の満足する死を演出してあげれば、彼、満足して死にますよ。断言できる。ロンの大望もベルクスシリーズの一振り(双剣のライゼだろう)に武器と使い手の一体化を託してみたのだろう。ライゼの皮肉屋な性格、おまえみたいなゲス野郎は嫌いじゃない、はロンの「弱いやつらについたほうが面白い」のセリフを思いおこさせる。???? ベルクスの連中と反対のことを言っているな、ロンベルク。弱いやつらについてみたいと思わなかったのか、と。(正論パンチ!正論パンチ!)ライゼはご丁寧に魔剣と仮面の謎通信の仕組みも説明しかけるという親切ぶり。謎通信の方が興味深いですよね。ガイバーⅠとガイバーⅡだ。(Ⅲだ!!) アイル・ビー・バック ニシコオリサン!(あ、サブタイにかかってた…) ザボエラを主人公にするのなら彼のいい所は研究熱心な所なのでロンの爪の垢でも飲ませたらベルク匠たちの魂分けの技術を応用した遠距離たましい通信の構築をしてもらおう。世界をひっくり返す技術なのでさぞ高く売れることだろう(キーヒッヒッヒッ!!!!)。竜の騎士と剛竜剣はお互いが別世界にいても通信できそうなので(剛竜剣の移動エネルギーも謎過ぎるが)おまえたちは最高の研究材料じゃあ~!(殴る)。ガイバーの原作でガイバーⅡの深掘りエピソードが出てきたときは震えたよね…。リスカー監察官は伊達の効いた男だったので質実剛健のゼクトールとはいがみあっていてほしいものだ。新参のゾアロードで野心家のギュオーがいかに美味しいキャラであったことか・・・。ハミルカル・バルカスとリスカーが邂逅している可能性は高い。人類の殖装者をバルカスが調べないことはあり得ないからです。ただ、アルカンフェルの支配から脱する方法を調べることにもなるので、ガイバー世界の法則からいえば、世界の反逆者になってしまうことでしょう。生物は必ず死ぬように、人類は降臨者に支配されなくてはならないからです。バルカス最後の賭けは、晶に自由を求める自由を最上の価値とするや否やを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いやー、アルカンフェルを至高とする生き方をバルカス爺が捨てられるかは、やっぱりわからないよね。アプトムが絶対においしいところを攫っていく確信はある…。 みんなもガイバーを読もう!
「ご存じですか? 支部長」
『「ガイバー」とは〝降臨者(かれら)〟のことばで、〝規格外品(きかくがいひん)〟———といった意味だそうですよ…』
リスカーがバルカスのことをまったく知らないなんてことも絶対にない。つ ま り、規格外品についてリスカーとバルカスは話し合うし、バルカスから見ればアルカンフェルの精神支配から脱したことをリスカーは自覚しているのかを聞かないわけにはいかない。ゼクトールならよかったのに…ッ!! おサワがいたらシンプルに小さい男共だ。この半分弱どもがよ・・・とつぶやくのでしょう。アプトムとガイバーⅡFはコンビを組ませたら永遠に漫才をやってくれそう。こいつら地球や人類のことなんてはっきりいってどうでもいいですからね。たぶん晶には同情するし・・・。アルカンフェルには「なんでまだ死なないの?」くらいのドライさで接しそう。アルは正真正銘の地球の神なのですが、フィーメイルもアプトムも神様には興味がない、というかあの二人は自分たちより先に死んでいった者たちへの当てつけと義理を通すこと以外、たいして興味がない。上位者からの精神波干渉も受けない。マキシマが常に未来のことを考えている(いた)のとは対照的です。フィーメイルとアプトムの合意点が生まれると世界がひっくり返りそうだよ。未来と地球と人類が他人事ではなくなったからオレと私たちに協力しろドクターと、バルカスを脅迫する未来ですな。OVA一期の瀬川哲郎の声優は・・・塩屋浩三。ドラゴンボールのブウ役でも声をあてていますね。ギュオーに「答えろ!!(あんたに聞きたいことがある)人類は兵器の素体として生み出されたと言ったな。いったい誰にだ!!」はいつ思い出しても痺れる台詞でいい。晶もめっちゃ感心しただろう。巻島もなんだかんだで瀬川兄妹が不幸な目に遭うのは気分はよくないはず。ただし、ギュオーが酷い目に遭うのには歓迎するね。バルカスも主君アルカンフェルをぶっ殺した仇敵のギュオーを憐れむ気持ちはないにせよ、虫けら同然になっても野心を燃やし続ける様を見るとちょっとだけ感心するかも。ギュオーが本性を見せた後のゼクトールの感想はぜひ聞きたい。ゾアノイドはゾアロードに絶対服従するプログラムを受けているのですが、ゼクトールの「組織内のエリートはこうあるべき。自ら率先しなければならない」の信念はゾアロードへの服従に反逆するのでないかと思う。してください。OVAエレゲンの最期はゼクトールに使命を与えました。OVA6巻は瀬川哲郎の晶に与えてしまった運命の覚悟と悔恨の章でもあるので、スパーっと見るとギュオーは運命にあらがう重みに欠けているように見えます。(おぉ ここでフレイザード理論がきた) 名誉!最高の調味料だぜェ~~!!!! フレイザードはカスでゴミなのですが、今生がすべて、オレは欲しいモノをすべて手に入れてみせるぜェ~~!!!!というシンプルな生き方はかなり憧れますね。ガイバーのヴァルキュリアは女フレイザードといってもいいかもしれない。自らが監察すべき対象に(自身の一部といっていい対象に)「ヘドがでるぜェ~!!」とユニットの強奪と日本支部のスマッシャーによる破壊と人員の虐殺とやりたい放題でしたから。クロノス監察官の出自なので、腹心を育てるのは事実上無理だったはずで(倫理観)女の一念は怖い、というか振り切れ過ぎていてアプトムだって恐怖しますよ。ギュオーを獣神将に推した人は消されたと思いますが、ヴァルキュリアのパトロンも一族ごと抹消されているのではないかと予想しますね。いや、誰です? リスカーが悪いとかいっている怖い人は・・・ フレイザードの向上心も、6大軍団長のトップに立ちあわよくばバーンの地位も手に入れようという打算なき勇気によって立っているわけで、ハドラーの「オレはアバンを倒したが勝ったとはいえない」といった精神的な充足の願望とは無縁なところも、フレイザードの謎の爽やかさに一役買っています。ギュータでは真の武人とはどんな人間なのだろう? 勇者とは何者なのか? といった疑問の答えは家族と共に暮らす中にあるのだろうと漠然と示されているんですよね。マトリフの場合は「オレは今まで散々若い女の尻と胸を揉んできたが、おまえ(カノン)ほどいい揉み具合の女はいなかっ・・・
なぜアバンは苦悩してロン・ベルクは苦悩しない、というか吹っ切れているかというと自分のしたいことが明確だから クズの使い手、クズの武器、オレの認識内のクズ(身内だと判断した場合のクズ)はすべて始末して成仏させると決めているからです。聞いているかマトリフ~
バーンが持つ魔王軍は地上破壊計画の前座にすぎないのですが、その前座に有り余る時間と財力と人材を投入しているのがバーンの茶目っ気でもあるわけです。なんというかエントロピーの増大をバーンが趣味で管理して崩壊を防いでいるというか・・・。バランがなんとなくバーンを見逃しているのも地上破壊計画を知らされていないのが一番の理由なのですが、盤上の乱れを正す行為を責務と捉えずに楽しんでいるのを見て毒気を抜かれた一面もあると思います。ポップがなにもかもバーンには敵わない、なにをしても無駄なんだと思いかけたのもバーン個人の戦闘力からではなく、バーンの目的に最初から人間たちが視野に入っていなかった、森を開墾して畑をつくる際に動物や昆虫たちのことを考えてもいないように、目的を成し遂げるための確固たる意志があることに絶望したのです。最終的に「死者と生者をあまねく照らす太陽になれ」と話が進んでいくので私なんかだと「そんなことはしったこっちゃないよ」となるのですが、大切なものをなんの理由も説明もなく奪われたら方針を変えるのでしょう。本当に大切なものが、バーンには自分の肩書だったわけであの世でハドラーに詫びを入れなくては格好がつかない状態です。あの世のハドラーなら笑って「あなたもただの人だったようですな」と小突いて終わりですか。ギュータの逢魔窟は人の中の打算が何十倍にもなって自分に返ってくる構図です。バーンが洞窟に入ればこの世のありとあらゆる名誉がバーンに襲ってくるのではないでしょうか。あの世のハドラーは必要のない見栄っぱり成分が抜けているのでめちゃくちゃいい上司になっているのでしょう。ザボエラはあの性格のまま地獄行きでしょうが、そんなザボエラにさえ「生前は世話になった。ありがとう」と一声かけに来てくれそうだよ。「この無能!あれだけお膳立てしてやったのに負けおってよくワシに声をかけられたな!ちょ~っと肉体が強いことだけが取り柄のクセに人間ごときに連敗するなど魔族の面汚しよ!!顔も見たくない、消えろ!!」 ・・・。「父上。今までお世話になりました」「あなたは大切なものがなにも見えていない」「ハドラー殿を見習って、一度なにもかも捨てるべきです。また会うこともあるかもしれません、それまでお達者で・・・」 実際、底なしの自意識で人を見下して誉め言葉と肩もみ(安楽な立場)を要求する御仁など掃いて捨てるほどいる。それがこの世の中じゃ~っ!!!、と開き直られるといい加減ツライ。まぞっほの「兄者にはおれの気持ちはわからないよ・・・」はかける言葉がない。「父娘そろって冷てえなぁ。人間なんてみんな弱いところがあるだろうがよ・・・」といっといてスパルタしか対応策がないマトリフも、だからおまえはマトリフなんだよ、と思いますね。サウンド・オブ・ミュージック(映画、1965年)を見返してみるかな。大佐が謎の人物過ぎる印象があったのですが、(いやたぶん、謎はいっそう深まる予感しかない)あの映画が歴史に残る名作なことは否定しようがない。(きっと問題作でもある) Fate/Zeroのギルが性格はカスなのになんだかんだで受肉するはイスカンダルと勇者たちとの絆をエアで粉砕するは(地球はかい剣みたいなものだろうアレは)やりたい放題なのだけれども悪ではない。子供たちを労働の担い手と見ないで、教育を与えて普通選挙を実施して、施政者を定期的に交代させる治世の状態を構築してみよう英雄王。まあ、絶対にぶち切れるんですけどね・・・。都市で人口を増加させると当然食料を増産させる必要があるし、備蓄した食料を保存するために倉とその保護のための城壁が必要になる。永遠のいたちごっこが生まれるので王がキレる。親友と魔物退治の冒険にでも行きたくなるだろう。アルトリアならなんとかしようと頑張って努力する。絶対に気に入った部下といっしょに駆け落ちなんかはしない。すればいいのに。聖杯問答で駆け落ちネタを披露したらギルもイスカンダルも爆笑して「腹が痛い!余の 我の 負けだ!」で決まりだよ。アルトリアはライダーとアーチャーの「王とは」などという酒盛りの話題には乗らずに、自分の本懐をまっすぐに述べればよかった。「騎士王などと、わたしが自分で名乗ったことはない」と場をシラけさせてから自分の欲の形をはっきり言えばよかった。セイバー、アーサー王の欲の形は「皆が自分たちの力で幸せになってもらいたい」「そのためにならわたしはどんな苦労も厭わない」「この身をすべて国に捧げよう」・・・・・・・・・・。・・・・・・なんで円卓が生まれたんでしたっけ。円卓かくし芸大会を王主催で開けば、マーリンあたりに(正直、なにが面白いのかさっぱりわからないが、皆が幸せそうなので会を開いてよかった)(毎年恒例にするか)と王の矜恃(矜恃?)を皆に示すことができてよかったと笑顔でいてくれるのではないか・・・。ランスロットは王を見ていて、もどかしくて死にそうだよな。ギネヴィアが箸と茶碗をもつ係で、ランスロットと二人羽織をして周りを凍り付かせようぜ!!!(事情を知らないアーサーだけが笑い転げている) 褒めてほしいか罰してほしいか命令してほしい、ランスロットを中心とした世界だとなにもかもが腐っていく。そもそも湖の貴婦人の—— イスカンダルに征服させよう。あんな奴ばらまでも招待するのか? 当然だ。王の度量はその宴に招待する客を選ばぬことでも問われるのだぞ? 誰もが思うことですが、王の軍勢に宝具レンタルをすることがFate世界の最強であることは明白。一人ひとりがサーヴァントなのでその英雄由来の宝具を貸し与えても全然気にならないくらいに 湖の連中の頭をカチ割りたい と願えば叶うし奇跡なんてものはいらない。
手数の多さとパーソナルさは現代の社会で目に見えない、ざるや一種のろ過器のようなものになっている、ような気配があります。他者所有の曖昧さによる頭のいかれ具合といってもいい。錯乱したサーヴァントはキャスターだけではなかったらしい、というアレです。ギルガメッシュの最大不満ポイントは人間は不自由を求めることなので、(王の軍勢は王の下に集うことで最大の自由を謳歌しているのだから、見せつけられた以上殺すしかない。敬意を払って)己の欲するところを為せばいいのね。本当に強い者は自由だ、と少年マンガを体現するような話になりますけどね。ふくちゃんこと福部里志が欲してやまない聖杯じゃあないですか・・・ 好き好き公言するマヤカは強者であり自由なのだけれども、本当に強くなければ簡単にポシャる。ライダーがギルに正面切って出された酒杯を飲み干してから「おぬしの聖杯も奪い受ける」とぬけぬけ言ってギルが笑うのは歴史的天変地異といえるでしょう。おい、ギルガメッシュが酒宴で笑ったぞオイ。放送されてから15年くらい経ちましたが、え うそ こいつ笑ったぞ と今気がつきましたよ。道化を身近に置いといて、それに怒りを覚えるのでは王の中のカスを自認するべき。つまり三王の中でだれが一番笑えるかといえばギルなので、一番王らしいのはギルなのである。対王宝具が必要だな・・・ 王は鍋で怒りを煮ても、心はすぽおつで鍛錬するように清廉でなくてはならぬ デ・ポルターレ! 冗談なんだから笑えよ、と王に特攻を持つ。王以外には殺される。常時展開型です。燃費は死ぬほどいい。
「アーチャー、そしてセイバーよ。これが宴の最後の問いだ!」
「そも王とは孤高なるや否や!」
なんというか、イスカンダルはいっしょに酒を飲んでいても楽しくて安心できるのがいい。セイバー相手だと死ぬほど気を使いそうだからね。アーチャーはふつうに殺される。王と共に酒を飲み語らうということは、明日には死体となり蠅に卵を産み付けられている自分を想像することでもある。それは王とて変わらない。変わらないよな、セイバー。王の軍勢を100%の精度で展開できるライダーは絶対に招き寄せては駄目な相手なのですが、いの一番で酒を飲み交わしたい相手だというのが憎たらしい。切嗣が見たら発狂する。そもそも正義の味方と軍隊は同じ世界にはいられない。対軍宝具を持つ水戸黄門を想像してみてほしい。消すしかない。民を虐げる悪党を成敗する、つまり悪党がどこからどこまでの範囲に入っているのか・・・・・・・・・・考えたくもない。光圀がこの世の隠れた善人に光を与えたい(自分もそのおこぼれに与りたい)とやる気MAXだったのは有名。絶対に身近にいてほしくないタイプのお人だ…。
「実に楽しい宴でした」
「ぜひまた、ご一緒したいものです」
不自由の中に望んだドラマが生まれる。円卓一党の望んだ未来はまさにそれだったはず、です。イスカンダルが喝破した「それは奴隷だ」がマーリンから見れば本当のことを言うな非人間め、といったところでしょうか。ぜひまたご一緒したい、は魔術師からすれば禁句みたいなもので戦いもしないで「軍門に降る」と口にする馬鹿がどこにいるというのだ・・・ 光圀の志向は鬼や妖怪からみると希代の変人以外の何者でもない。あ、いま「光圀は天皇家を崇め奉る御仁なのだから、都落ちした連中に憐憫の情は持たないでしょ?」と思ったあなた。たぶん正しい。でも史記の伯夷・叔斉のエピソードに感銘を受けた光圀なら、大切な人を想いやせ我慢を貫く人々に思いを馳せるのは当たり前だと思うのだよね…。セイバーが酒盛りで一番欲しいものは、同情でも救済でもなくて、たぶん鼓舞です。もちろん聖杯なんてものは、欲しくはなかった。おらぁっ!そこのおまえ!セイバーが欲しいのは聖杯じゃなくて士郎でしょ?といっただろ!そんなことは知ってんの!アーチャーとライダーのいる前で「男が欲しい」とセイバーがいったら地獄でしょうが!!!笑うけどね。ちなみに運命が不変なら士郎は凛に取られて凛はその罪悪感で一成をぶっ殺すよ(なんでやねん) なんとなく、Fate世界だとアメリカはハブられる予感が多々あります。魔術師は歴史と伝統の権化なので あ た り ま え だ ろ うとも思います。ひたすら数で押すのは死徒っぽい気もしますね。ギルガメッシュに「雑種、なにをしにここまで来た?」と聞かれたら「観光です」と答えるのだ。「ほう、観光か(観光とはなんだ?)」「え、観光知らないの(田舎ものだ…)」 「金ぴかさん(仮)は旅行をしたことはないんですか」「庭(のこと)は庭師にまかせるのが当然であろうが。見て愛でればそれ以上のことは徒労でしかない」「(なんてもったいない馬鹿であろうか・・・)」「なんてもったいない馬鹿であろうか」「(中略)」「つまり貴様が我に愉悦とはなんたるかを指し示すというわけか」「いってないですし、しったことではない、といったら・・・」 英雄に余暇の過ごし方を指南する、というのはタタリ神になったナゴの守に湯治を勧めるようなもので、やれるものならやってみろ、木造の巨大ダム(木遁)を建設するというくらい、人間にできることではありません。ジコ坊を本当に恐怖させるにはどうすればいいか、一夜にして国土強靭化と首都機能の移転を成し遂げる(どうやって?)くらいの時間と物資の概念破壊をしなければならないでしょう。なにが怖いって犠牲なくしては成長なし、と世界を見ているジコ坊なら、この化け物は必ず人の世を喰らい尽くすだろうと喝破するからです。便利で快適な生活は麻薬みたいなものですからね。もののけ姫は人間が豊かな森をはげ山へと変化させていく過程を悪とは断じていない。つくづく初代様の木遁は頭がおかしいな・・・。そして警察権能をうちは一族にまかせようとする千手(私怨の代名詞に警察権を一任)は本当に頭がおかしい。綱手の我慢強さは驚異的だよね。マジで尊敬できる。美人だしね。NARUTO世界は各国の警察が碌に機能していないので忍の力を当てにしているのですが、中忍選抜試験! あの気の狂ったようなお祭り! 綱手はまあまあ馬鹿の馬鹿による馬鹿のための馬鹿祭り、と諦観しているのではないかと思います。んで、大蛇丸がひっかきまわしに乱入するのですから、死ぬまでやってろ以外の感想しかない。大蛇丸がクソなのは綱手を逆撫でするところで、「わたしは心の底から傷ついたから忍をやめる」と仲間に弱音を吐けないところが大蛇丸の可愛いところでもあります。まあぶっ殺すけどね。唯一の弱音を吐けそうな男は仙人とかになっちまうしね・・・。まあ滅茶苦茶です。周りがどんなに凄い!と持てはやしても、納得できない以上は屈辱でしかない。逆に生涯最高の出来と自画自賛した作品が誰からも相手にされないのであれば、じゃあ「期待」とはいつ、どこで、だれが、なんのために、忘れられる権利も合わせて使うのでなければ口にした人間を捻りつぶしてもいいのかと確認をしたくもなるでしょう。
現在、上映中の映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』のガンダムチャンネルのPV、『エンディング主題歌:ガンズ・アンド・ローゼズ「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」』は素晴らしい。今まで旧式のWindowsノートPCでYouTubeを視聴することになんの不満もなかったのですが、このPVは美しいディスプレイで何度でも見たい。おまえは美人を良いカットで何度もなめるように喰らいついてでも見たいのか?と言われれば「そうだ」と答えよう。
進撃の巨人のジャンとNARUTOの綱手は少し似ていて、進撃ならフロック、NARUTOなら大蛇丸が、両者に修羅の世から降りてもいい、おまえ(あんた)にはお似合いだと堕落と取引を持ち掛けてきます。考えるとかなり笑えます。なんで堕落しきったお前ら(フロックは自分を救世の徒だと信じていますが)に諭されなければならないのか。そしてジャンも綱手も、ふつうなら絶対に乗らない誘惑にグラグラ揺れてしまうのです。ジャンに(ミカサ似の)美人の嫁さんと快適な一等地の住まいと昼間から高級ワインをちびちび飲める上級国民のイメージは効くのだ。酷すぎでしょ ジャンを馬鹿にしとんのか!ごめんなさい。 俺に無限月読は効かねぇッ!!(じゃーん) 漢の蕭何なら「ケチのつけようがないほどに整理された税収管理と法令実施要綱」の夢を見てさらに後世に残すために奔走しそう。きちんとした役人を育てるためには、食うに困らない環境で子供たちに教育を与えることができる場を作らなければならない。ウィトゲンシュタインの話がEテレ100分de名著ではじまったので皆さんもぜひ見てください。彼のことを知るととんでもなく繊細な人物だったことに驚く。そして根性がある。とにかく諦めないお人です。なんでそんなに諦めないのですか・・・。いやー。現在ジャンププラスで連載中の「勇者アバンと獄炎の魔王」の登場人物、賢者バルゴートと姿が重なります。実績や名声よりも、とにかく諦めないことにただただ驚く。本当にどうしてそんなに諦めないのでしょうか。「素晴らしい」とはなんなのだろうか。わたしは本当に素晴らしいということを理解しているのだろうか。100分de名著のテキストでお笑いをステージ上で演じるにあたり、採点方式の競技であるのなら採点可能な競技としての「お笑いとはなにか」を規定しなければならないのではないか、で、それは本当に笑える話なのかと、笑える環境を欲していたのに笑えない話ばかりをはじめるとなんのためにお笑いを求めていたのかもわからなくなってしまう。安全とか利便性とか健康とかお笑いとか、本当に欲しがっていたのかどうかもわからなくなります。らーめん再遊記で芹沢が原田に名状しがたい感情を持つのも、本当の所は才能への嫉妬ではなく、簡易な改良による幸せの発露を難なく発揮するところにあります。もし原田に原田を慕うラーメン職人がいたら「ふん」の一言ですますくせに延々と益体もない文句を心のなかで言い続けることでしょう。芹沢が酒の席で汐見の自慢をはじめたら全員、目を剥きますね。だいたいもともとが自分の作品たるラーメン「肉だし清湯麺」の改良を汐見にやられて「絶対に私のほうが美味しいです」と言い切られたのが始まりだったのですから…。原田編のラストも芹沢が「今までお前が作ったラーメンの中で、こいつが一番うまかったと思う」なので、芹沢も歳を取ったのだ。「芹沢さん。シャクだったんじゃないですか?」と水を向けたら取っ組み合いのケンカだな。ウィトゲンシュタインは奪われた子供らしい生活を取り戻そうと小学校教諭時代にスーパーハッスルしたのだろう。芹沢が自分の理想のラーメンが世間からは見向きもされなかった(エサでも食うかとトイレットペーパーを食うよりかはマシかぐらいに思われた)のと、ほんのちょっと似ています。そのエサに道義的な責任があなたにはあるでしょ、とラーメンハゲに説教をしたのが藤本なのだ。このラーメンはもっと美味しくできます!とほざいたのも藤本です。トンコツラーメンはどう考えても人間が食べるようなものではないと思いますよね?口に入れて咀嚼して味わう前までは・・・。(しかし飲み込めるか?) ゆとりの両親も父親の橋爪亮二が元妻の汐見ようこに「きみの本当の姿を写せるのは僕のカメラのレンズだけだ」とかぬかしていたのかァ~?!ゲスゲス 再遊記1巻、夏川の「こんなしょぼい店に社長がいるわけないだろ」を思い出しました。ウィトゲンシュタインも(たぶん)言っていますが、本質なんてものは本来はどうでもいいものであろう。自分が本当にほしいものに比べれば。(そして退職金と年金を溶かしちゃうのだあ)それでビジネスをしようとかおまえは神様かなにかなのか・・・ 大門さんが本当に欲しいものは情熱!でしょう。芹沢、おまえは本当に凄い奴だ!尊敬する!なのになんでおまえはそんなに謙虚なんだ?!ラーメン作ると人格も磨かれるのか!どうなんだ!! (こ、殺される・・・)原田編の緊張が高まるポイントは有栖がグルタに説明したように「理想に殉じてこそ」「本当のラーメンに近づく」(≒偽物が跋扈するこの世に真実を打ち立てる)と、あの頃はみんなちょっと頭がおかしかったと冷静に分析をしているところです。ざっくりいうと売れるラーメンは悪で、人気のでない個性的なラーメンから本物が生まれるのだと信じていたのです。化調化調。なのにみんな高級フレンチとかのほうを指くわえて見ていたのですから構造的にいびつで滑稽だったのは否定しようがない。なんだかんだで大衆化を馬鹿にしていたのですね。再遊記はこのあたり(芹沢の青春)を何度も何度も掘り返しては(ウィトゲンシュタインのように)理想と現実の擦り合わせをしているように見えますね。ウィンドウズ95が発売されたのが俺の青春だー(嘘)。原田の特異性は人の幸せをきちんと願える善良性と人並み外れた料理への感受性が同居している点にあります。ウィトゲンシュタインを生涯心配して見守ったお姉さんみたいだな・・・ 原田のヒモ生活を支えていた女性たちには、原田のラーメンへの情熱に関してはほぼ、あってもよかったし、なくなっていてもよかったくらいのものだったのでしょう。スポーツまんがとラーメンまんが(こと再遊記に関しては)の類似と相違を考えると、宇崎編ではっきりと宇崎の欲望が露呈したように男は死ぬとわかったら人生の意味とか青春時代の情熱とか犬も食わない戯言を言い始める生き物で、同じ感情を内包している人間はその戯言に同情し憐憫の念を禁じ得ないという、作者(プレイヤー)と読者(ギャラリー)との一体感が発生しやすい、というのが私の見解です。生前の迷惑の総量をギャラリーたちで分担してくれる(?)のを期待しているというか。死人に鞭打つようなこと書いてますね。再遊記1巻がべらぼうに面白いのも芹沢の死と再生がテンポよく書けているので芹沢の生前の悪行(まだ死んでない)を許せる気になれる(ような気がする)のが大きい。・・・あかん。宇崎編を読み返すと宇崎さんの寂しさと嬉しさがしみるしみる。たった一人ついてきてくれた部下の平田が宇崎が一番おかしかった頃に逃げ出したエピソードは本当にページを飛ばして読まなかったのですが、芹沢は根掘り葉掘り調べてから宇崎に直接、聞き出しましたね。誘導尋問をするような形で。芹沢、おまえ本当に最悪だな。らーめん再遊記ではロックスターに並々ならぬ思い入れがあるようで、単純にロックスター信仰とはなにかといえば、降参したいし潔く死んでほしいのですな。芹沢が有栖君と酒を飲んで語らうことといえば、時代が古いことに憤り、何事も外国人まかせなことに腹を立て、未熟で無礼な新参者だからと先人から煙たがられることにさらに腹を立てる。まあすべては過去の話となった(らしい)のですが。なあ有栖君よ。本当にすべては過去の話になったと思うか? そういえばカップラーメン業界では激辛ブームがきていたような気がしますが、ブームは本当に本物だったのでしょうか。私は辛いものはまったくノーサンキューですが、辛さはうまさ辛さはうまさと念仏みたいに唱えていれば本当になるのですか? 家康が三河の一向一揆に心底苦しめられた逸話を思い出したりします。おまえら現実を見ろ。現実ってのはおまえなのか? 現実的な税収制度?破綻しない役人の構築?寝言は寝て言え。蕭何が信賞必罰の鬼でかつ、どんなに功績があっても邪魔なら消す(自分も劉邦も例外ではない)男なのは痺れるのね。誤解されることを一切躊躇しない、殺されることも勘定しない、そこまで振り切れるのはそうそうない。ガウマンとケネス、ハサウェイとレーン・エイム。こいつらで語っていると永遠に遊べそうだなぁ・・・。レーン・エイム、潔い男。変な所でまじめなんだよなこいつら。テロリストなのに。あの娘から見れば俺も大臣どもと同じという訳か。こりゃマフティーに殺されても文句はいえんな。君のような美人と話していてもドキドキするようなことはなくなった。こんなことも楽しいと感じることができるようになった。10代の頃と同じという訳にはいかんさ… ハサウェイはミライさんとチェーミンを泣かすんじゃないよ。ケネスは絶対にそんなことはしないと思うぞ。いやまあ女は泣かしていると思うよ。ブライト、視線を外したな… シャアはわりかし女の手のひらの上でくるくる回るタイプの総帥だったよね・・・ 大佐が私を口説いたのは遊びだったんですか? 本気なワケないだろ ここで「合理的に生きている」から合理的に死ねとシャアの亡霊が出てきますよね。アメリカでシャアが道化扱いされるのも、合理的にアメリカが正しいのなら、より合理的な存在に屈服させられなければならないですし、(もし)道義的に優れているのならば積極的に道を示さなければならない。できる相談ではない。負かした相手に説教される度量がアメリカにあればね。AIが人間に説教されて頭を垂れるか。まさかまさかの「アムロ。あんたちょっとセコいよ!!」が今世紀に復活してこようとは——ッ!!!!!(ハサウェイもアムセコ発言を聞いているじゃあないか!)ハサウェイはチェーミンに懺悔しなさい 親しい人が作ってくれた料理を美味しそうに食べなさい。身近で生活している人が、生きることに積極的であることがどれだけ嬉しく幸福であることか。身近で生活している人が、生きることに積極的であることがどれだけ嬉しく幸福であることか。ディアナ・ソレルは地球でハッピーに生きて死にたいと地球への帰還を熱望する。まさしく隣人が人間の暮らしを熱望しているわけです。連邦政府高官が自分たちの利権(とステータス)に熱心でいることに比べると、比べてよいのか理解ができないくらい、同じ世界の出来事とは思えません。月の女神が戦神の意見を無視する訳ないだろッ!イラムの遠い子孫はギンガナムの副官になっているかもしれませんね。・・・。え、ギムを後ろからヘッドロックするの? あのモジャモジャ頭の後ろから? 正気じゃねぇな。はあーーーーーー。なあ。この私はセコいのだろうか? え。御大将。わたしに聞いてます? 御大将はセコくありませんよ。わたしが保証します。バカかどうかですか。他の奴に聞いてください。 もし御大将が他人の意見をきちんと聞いて反省し、柔軟に組織を変えていけるお人だったなら、全然面白くなかったでしょうね。旧世紀の政治家で鉄は血だといったお人がいたそうですが(注意。実際は鉄と血である)御大将こそ鉄であり血だと思います。わたしはまったく退屈していませんよ。ああディアナ様からの御命令はまだですかねぇ・・・ 遠い過去の歴史で地球人類絶滅を掲げた政治家がいたらしいですけど、宿命のライバルに利敵行為をしまくり(最新の軍事機密を匿名でぽーんとプレゼントしたりな)痴話喧嘩しながらあの世にいったそうです。歴史の年表に名前が載る人ってわからないですよね。何がしたくて人の上に立ち、なんて言われたくて行動しているのか、とにかく謎ですよ… (コンサルとかいう人種はうちの御大将に質問されたらなんて答えるんだろう。古のローマ皇帝の話でも聞かせるのか)ルビコン川はどこかと聞かれればそりゃあ地球降下作戦の陣容如何だろう。下調べと作戦稼働領域の設定。どこまで引いてどう支配するかの作戦に御大将が呼ばれない理由がない。ヤマトの平成・令和の新アニメで地球の危機だからといってアンドロメダ無人艦隊をほいほい作る(波動砲はもちろん装備している)のは狂気以外の何物でもない。ハサウェイが誰からも理解されず、ケネスだけがハサウェイの清廉さ(バカ役割マジメ)の正体に気が付いているようです。ハウンゼンに同乗して粛正する人たちの人となりを見ておきたい、というハサウェイの狂気は何も考えずにチェーンを殺害したことへのクソバカマジメな反省と後悔から出力されていますよね。きちんと相手を理解しようとする努力。正しくニュータイプであるよ。ケネスはハサウェイを殺すしかないじゃん・・・ シャアの幽霊ならシャアの亡霊と会話しなさいよ。ぜぇーーーーーーーーーったいに「野暮を承知で言うが、恋人をつくって遊んでいたほうが人生は楽しい」とシャアに言われるよ。セコい?上等だアムロッ!!!(両手くるくるパンチ)ハンドリー・ヨクサンのこと、急に好きになってきたな。役割を演じている連中(連邦高官たち、自分も含めて)をどこか冷めた目で見ていて、若い連中に羨望と期待を持っているように見える。ブライトと同じやん小説版(読んでない)と同じ結末ならブライトは苦悶して死ぬしかない。ハサウェイがどう思っても、ブライトから見れば自分たちの青春が息子を殺したのは厳然たる事実で、相棒であったミライですら、ブライトの絶望に手を差し伸べることはできない。あのとき、ビンタじゃなくてケツを叩いていれば・・・! 狼を豚に変えろというのか。去勢しない雄豚。英語が堪能だったらろくでもない罵倒語がぽんぽん口から出てきそうだナ・・・ 監督がF91と深いつながりがあると聞けば、(ガンダムシリーズの中では)異色の主人公シーブック・アノーを思い出す。とにかくいい子でした。シャアの影響といえばマザコンとカリスマとやってくれそうな予感(オイ)ですが、シーブックにはなかったですね。とにかく大切な人のために頑張る。周りも狂わせない。シャアがおかし過ぎるのですよ。シャアがおかしい人間で害しかないとはっきり言える人間は、ガンダム世界ではでてこないのね。富野ガンダムの原罪は宇宙に棄民を放り出したことなので、棄民の希望の象徴であるジオンの遺児を完全否定できる人間は、人類の原罪を背負って立つ気概があることが条件なのだ。ソンナヤツイルカボケ ハサウェイが狂うのもシャアの幽霊が憑依するのなら当然の話で、ガンダムUCのように全ミノフスキー炉の停止までいけば、人類が宇宙に進出するか地球圏内に留まるかを真剣に議論する場が生まれることだろう。生殺与奪の権利を握られた状態で正気でいられるかは不明。時間遡行も可能となれば神と呼ばれても仕方がない。電子レンジみたいに規定通りに火を使わずに調理可能な状態をミノフスキー炉で実現できれば神になった気にもなる。人間は、健康と食事を担保されれば容易く思考を放棄するのですから。お祭りに情熱を注ぐのは余興の華です。蕭何が呆れて劉邦が裸踊りで乱入するアレです。F91を見直す気になってきました。ハサウェイは宇宙世紀の第一部にケリをつけたと揶揄されるのを目や耳にすることがあるのですが、チョー単純にいえばシャアを実質的に殺したのがハサウェイである(カッとしてやった)のではないかと。ガンダムのシャア的な要素を殺したという意味です。シャア的な要素、結局は世直しなんでしょう。オデュッセウスも流浪の王子だったようなそうでもなかったような・・・。本当に知らない。ハサウェイが仲間たちからモテまくるのは見ていてかなり微笑ましいのですが、そこにレーンがいると、みんなレーンをかまってしまいそうです。ケネスが「オレもマフティーにぶっ殺されても文句はいえんな」といえるのは、例えばギギとキャットファイトをしたメイスにぶっ殺されても文句は言わないかというと普通に避けるし普通に拘束するはずで、自分が誰からも害されない人間かといえば「そんな理屈は到底成り立たない」が「せめて自分から見て納得できる人物」に「害されたいもの」だと漠然と思っている、のではないでしょうか。マフティーが持つ清廉さ、とかなんとか言ってる連邦軍人の高官は、全宇宙を探してもケネスぐらいしかいませんから。そういえばケネスはハサウェイの命の恩人でした。「英雄さんはこんなところで一人寂しく食事かい?」「おまえが取らないなら俺がいただくぜ?」「ペーネロペーはハサウェイにまかせるぞッ」散々モーションをかますよね・・・ 劇中でのシャア的なケレン味はギャルセゾンのパイロット、フェンサーが担ってます。いちいち独り言っぽい状況確認のセリフを入れてくるので好きにならざるをえない。我がギャルセゾンの前に障害物なし。ゴルフが出るぞぉ!ビゴビゴビゴビゴ (劇中歌) かっこ良すぎ。劇場版3章はシャアの亡霊がハサウェイの脳内でダンスを踊るのでしょうが、ハサウェイの仲間たちに是非!退治されてほしいですよね!! 一作目以上に街中の住民たちが巻き添えを食うのでしょうが、マフティーの連中はハサウェイがハウンゼンで閣僚たちの見物をしたいという我がままを許可したように、ハサウェイが満足して死ねば満足なのだ。そうとしか言いようがない。逆襲のシャアでシャアの副官(?)であり愛人のナナイはシャアの隕石落としは本意ではない、と薄々感じていたように役割を演じていた結果本人の渇望する幸福とはかけ離れた生活をしている(人類は地球から卒業しなければならないとかふつうの人にはどうでもいいことだ)(ハサウェイは情けない)ことは不幸なのだ。イラムがいきなりぶっちゃけそう。身近な幸福に満足できない情けないやつなのだと。ターンエーの癒し クスィーGに搭載された画期的な技術、ビーム・バリアはよくよく考えると結構なトンデモ技術で、初代RX-78に標準装備された携行型ビームライフルのように戦場を一変させる可能性がある。とにかく体当たりしてくる(超高速で)鎧の巨人(空を飛んでくる)ライナーみたいなもので「こいつマジで死なねー!!!!!!!」と、醜いうえに最強なので生まれてくる前の姿に分解してやりたくなる。なにごとも程度が大切。いや、ほんとにガリアンの宇宙巨大鉄板はどうやって防いだのかまったく思い出せない…。そう、程度。わたしの人生初のガンダムはゼータガンダムからだったので、とにかくクソつまらんロボットアニメだというネガティブな感想しかなかった。逆シャアでケリをつけたいと願った監督の心境からすれば当然の内容なのでしょうが、なんか知らんがガンダムとかいうロボット(ガンプラブームは来ていた。売り切れていたのでなぜかイデオンの敵方の手足がヒョろい不気味ロボットを買ってしまっていた)のかっこいいアニメを期待していたのに!裏切ったんだおまえは!!金も払ってもいませんでしたけど・・・(ジムとイデオンは顔が似ているなとは思ってた)(今でもジム系のダサいロボットは愛せる)ザクを愛した者から見たらジムのダサさは腹を切って詫びろと思ってもしかたがないだろう(嘘ではない)。ハサウェイの3作目で水中MSと格闘してビーム串刺し3兄弟とかやってくれんかな…。ミノフスキーの磁場で水中から持ち上げてからぶーんと放り投げたりな。応援するゼ。地球人相互理解とかに興味がない人間だな、わたしは。そもそも馬鹿にしてくる人間に興味を持つのは、なかなかにハードルが高いはずなのだが・・・ 偽マフティーでいえば連邦高官の方々そのものにはなんの興味もなく、人質として金と交換できる価値に興味があります(ハサウェイがキレる)(ケネスは偽物だなこいつらと見当をつける)と礼儀正しく話しかけてくるのが正しい地球人類なのだ。ふつうの軽音部の内田桃の逆鱗に触れる人間は「内輪の中にいる人間で礼儀と躾がなっていない奴」であり、最初から情報は開示されているのですが、この世に王は二人以上はいらないのだ。第107話を読み、そう遠くない将来に鷹見は内田からドロップキックかそれに類する技を受けるのは確定されたと思いました。これまでにもいろいろとあったのですが、鳩野と水尾が親しい関係になるとわかれば、鷹見の無分別な思慮と行動は、内田の許せる恥の許容値を超えるだろうと思えるからです。許容する義理は所属する世間の大切さ如何によるのね。少しは野生動物のように身の危険を察知する神経を活性化させなさい。ぼんくら過ぎるのは罪だぞ。
映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』をもう何回も見返しているのですが、レッド・ウィザードは変にプライドが高いので圧倒的な実力を持つわりに組織の拡大をしていくのが苦手です。組織のトップ、ザス・タムはたぶん不死なので組織内の刷新もしようがないのでしょうが、物語の中で最高の魅力値を誇る詐欺師のフォージに作戦の基幹部(大勢の市民をある種の箱の中に集める作戦)をまかせるなど、自分たちに魅力がないこと自体には達観をしているのはさすがです。レッド・ウィザードが操る魔術は人知の結晶の極みで、PCゲーム「バルダーズ・ゲート3」で自キャラでレッド・ウィザードを選択できるのなら選ばない理由がない。勝手に行動すると粛清されるので毎日ザス・タム先生のお経を唱えてから行動しよう。どこから見てるかわからないからね・・・ 毎日のお経をなんとかごまかしてハーパーに潜入捜査するのはチョー楽しそうです。滝がショッカー本部に潜入するみたいなものですよ。(絶対に拷問されるヤツだ)エドガンがいたら悲鳴をあげて喜ぶね。あ、今の時間軸ってどこ?フォージはどこでなにしてるの?オレのエドガンを籠絡するような詐欺師はハーパーの名に懸けて正義の鉄槌を下すゼ・・・ Any con artist who tries to seduce my Edgan will face the full force of justice, I swear by Harper’s name.(DeepL翻訳) I will bring down the hammer of justice on Harper's name to any con artist who tries to seduce my Edgan.(Google翻訳) 意味わからんけどDeepL翻訳のほうが好みかな・・・ レッドウィザードがジャスティスとかいっとるな 「なに笑ってんだ!?」「ハーパーが眠りから目覚めたようだ」「!!!!!!!!!!!!!(ぶっ殺してやりたいという顔)」 沢城みゆきの声で「今日という今日まで我慢してきたが貴様の顔を見るのも今日で最後だッ!!!」いわれてー 「オレはおまえさんのことがあまり嫌いじゃない」直訳よりもどっかの映画から台詞を持ってきたい感じ。「殺してやる!」「まあまあ好きなんだが…」どんな修羅場だ。映画サントラ買おうかなあ。ソフィーナのテーマはノリノリで好き。怪しすぎんだろ。フォージと組ませたザス・タム先生が一番の悪人だろう?普通に考えて・・・ 先生のお考えは素晴らしいが、先生ご自身が完全無欠のお人かどうかはちょっと別の話なのだから、おまえさん、ちょっと頭冷やしたらどうだ・・・って聞いてないな。作中で度々登場している青いトンボはエドガンの亡き妻ジアが、夫エドガンのかけがえのない誠実さを大切にしてほしいという願いを届けてくれる精霊のような存在で——あかん。私がそんなことを書くと胡散臭くてしかたがない。「飛べよ!鳥人間だろ!?」から始まる映画なので、エドガンは誠実、とかおまえの目ん玉はどこについているんだとヤジられるほうがスゲー居心地がいいのね。ただまあ、ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り、の一番大切なところはジアから見たエドガン像は誰にも誇れるのだという一貫性にあると私は思うので、私のまえでエドガンを悪く言うとその気がなくても殴っているかもしれないので注意が必要なのだ。金金金でいえば、結局のところザス・タム配下(サーイの国民も含む)が現世の財宝に執着があるか、ソフィーナはこれっぽっちもフォージにくれてやる財宝に興味がなかったせいでエドガンに煮え湯を飲まされた(フォージコロス)わけで、いかに人生をエンジョイするかを疎かにしていたためにハーパーに片足を突っこんでいたエドガン一行に圧倒的な実力差をひっくり返されたのです。な?オレのいった通りだっただろ? 劇中でホルガがエドガンに気を遣うシーンはほぼないのですが、エドガンは現世に存在し続けることに片足の半分くらいは重心をあの世の方に移しつつある男なのでホルガの食欲と肉欲と名誉欲(と家族愛)にいつも救われています。あたしは一族の誇りを体現して死にたい、と日々全身からぶっ殺オーラを発している狂戦士なので朝起きたら顔を洗うくらいの気分で癇に障る奴は殴って半殺しにするのがホルガです。サーイのレッド・ウィザードにはエドガンは因縁があるのですが、ホルガにはない。ネヴァーウィンターの都市をアンデット化したヒューマンで埋め尽くすという暴挙に対し、ハーパーの精神を取り戻したエドガンが仲間たちに問う。ガラス一枚の向こうにはキラキラと輝くお宝があったが、いまや宝の船は自分たちの手中にある。かたや死してなお奴隷としてサーイの魔術師どもに人生を使役されてしまう人たちがおれたちの目の前にいる。わくわくドキドキするお宝と冒険は、いったいどちら側にあるのだろうか、と。ドキドキでいえばドリックとホルガがセクシーな格好をしていたとして、どちらにふらふらといくかといえばノータイムでドリックなのですが、ホルガがセクシーではないからというわけでもなく、単純に食われたくないからです。映画の映像で映るミシェル・ロドリゲスと作中共演者との共同インタビューで映るミシェルは別人に見えますよね。体の圧が全然違うのですが、どういうこと?圧でいえば劇中でザス・タムとソフィーナの密談をフォージが扉をバーンッと開けてぶち壊すシーン、記録媒体か再生設定か再生機器か、あの時のやかましさ(不快ではない)は結構、差異がある。IMAXの総本山、グランドシネマサンシャイン池袋に行ってみるかねぇ・・・
「あのフォージのクソ野郎——ッ!!」
「フォージは糞を垂れるのか?」
「ああ?違うよ。言い回しだよ」
「そうか。私はそのような言い方はしない。言葉は行動に現れるからな」
「あんた、つまらない奴だって言われたりしない?」
映画の中、全編にわたって自分の中にいる劣等感と折り合いをつける(エドガンにとって最高のクソ野郎はフォージではなくゼンク)のだと優しく朗らかに語りかけてきますよね。アウトローたちの誇りは。ゼンク・エンダーのトドメの説教セリフは「サーイにもよい人間はいる」、ろくでもない自己の中にも美しく輝く財宝はだれの心の中にもある。そう、きみの心の中にもな(ケッ!)だれかこいつの隣り代わってくんない!? ゲーム、ラストオブアス2が一部からとんでもない悪評が出てきているそうな。ゲーム自体は見た事も遊んだこともないのですが(ない)、ヒロインがゼンク・エンダーだと思えばいいのではないでしょうか。しらないけど… 復讐に走るのが状況からいって当然だろ!?と叫んでいるのに「辛く、苦しい困難が自己を覆い尽くそうとした時、わたしは古の賢人の言葉を思い出す・・・」とか言い出されたら空気読めや!!!とぶち切れますよね。エドガンの小声を全部拾ったあげく「聞こえているぞ」と念押してから「大嫌いだ…」と言われてほくそ笑む男だからな、ゼンク・エンダーは・・・ うーん。買ったままプレイしてないバルダーズ・ゲート3を起動してみるかぁー。キャラメイクして最初の移動空間でうろうろして満足して終わる予感しかないが。ドラクエに慣れきった温室プレイヤーには楽しくなってくるまでの助走時間がしんどくて堪らないのだあ。具体的にはザクの性能が貧乏人の軽自動車なんだとしっくりくるまでの時間が短ければ短いほどよい。軽さは正義。当たらなければどうということはない。あれだ。ゾンビに殺されても次、そこにいるのは知っていると拳銃撃ちまくる(コストが安いから)バイオハザードです。とにかく軽いのは正義。日立はS1。なんでNECが天下を取ったのかわからないよな・・・ ふつうの軽音部の108話、桃の弟(夕李)は大道に憧れているナ。姉を御せる時点で偉人で、姉といっしょに居続けることができる時点で人格者なので、美人でかっこよく驕らない性格ときたら憧れないほうがおかしい。姉はゴリラだからな。ハトノのどうしても譲れないポイントは父はかっこいい(母はたくましい)のだ。誰もそんなことは思ってもいないけど・・・、「いや、そんなことはない」と鳩野に弟がいれば突っ込む所なんでしょうが、ハトノに弟はいないのね。証明しなければならない。鳩野ちひろを心配する母親(名前不明)は娘が父親そっくりなことを折に触れて感じている。奪われたのではなく、(いや広義の意味ではそうなのか・・・?)与えられなかった弁明の機会をハトノは感じている。そしてそれが正しいとも、思え切れてはいない。「いや、ドギャルじゃねえか!!」と突っ込んだのは矢賀だったか、鳩野だったか。遠野のだめだめなところも鳩野に(ほぼ)興味ない(ような気がする)あたりで、聞け、ハトノに。「内田さんや藤井が鳩野さんに惹かれている理由がわからん。どうしてなんだろうか」と。「オレは鳩野さんに興味があるんや!」元が持つ「よいバンド」の原始的なイメージがなんなのかも知らんしな。「よいゲーム」の原始的イメージだと基本、ドルアーガに辿り着くよね。ただ、最初から宝箱の出し方を知っているの知らないのとでは決定的に「ああ、ドルアーガいいよね」の背景が違う。なぜ知っているかの背景も違うので、そして知っていることでプレイすることの多幸感ももちろん違う。カタログスペックと現実のマッチングがこれ以上なく上手くいった感というのか。スペックにツッコミつつ現実をドライブできれば、それに勝る幸福などほとんどないだろう。SNS時代はカタログを漁っていたころと大差ないと言われれば、いや、まったくそうだなと言わざるをえない。おい誰だ。おまえなんかYS-11の回のプロジェクトXを死ぬまで繰り返し見てろといった性格の悪い奴は・・・ ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇りのお話の中でエドガンのキャラを見ると、自分のような世俗の欲にまみれた人間が高尚な思いを胸に冒険者として活動するなんてことは、そもそも最初からおかしかったんだと(フォージとゼンクがエドガンに惹かれてやまない善性の人間)物語が始まるまえから心が引き裂かれていたのです。鳩野のようにね。旧友にせっかくの休日に自分たちの音楽(と歌)で楽しんで、帰っていってほしいと願ったら「サブが楽しくて幸せっぽいのはもう十分わかったから、わたしみたいなクソは帰るな。せっかくの楽しい気分を台無しにしてスマン」と友人として礼節を尽くされたことに、鳩野は対応することができないのです。ハトノの基本スペックは壁を殴って破壊することなので(レッキングクルー!)壊れている家屋の補修や建て直しは専門外なのですよね。つるつるつるつる… 鷹見の性格さえ良ければ、どれだけ鳩野の手助けができることか。いやまあ、都合のいい時だけ頼んなよという話。現代の高校生のお話なので、藤子・F・不二雄のドラのように「許せぬ!」と親友の尊厳を守るために自己の命を投げ出すことまではしないはずなのです。(鬼岩城で「ドラちゃんといっしょなら安心ですわ」と母親たちが言っていましたが、いったいドラのなにを見ているのか…。のび太の方が100倍正しく物事を見ている) ハトノの母親は「この娘は父親そっくり」と事あるごとに心配しているのですが、本当にいよいよの段になってやらかす時に(そっくりなのは)「私だった!!」と認識するはずです。渇望と充足と誇りと毎日の暮らしを秤にかけて生活しているのです。術式開示は嘘偽。直毘人の24フレーム縛りは趣味を限りなく領域まで上げるアホの所業で(息子はイッてしまったが)世界は美しくなければならない(自分の認識と同じように)と、領域まで上げると自己と世界の動きを認識し(て実行し)ないと基本即死という傍迷惑な術式でしたね、あれ。直毘人が部下たちから慕われる理由の一つは、飲み会の席でよっぽどのことがなければ機嫌を悪くしない度量の大きさにありました。オーディオマニアの術者なら自己の声の歌の周波数縛り(なにも考えていない)を術式にかけて美しくあれと迫ってくるのですかね。声の美しさで周囲のバランスを強制的に引き上げる(ついてこられない場合は死ぬ)術式。領域ってのは理不尽なもんですよ。邪悪な者に産み出された存在が己の在り方に苦悩して成長し、そんな理不尽なこととは無縁そうな者たちと敵対し戦うことで別種の生き方があることを知り、違う生き方を選択する。くだらなければくだらないほどよい。デカルチャー! ピッコロも別種の世界!という意味らしいなぁ・・・ 怒りが重要なファクターだとしても、ドラゴンボールの世界では亀仙人の教えの中には怒りの存在は度外視されている(亀は武泰斗に鶴の悪口を吐きまくったんじゃないかなぁ・・・)。亀仙人とミスター・サタンの二人で夜の街に繰り出したら汚名と醜聞のダブルハリケーン状態になりそう。死に際が見事すぎたシャーディスとマガト(進撃の巨人の登場人物)がドラゴンボール世界に転生し(亀仙人とサタンにうざ絡みされ)ていたら、さぞ醜く爆笑必至な飲み会になることだろう。特にサタン。おまえは心配だよ。ピッコロのような異星人が侵略しにきて、やつらは単性の生物で自己から卵を生み出して増える(ふ化した個体は軍隊の師団を壊滅できるほどのデタラメな強さを誇る)と亀から聞けば、進撃組の二人は酔いもさめることだろう。ネイルと最長老の関係を見ればわかるように、基本的にナメック星人は争いを好まず、敬老の精神は自己のどんな欲望よりも勝る。ピッコロもまた然りである。とりやまさんがピッコロのことが大好きなのも、きっとそのあたりの不器用さが好ましいのだと思う。ピッコロが生まれた経緯を聞いてしまったら、シャーディスとマガトはピッコロに会わないわけにはいかなくなる。自己保存、自己肯定、自己満足。マンガ『アオアシ』小林有吾を10巻まで読みました。冨樫、いいですね。俺様のくせにユースへの決めつけと苛立ちを隠さない(本当の俺様なら役に立ちさえすればユースなんてものはどうでもいい)青い大将なところがいい。キャプテン翼ならエリート校(みたいに見える)修哲にライバル心を燃やす石崎くん(全部若林が悪い)のようです。まあ、日本代表・正ゴールキーパーが専属コーチをしている小学生とか身近にいたら理屈以前に嫉妬するよね・・・。若林も石崎のことは嫌いじゃないと思います。本当の俺様とは若林みたいな奴のことをいうのだ。まあ、絶対的な守護神が自陣ゴールを守ってくれていて、鬼のようなコーチング(正確無比)が最後尾からズバズバ飛んできたらマンガの登場人物かあいつは?と、まず現実を疑うね。理想的ではあるが、そんなことがあるか?と。冨樫の理想のサッカーは福田が思い描くサッカーの実現で、じゃあ福田の理想のサッカーとはなにか? 10巻まで読んでいると、アシトがサイドバックとして司令塔になることだ、としか考えられない。そしてアオアシ界の若林はいました。お嬢こと海堂杏里です。冨樫からサッカー観をもったいないと言われ幼馴染の遊馬からは「若林くんじゃ!!(笑い)」とネタにされています(嘘です)。叱咤に関してはエスペリオンユースの指導者たちはよくよく考えていますよね。伊達ヘッドコーチの胃に穴が開くのが早いか、アシトが成長するスピードが速いか、勝負だ!!! 福田のサッカー観をだれよりも信頼し、だれよりも疑問視しているのが伊達なのです。エスペリオンユースは最強、と日本サッカー関係者の間では有名らしいです。誰からも信頼されないゴールキーパーは理論上、存在しない。結婚式の余興に歌手を呼ぶ時に性格の悪い人を呼ばないのと少し似ている。己の地位に恋々とする者が見る者を魅了する人間なのだと自分を誤解することほど痛々しいことはない。つまり痛々しいゴールキーパーはこの世に存在することができないのではないか? 見て楽しいサッカー、来て見て楽しいサッカーは絵に描いた餅なのではないか。冨樫が地元のサッカー少年団の監督に無理言ってエスペリオンこどもサッカー教室(という名の青田買い)に参加したのは天啓でしたよね。租税は面白くない、と子供が言っているようなもので失笑以外の何物でもない。貨幣制度の根幹が面白くない。アオアシのアニメを見て、興味を持ったからコミックを買ったクチなので主人公のアシトのアンバランスさがじわじわと胸にきています。サッカーが好きなのにサッカーの有名人にはあまり興味がない・・・・・・の?アシトは。冨樫もサッカーへの興味がサッカーそのものよりも、サッカー馬鹿をみつけてバカ騒ぎをすること自体に興味があるようにみえる。戦争そのものに興味があるのではなくて、理路整然と狂気に身を浸してバカ騒ぎすること自体に生きている価値を感じているような。ゼロ戦があるのに空母を運用しないのはもったいないみたいな・・・ 失点するキーパーはこの世に存在することができないが得点できないフォワードはこの世に無数にいる。多摩体大附属戦で義経が無双しているのを見て橘がガックリしていたのですが、自分にできると思われることを盗めばいい。盗んだら使いこなせばいい。キーパーは自分に自分で声がけできないもんな。(やってもいいけど)(変人だが)ドイツの有名なGKマヌエル・ノイアーの経歴を見ると、寂しがり屋なのにすごい孤独ですよね。彼は… 福田達也曰く、「計算なんて言葉はやめろよ」なのですが、キーパーが計算できなかったらこの世の地獄でしょうが。読むかあブラザーフット。(一話からすごいしんどい)レアル・マドリードの正GKってだれなのでしょう? 大活躍云々。よりよく寝て、よりよく生きる。アシトがユースの生活環境(サッカー漬け)に感激して目を輝かせていたのを伊達たちが見ていたら心の中の満足メーターが急上昇したことだろう。ユースは結果ももちろんだが、主体は育成のはずですからね。冨樫のユースアカデミー生が大っ嫌いなのはアクセントが効いてます。連中はプロになる結果以外には人生の楽しみがない生き物だと見ているので(そういった面は確実にある)しけた面をしているアカデミーあがりの連中に冨樫が仲間意識を持つのは、本来ならとても難しいのです。女性初の(選手経験がないのに)男子プロサッカーチームの監督になる!と宣言しているお嬢のことは気に入ってますよね、冨樫(呆れているけど)。弱っているアシトを見て乙女スイッチが入るのを冨樫が見たら、心底くだらない生き物だなと見切りそう。重箱弁当で餌付けした事実が後々に効いてきそうだ・・・ しかし大友は本当に得難い人物だよなですよね。なにもかもわかっていて、なにもかもほっとくよね。そして人の女難を心から喜ぶ… 大友はチビで愛嬌があり女性から無視されやすいタイプの男なのでなのに、人をナメることをしない。圧倒的にいいやつなのだ。杏里から惚れられたらどうするんだ大友。あと、とにかく常識があるよね。ちなみにわたしは上げたらそこにどんな大義がなくても落とすので、大友は時と場合によっては血の底(おぉ)まで落とすよ。冨樫と遊馬と杏里でアシト談義をした際に大友がいたら、さすがにアシトの友達をやめようと思ったかもしれない。モテすぎだからね。現代サッカーならぬ、現代LEDテレビ談義なら混ぜてくれぃ RGBLEDテレビってそんなに凄いの・・・? 圧倒的に残像感のない液晶テレビ(発色最高)があったら電気屋のテレビコーナーで小躍りしちゃいますよね。ひゃっほー BS4KのNHKサッカーワールドカップの放送を見に行こうゼ。ひゃっほー といっても、最高の有機ELテレビと見比べるとどうなのでしょうねー なに?買えないのだから気にするなって? そのとおりだぜこんちくしょー とにかく大友を大したヤツだと持ちあげたくなる気持ちはわかる。アシトのお母さんにだれが一番気に入られるかというと、十中八九、大友になるのではないか。仲良く遊んで気持ちよく店にお金を落としに来い。ベッケンバウアーは敵だ。おい大友のまえであまりイチャつくな。めんどくさ過ぎるから・・・ 花が栗林に惹かれていたらエスペリオンは地獄だったよ。容易に想像がつく。ドイツサッカーの黄金時代はいつ頃だったのか・・・ 私が思い浮かべるドイツのサッカースタイルは2002FIFAワールドカップの準優勝チームだった時のドイツです。正直、カーン以外の選手は顔も名前も知らないし覚えていません。いえ、いました。クローゼ! 検索して調べるとFIFAワールドカップの最多得点王なのですね。そう、7-1でブラジルを撃破したのは2014年準決勝だったか。ごめんクローゼ。当時はあんまり記憶に残る選手じゃなかった。ドイツは強いんだなあ、くらいに試合を見ていた。全盛期のシャビのベストゲームを見てみなくては・・・ 舶来ものを過剰にありがたがるのは小平浪平が許さない(急にどうした)。関心も興味もない。アオアシ世界の無比は関心を持たせる能力なのだ。そりゃあ強いに越したことはないが、だれからも関心も興味も持たれなければ、そもそも強さなどゴミ以下の価値しかない。まあテレビがきれいに映ったからなんなの?と聞かれると、たしかに「なんなの?」という気はする。航続距離が圧倒的で空戦能力が最強な艦上戦闘機を空母打撃群として運用するとして、それがどうした?と思われれば、まあ、たしかに「それがどうした?」とは思いますよね。健康で長生きすることに誰も関心も興味を示さないのなら、早く満足して死ぬこと以外に人生の楽しみなどないことになる。小学生のうちから「人生で一番大切なことは、身体と心が健康であることなんだよ?」といっていたらかなり心配ではあるが・・・ 昭和が面白くクソつまらないのもまあ、サイクルが速過ぎるせいでもある。ナディアのBS4Kの再放送見ました?バベルの塔の回からナディア救出作戦のたった2話ですが、バベルの塔スゲーッ!!!!からさらばだネモくんどっかーん!!!まで忙しすぎて面白すぎるだろう。ぎゃははははは!!!!!おりょ? EVA3号機がサンソンみたいな活躍をはじめたら腰ぬかすよね・・・「いいかジャン。男に必要なものは気合だ。押して推して惜しまくれ!なんとかなる!!!」「でもなジャン。このハンサムでダンディな俺様が活躍できるのも、すべてハンソンのおかげなんだ。相棒は大事にしろよ…」ガーフィッシュの艦長ですが、「停船せよ。さもなければ次は貴船(!!)に命中することになる」とすごい紳士なんですよね。サンソンは見習え。たしかガーゴイルをバベルの塔の基地まで船に乗せてきたので、ガーフィッシュ艦隊の総司令を兼ねている艦長なのではないか。ふふふふふふ。いやまあ、パーティーに出席するから件のガーフィッシュにいたのは副長だと思うけどね。ふしぎの海のナディアの劇伴の素晴らしさを語り始めたら液晶と有機ELのどちらが美しいかくらいに不毛な長話になりそう。とにかくネモのノーチラスはバベルの塔で狙い撃ちですよ。近すぎるでしょうが!!!! 新劇場版エヴァ3作目の人工衛星が使徒に乗っ取られるシーンは大音量でみれたので大満足でしたよ。ドルビーアトモスなら忙しすぎる音響になっていること間違いなし。ノーチラスの危機に大天使が駆けつけるとかどこの外宇宙から来たんだおまえは?と「敵の味方でないのなら味方」と大味すぎるアクションだぜぃ。アスカは土壇場でシンジの名前を呼ぶんじゃないよ。「目を覚ませ!3号機のパイロット!」と叫んだら使徒の支配から脱出するようなご都合主義だぞ、それは・・・。ノーチラスがけん引ビームにひっかかって原子振動砲で裸にひん剥かれたのは昭和…じゃなくて平成2年10月26日のことだ。当時から超遠距離の雷撃戦(という名の空中ミサイルぶっぱ)には納得いかねえぜ。万能ミサイル説すぎるのね。ミサイル艦がありゃいいじゃねえか。ロマンがないよ。サンソンがノーチラス号のことを最初から嫌いなことも、考えてみると一貫した態度なのです。規格化された量産品を使って幸せになろうという考え方が嫌いなのだろう。初恋の女の子の危機に必ず救出に向かうという向こう見ずな少年を見捨てることは、サンソンにはできないのでしょう。王立宇宙軍をちょっと思い出す。ハサウェイのガンダム映画はそのあたりを苦く演出してます。地球の環境とか人類の統治とか、どうでもいいでしょ? グランディス一味がガーゴイルに悪態をつくシーンは、思い返してみると直接に対峙して文句をいったのはナディア救出作戦(第8話)時のみかもしれない。その際に売り言葉に買い言葉でサンソンがライフル銃でガーゴイルの心臓を狙撃している。散々擦られている話題ではありますが、ガーゴイルは己の美学を実務より優先させる道化みたいなところがある男で、そんなところは冬月先生そっくりです。ノーチラスのクルーを全滅させるだけなら、いくらでもやり方はあったよね。誰も自分には逆らえないので思いつきの作戦を実行させては詰めの甘さで煮え湯を飲まされている。あんたが主人公だよ… ピクシブ百科事典のガーゴイルの表記内容を読みましたがツッコミどころ多数! 声優の清川元夢にキャラソンを歌ってもらおうとスタッフが画策したところ「嫌です。演歌ならいいかな」と(清川が)いったのでオリジナル演歌を書き下ろして歌ってもらったそうな。怖い 兄弟船をネモ(大塚明夫)とガーゴイル(清川元夢)でマイクを代わりがわりして歌うんかい。ネモは望郷ガーゴイルは支配(掌握)、売り言葉に買い言葉ってね。ガーゴイルは古代アトラス人の美術・芸術の信奉者でもあるので、ナディアが「素敵ね。こんなに美しい彫刻を造れる人たちはどんな生活をしていたのかしら」とガーゴイルに水を向けていれば(いやいや待て待て)まあ、ろくでもない目にあっていたことでしょう。「ナディア姫。特別に君にだけわたしのコレクションをご覧にいれよう」パチーンッ! ガーゴイルとジャンの共通する類似点は実は多く、自分の気に入った対象の解説をはじめると興が入ってきて止まらない。ジャンから本気の説教をガーゴイルが受ければ、本気でたじたじになる可能性はあります。自分の知恵と勇気と未来への希望を他人の幸せのために使えない人間なんて本当の進歩人じゃない! 偽者!(ガーゴイルのコンプレックスをぶっ刺すジャン)ネモから「本当のアトランはわたしではなく、きみなのかもな・・・」とか言われていたら効果百倍。ふしぎの海のナディアの初期イメージ画集を眺めると、いったいどこからガーゴイルが出てくるのかが謎すぎる。最終的にパリ上空で異星人の造った巨大戦艦と巨大帝国艦同士が火花を散らす特撮バトルだっ!と監督が決めたのなら、ひつぜんてきにそうなるのかもしれない。今どんどんガーゴイルにハマりつつあるのでナディアエンディングテーマソングもガーゴイルの心情を歌っているようだ・・・とヤバイことを考えはじめている。ガーゴイルの限界は古代アトラス人から連なる美術、芸術、科学、人文、思想と、もっとも美しく優秀な者たちがこの世界を統べるべきだという選民思想なのですが、一方的に旅先で出会った少女に一目ぼれし、追っかけて、仲良くなりたいなーと(フラれるに決まっているだろう)バカまる出しで告白したジャンには何もかも及ばない(及ばなかった)というのが現実なのだ。なんの因果か、ナディアの気持ちがジャンにどんどん傾いていくのがガーゴイルの妨害活動によってなのだから笑うしかない。とにかく変人どもが自分を助けたいというジャンに協力してくれる。世界が変わる。まさに吊り橋効果。いやホントに笑う。ストリーミングでの視聴とダウンロード後の視聴で同じ楽曲、同じ元データで、差は出るものなのだろうか? アンプとDACの魔力に信奉できるかの話になりそうだが・・・ 同じ映画を別の映画館で見聞きして(して? 映画館ごと買う気か?)スペックを比較する気か・・・ そりゃあタイムマシンがあるなら、鷺巣詩郎のレコーディング現場を見学したいよ。マイケル・ジャクソンのミュージックテープを再生した時はこの世の存在とは認められなかった。たぶん今でもそうです。グランディス・タンク、略してグラタンの活躍もサンソンが心の目で外部カメラの映像を(テレビゲーム、グランツーリスモシリーズのように)脳内に映写できる異能者であれば、なんて俺様はかっこいいんだ!!!とテンションが爆上がりですわ。実際にバベルの塔の宮殿からの脱出ゲームがあれば、延々延々と脱出しますよ。絶対にノーチラス以外のゲームクリア条件があるに違いない!(無数のハチの巣エンドを体験しつつ)とステージ内を走りまくりどこかにボーナスが落ちていないかを時間を溶かしつつ探索しまくりたい。きっとあるはずだ!!! まあガーゴイルが「ネモのノーチラスをバベルの塔で狙い撃ちすればチョーかっこよくね?」と茶目っ気を出さなければ、「ノーチラスが侵入してきたであろうガーフィッシュ通用口を閉じるか、付近にいる全ガーフィッシュを詰め込んて雪隠詰めにすればいい」とチョーつまらねえ安全策を取って数と時間で押し切ればいい。ゲームエンドだ。ガーゴイルは善意と愛嬌でできてますからね。ネモがジャンにお願いして(キルアがビスケと上手く付き合うなら絶対安全策がある(キモイ)とクラピカに教えたように)「奴のことを褒めまくってくれないか?第一段階として私のことをべた誉めしたうえで、私のことをなにも否定しないでガーゴイルの思想や行いを誉めてやってほしい。私は自分の国を破壊したが、奴は自分で国を興そうとしている。熱意と覚悟は本物で、高貴な者だけが持つ責任を果たそうとする姿は誰よりも美しい」、と。「ああ。ようやくわかってくれたかネモ」とキモイの極致に達したガーゴイルの発言を聞くかもしれないのでやっぱりなしで。ビスケも本来の自分の姿が好きではない(ゴンやキルアがビスケを好きなのは、自分自身の努力で自分自身が好きな自分になるのだと他者依存性がきれいさっぱりない点があげられると思う)が、ガーゴイルのように結果を求めているわけではないのだ。ジンと似ているね。キルアがビスケが心から喜ぶことを考えているけど実行はしないのが少し笑える。ビスケの肉体に夢中な人が出てきましたが、あの人、まったくなんの躊躇もなく、ビスケの核心に触れそうだよね。美しい美しい美しい(がーんがーんがーん)。ちょうどよかったとクラピカが前言を撤回するのとセットだ。よろしいか?(いいわけがない。にこやかな顔で「正直、心苦しかった。言えてよかった」とクラピカなら言うね)ジャンプラの新連載のマンガ、キモイをガン無視するキルアみたいな子ですね。念能力を対人戦で殺すことに特化した相手への対抗策として編み出すのなら、時間稼ぎと認知能力の阻害と復讐の気の起きなさを考慮すべきなのだ。最終的に、こちらが寿命で死ぬまでに向こうが「必ず殺してやる」という気にならなければそれでいい。まあつまり、羽虫がうざいが、それに頓着するのもあほらしいと思わせればよい。美人すぎるのでバカが寄ってくるから擬態する能力を身に着けるようなものです。最後の一手、終わらない終局。誰だ。パトレイバーっぽくてヤマトっぽくないなとか言った奴は・・・ 後藤が帆場のこと考えているとニヤけてしょうがないのをしのぶが注意するのを喚起されたい。気の使いようを念で再現、微調整するようなもの。映画D&D/アウトローたちの誇りは至る所に気を使いまくっているので、ジャージで見に来てしまっていたら急いでトレーナー(一張羅)とGパン(一番新しいヤツ)に着替えてこなければならない。成城の東宝スタジオにある試写室が自宅の敷地内にあれば最高と妄想して、TOHOシネマズの旗艦店はどこかと検索すると・・・。あ、今週の木曜、6月11日に名古屋栄館が新規オープンするね。こけら落としはジブリ作品の4Kリマスター祭りになっている・・・。ふつうに考えて成城のスタジオでリマスターの編集してるのではないか。え?そんなことはしない? いやいやでもでも、映画の上映前にスピーカーと音の相性をみたりするでしょ? 東宝の自前の映画館なら尚更に。あれだ、ナディアも22.2chリマスター作業をNHKホールで録音して、渋谷のスタジオで調整して、どこで上映するの…。呪術廻戦0での、真希の「誰もがオマエみたいに呪いに耐性があるわけじゃない」は廻りめぐってるのだ。極論をいえば、誰もが乙骨のように呪いに耐性があれば、誰もが安心して生活ができる。空気中や水道水に呪いが入っていても、気にせず吸い込んでごくごく飲み込めるのならインフラを改めて整備する必要はない。感謝の正拳突きを行う動機もなくなるのね。夏油は捻じれている。どれもこれも同質の数を増やしたいという正義の実現による同質ではない者の足掻きなのだ。五条にはその足掻きが無駄としか思えない。無駄じゃない!が夏油の信念なので、五条は親友の生き様を見守ることしかできない。五条は真希に潜在的な苦手意識があるね。親友に決定的な刻印を刻み付けて、良い方向性に導いたのが真希だったので。真希の「なんでオマエが被害者ヅラしてんだよ?」「気持ち悪ィ」は、まあ最悪な罵倒なのですが、乙骨は自分を殴る同級生の人生の不幸を未然に防ごうと里香に命令するほど自分の身の安全よりも周りの人たちのことを気にかけている。里香の暴力を制御できないからです。乙骨と七海は作中で出会っていないのですが、あの二人は本当に似ています。呪力、呪霊がらみで一般人が不幸に見舞われているのを見てしまったら、結果を考えずに人助けをしてしまう、誰かがインフラとして人生を捧げなくてはならない(そうしないと一般人は生活ができなくなるから)ことに疑問を持たない、浄化槽が自分であること、乙骨の場合は自分自身が動く腐海でもある(毒は吐かないが、過呪怨霊は破壊と呪いを巻き散らかす)ことに、保守的な(保守!)考えを自分の信条にすることに至るあたりが。ノンノンノンノン!と釘崎が出てくるな・・・ ショッピングと食べ歩きを人生の信条にするべきなのだ。世界は丸い!(だからどうした…)あと男も漁ろう。 虎に翼の第一週の面白さは格別なのですが、娘が昭和の新しい世に羽ばたこうとする祝福の門出をまるまると全部、夫とその恩師にお膳立てされた猪爪はるは鬼と化します。優三以外にはバレなかったのですが、その怒気は(なぜか)桂場が喰らうことになります。ほほいのほーいと女性の社会参画の理想に燃える穂高が喰らうべき怒りだったのにもかかわらずです。このボタンの掛け違いは最終回まで是正されることはありません。猪爪はるの怒りは第4~5週の共亜事件騒ぎで矛先を向ける方向を見失うので(本当にそれどころではなかったので)うやむやになります。思えばヒロイン寅子の新潟三条支部赴任のエピソードの中途半端さも「中央から赴任してくる女性判事の経歴の箔づけ」に関しては、本当の本当の本当に、一顧だにされていないのが気になりますよね。虎に翼が絶対に一顧だにしないのは星長官の人となりであり、いってしまえば明治維新の御一新に関する当事者たちの気持ちをどこに持っていったのかという話になります。死ぬほど遠回しに穂高がしょんべんカーブの死球を喰らったともいえなくもない(いや、いえんだろう…)。明治大学の創立精神、独立自治と直結する話でもある。「できもしねぇことをセコセコやんのを 意味ねぇっつーんだよ!!」憂太が真希から一本なんて取れるわけねぇっつーんだよ!!すじこ!!(人間はキモい)そうだそうだ、(以下ヤベぇ文句の数々)(特に釘崎まわりの暴言)(青くなる虎杖)(思わず言い過ぎたと反省する五条) 五条と夏油は呪術廻戦、壊玉・玉折の時点では日本の呪術システムの基幹である天元と敵対することもアリだと見込んでいたので、盤星教信者たちと理子との間にある埋めようのないミゾの存在を見て混乱したわけです。特に夏油が。日本の道路信号システムが一人の人間の制御によって(船舶や航空機や電車も含めてもいい)保たれているとして、どこの馬の骨ともしれない人間がその重責を引き受けよう(どうなっても知らんが)としゃしゃりでてきたら、いい気分はしないかもしれない。なるほど、メタルグレイモンになる分にはいいけどスカルグレイモンになると困る。だからコロモンからやり直すって話ね。いや、違うね。(馬の骨だっていってるだろーが・・・)五条の六眼と天元(と星漿体)は因果で繋がっているそうな。・・・・・・あれ。乙骨の六眼はどうなったのでしょう。SFマンガなら大銀河、大宇宙の法則を司る存在が出て来て天元の存在そのものを飲み込もうとしてくるヤツだ。パンチパンチ! 明治大学の創立には安中藩出身の有名人新島襄と関わりがあったのかなぁ。フランスとイギリスとアメリカのギスギスっぷりは見ている分には楽しい。群馬と栃木と茨城でわいわいやっているようなものです。てめえが馬の骨だ!!!我こそが馬の骨!!!!(どーぞどーぞ) 今の道路交通法で騎乗して移動するのはアリなのかな?(検索する)馬の道路標識・・・! 見た事はない。呪術廻戦の世界では天元の結界術による保護で、ある種の結界はわりと簡易に張れる。ウィザードリィのように簡易キャンプが開けてかつ外部からの攻撃にはほぼダメージを受けない(なんと緊張感を削ぐ便利キャンプ)のなら、使わない手はない。瞬間で張れて瞬間で解除できるのなら便利すぎるので抹消だ。まあ、いっそキャンプ中はキャンプ外からは存在が感知できず、かつキャンプ内の状態はある種のメニュー画面なので喰らい判定は存在せずにゲーム中の時間はそのまま過ぎていく(キング・クリムゾンが無条件で無限に発動できる。悪用しないのが人間である条件)のならメニュー中に瞬間移動のコマンドも用意しておこう。悪魔的なブギウギの使い方な気がしてきた。 盤星教信者たちと理子と黒井の間には「何も奪うな」という制約と誓約、というよりも意味つけの争いが生じていて、夏油はその意味の解釈に一生を費やしたともいえる。救いようないバカだなおまえは。五条への精一杯の皮肉が「わたしが五条悟なら、この馬鹿げた理想も地に足が着くと思わないか?」なのは黒井が聞いたら泣く。浅瀬で子犬が溺れて死にそうな場面で、夏油は助けた後のことを(一瞬)考慮してしまうが五条は気にしない。気にするべきなのだ。領域を展開すると領域全体にガソリンをぶっかける術式だったとして、無尽蔵にガソリンが無から精製できるのなら人類の救世主ともいえる。基本的に人類、特に日本に住む人間は天元に感謝するべきなのだ(呪力の発生と循環に天元が恣意的に絡んでいなければ)が、呪力の操作は領域と術式を絡めた「ダムと浄水場と配水システムと各家庭の蛇口」のように洗練されていても、天元前はそれはそれは大ざっぱで大らかだったと思われる。ジャンププラスで連載中の勇者アバンと獄炎の魔王ですが、ここにきてマトリフの「弱音を吐かない」偏屈さが黄金のように輝いています。この男は生涯で一番の弱音を吐いたのが「惚れた女が穀潰し同然の自分(マトリフ)に故郷に帰ってきてくれてありがとうと礼を伝えて、満足して死んだ」後にこの世から消えた故郷に向かって「俺はおまえのことが大好きだったが、他の若ぇ女も同じぐらい大好きなロクデナシなんだーーーーーっ!!!!!」と叫んだゴミなのです。いやあ、人のことは言えないな。ぶっちゃけ、使命も運命もこの世界の命運も、俺の欲望の前には釣ってきた魚を焼いたメシのオカズよりも軽いのだ。偏屈極まる。バーンと話が合いそうだよな。好きな焼き魚の話とかさ。あと凍れる時間の秘宝の話もね。アバンがウロドの戦いで凍りついた後の話は、マトリフの人生で最も自信を喪失した時間だった。原研のもんじゅ開発で必ず成功させると人生を賭けた技術者もきっといるのでしょう。バーンも自分自身を実験体にして、凍れる時間の秘宝の実用化を成功させているのでそこだけ見れば、偉人中の偉人なのだ… 会いたくないよね。魔界編でバーンの研究成果を盗み得た勢力と出会うのはさ。永遠に消えない炎(メラだ)とか、バーンは何気に狂っているのだけれども、老バーンの時は自慢話の類はしない傾向がある。マトリフの師、バルゴートは若い時はスッゲー鼻持ちならない賢者だったのではないかと私は想像してます。おばあちゃんのいうとおり こいつはくずだとわかった もやしてしまおう 判断が速い! バーン配下に女っ気がまるでないことを今さら指摘しても本当にだからなんだよという話になるですが、ダイ大世界の退屈キング、ロン・ベルクが変人中の変人なのは心震える感動と驚きがあの男の場合に限っては「武器と使い手がお互いに信頼し高め合う関係」性であり、それ以外は刺身のツマ程度に物事を見ているからで、つまり女っ気の軽視は「女は身の丈に合わない武器を見て、自分を鍛えて相応しい使い手になろうとする気がない(まあ男もないが)」とチョコを買ってついてくるおまけを見たら雑な商品がついてきたので世界を見限った小学生みたいなのがロン・ベルクというわけです。魔族は長生きをするので魔族の神の聖書や詩篇があれば、ロンあたりは気に入ったフレーズを諳んじて暇つぶしに鼻唄を歌うくらいするのではないか。映画D&DのウルトラHDブルーレイ版は多言語対応なのでインドやロシアやエジプトや南米、あたりの国の言語でも聞いてみますかねぇ。お友達のエドガンならご存じのはず、詐欺師を信用しちゃだめだって、ホルガ・ホルガ・ホルガァ~♬、とかなんて言っているのだろう。イモを投げたわ!!! ダイ大世界では個人の持つ魔力を質量に変化させる技術が確立されている。ハンターハンターでいえば強化系の技術そのものといえるもので、バーンの圧倒的な近接戦闘能力は魔力を打撃力に変える理力の杖の効用に、その理由を求めることができる。もしもの話、バーンを上回る魔力量を保持し光魔の杖を商店街のくじ引きの3等あたりの掃除機程度にしか見えないくらい完成度の高いマジックアイテムがあれば、攻・防・呪文の三点セットのワールド級の新技をお披露目できるのではないか。竜の騎士の「戦闘マシンとしての経験の蓄積」云々のくだりも、めちゃくちゃいかがわしい設定ではあったしね。魔力ダムとしての効用があるマジックアイテム(本人にダム強度が備わっていることが必須条件)で、それは副次的な効果に過ぎない、とかね…。も、一回ジョジョ8部を読んでみるかァ~!? 誰か目の覚めるような憲助とヴァレンタインの文章を書いてくれんものか。承太郎とジャイロと常秀はそっくりだと誰かいってくれよォーーーーーーーーーーーーッッッ!!!! おい誰だ劣化していく承太郎だなァ?とかいった奴は!!!常秀は康穂を助けてないだろーがよおッッッ!(勝手に自ダメージが入る音)読み返してみると雨樋(あまどい)に負けていた。マジか。まったく記憶になかったな・・・ ネイマールに自分を重ねる常秀。クロコダインの必死さを理解し評価したのがザボエラだけだったことが、30年くらい過ぎてから私に効いてきた感があります。初めて読んだ時から強く思っていることの一つに、クロコダインはフレイザードのことを理解していなかったのではないかという不満がある。フレイザードはおまえと同じでとにかく必死だったんだぞ(そして同僚のクロコダインを正しく評価していた)。だからなんだというわけでもないのですが・・・ トップをねらえ!でいうところの人は自分と同じ人生を歩めない、おまえの誇りはおれの誇りではない、ケンカ売っとんのか。カノンが死んでいなかったらアバンの身は危なかったぞ… フレイザードの持つ者から何もかも奪って成り上がるンだという気概はとにかく突き抜けているのでキモチイイのだ。みじめったらしいのだけれども、恨みつらみがないというか。若ハドラーの愛でてやりたい純粋さで出来ているような爽快感を感じます。絶対魔族のオンナも寄ってきたと思うのですけどネ・・・(若ハドラーの方) もちろん飽きたらポイと捨てられる。化ける可能性だけを見れば、フレイザードには純粋な魔力を闘気に変換させる節目が来たのかもしれない。カノンは武闘家と魔法使いと僧侶のミックスみたいな(まるで魔王のような)特性があったのですが、フレイザードがカノンと戦えば弱点を強さに変える方法に目覚めたのではないでしょうか。右手と左手に炎と氷の特性を持たせてぶん殴ってきそうだよね、カノンは。(あ。フレイザード戦に限っていえば左右逆にした方がよい)マトリフとガンガディアが到達できなかったのはバーンが体現しているフェニックスウイングである。なんとなく獣王痛恨撃と似ているよね、あれ。しかしなんとなく私はフレイザードを尊敬しているな…(そしてクロコダインには辛い)(辛辣の方) 勇者アバンと獄炎の魔王、はハドラーの負けん気が折れて現実を見る風見鶏最高!と雄々しく再起する魔族の青年の話でもあるのだ。フレイザード、おまえ、大変だな・・・ ハドラーにできた最初の友達がアバンであるともいえる。ぜぇ~~~ったいにフレイザードなら唾を吐くね。き、嫌いになれない・・・ フレイザードは全方位に唾を吐いているわけではない。クロコダインへの評価は「鋼の肉体」であり、己の長所を生かす者には敬意みたいなものを持つ(ちょっぴりね)のがフレイザードなのだ。バーンもちょっぴりフレイザードのことが気に入ってるよね。マトリフがガンガディアと戦い、極大消滅呪文の片鱗、というか暴走を見せたのがウロドの戦い。マトリフは極大消滅のエネルギーを両手の中に押さえ込んで指向性のあるエネルギーに変換させて、狙った方向に必要な量を放つという技を完成させる。自動車(内燃機関)の構造で頭がおかしいのはクランクさせるエネルギーを電気からとり、その電気はガソリンエンジンの回転力からオルタネーターを駆使してバッテリーに貯めるという発想です。よく実現したよね。自動車には無駄な部品は一つとしてないとある本に書いてありましたが、事故のない安全な道具としての自動車は夢の発明品といえます。実際の自動車を運転する機会を経験すると、原動機の出力特性と車体の重量は運転感覚に決定的な影響を及ぼすことがわかる。教科書やカタログを読んでいるだけでは(ギュータで修業しているだけでは)わからないことはある。納得への道はサディズムで舗装されている。ジャイアンがエルを助けた行為は、正々堂々とした決着を望まない輩には制裁を加えるというフェア精神の発露だったといえる。ジャイアンにとって背後からのだまし討ち行為は死をもって償わせるべき、禽獣に劣る行為なのだ。まあ、エルたちが油断していたのはジャイアンたちがコソコソ隠れていたからなのだが・・・ コソコソ隠れて自分たちだけが安全な場所から高みの見物を決め込むのはアトランチスの国是そのものだ。ポセイドンが根っからの番犬気質ならおそらくなにもかもが許せないのだろう。しかしマトリフはハドラーに因縁があり過ぎる。オレは根っからの超天才でよ・・・ 沈黙の艦隊、ジパングで死にそうもないキャラといえば深町と角松ですが、それでも角松は死にそうでしたよね。梅津艦長が「みらい」とそのクルーたちによる歴史改変の可能性を危惧していましたが、そのことと同じくらい、角松の人の好さ(による歴史改変)を危惧していたのではないかなぁ… 「我々が国民のために国を守ることは仕事であって使命ではない。同じように、この世界の歴史を守ることは・・・、」「わたしの我儘だ」「この世界で我々はなにも失ってはいない。失いようがないともいえる。だから何かを手に入れようとすることには慎重でなくてはならないと思う。元いた世界に帰りたいという我々の願いはこの世界に根を下ろすことで慰められるかもしれないが、この胸に去来する寂しさは・・・」(角松が唾を飲み込む音)「死ぬまで持ち続けるべきだと、わたしは思っている」呪術迴戦の東堂がここで乱入すると、好きな女のタイプを聞かれて即答できないような奴は青春を楽しむことはできない。聞いているかメカ丸 と戦いにウキウキワクワクできないのなら青春の舞台には立つなと説教を始めそうだい。呪術師とは自分という個が何をありがたがる人間なのかを万人にさらけ出すことを是とする人種だともいえる。夏油が家族が誰からも感謝されないことに憤りを覚える人間なのだと自覚したのが高専3年の夏だったわけですな… 夏油は皮肉力が足りない。マンガ「ルックバック」で主人公藤野の闘争心に火をつけたのが京本の藤野先生に自分の描いた絵をみてもらいたい!という欲望だったことを題材にしてマンガ「ショーハショーテン!」の畦道の父親のことを論じてみろ。不特定多数の第三者を大勢笑わせたい!という藤野の欲望は畦道(息子)の欲望に直結しますね。夏油の猿共は嫌いという本音は猿共に笑われることがたまらなく嫌いだという子供の駄々でもある。子供なんてみんな駄々っ子だろうに・・・ 泣いて喚いて騒いで 少年マンガが自由を手に入れる過程を描く作品なのだとすると、ジャイロや藤野や畦道が、マルコ少年の先祖代々の誇りの体現や京本の絵画の描写力や文化祭ステージ上で浴びた観客の爆笑の大波はすべてが刻印だといえる。ダイでいえば竜の紋章だし夏油でいえば悪意のない第三者からの拍手がそれにあたる。竜の紋章は誰がための怒りか、本当に意味がわからないのだ。ジパングでいえば角松がハワイでチャンネーをナンパするのが目的だったのになんの因果か——死にかけの旧日本軍将校を助けて情報統制を蔑ろにしたせいで——えらい目に遭ったのもタイムリープした際の注意事項を守らなかった教訓だといえるだろう。無茶いうない。笑いは一種の敗北宣言なんだとショーハショーテン!作中で誰かが(シュプレの鉄平太が)いっていましたが、誰かに認められる(一種の敗北宣言)ことは誰かに認めさせることでもあるのです。真魔剛竜剣が泣いて喚いて騒いで土下座して どうかわたしを武器として使ってください と求めてきて その願いを実現することに何の意味があるのか? と応えれば、「わたしには価値があります!」「あなたを皆が竜の騎士として認めます!」「これはこの世界でもっとも価値のあることです!」「ただ生まれて育ってきただけでは価値がないと、おまえはそう言いたいのか?」「価値があるかどうか、決めるのは自分自身なのではないか?」「おまえは勘違いしているのではないか?」「まず、おまえはわたしに認められなければならないのではないか?」 ダイ大世界では極限まで圧縮された闘気は手元に置いておけるバスタービーム(触れると自壊する。触らなくても周囲を蒸発させる。根性で切断タイプと拡散タイプと反射タイプ(?)に使い分けできる)みたいなもので、神話の伝説の武器でも対応するのが難しい。バーンもフェニックスウイングの試し撃ちを(慎重を期しながら)複数回、何種類も試したことだろう。自身から放ったメラゾーマの連発にどのくらいフェニックスウイングで耐えられるのかチャレンジしようぜッ! バーンがロン・ベルクを買っているのも真魔剛竜剣に挑む心性が気に入っているからで、極論をいえばバランが人間ではないと感じながら王女という立場も完全無視したソアラはロン・ベルクと同じかそれ以上にヤクザな女なのだ。酒もって来い クロコダインが魅力的なのだということをそのへんの散歩行きたがってキャンキャン吠えている犬でもわかるようにこんこんと説明したい気分だ… クロコダインが人間の素晴らしさに感動しているところに、いかに人間がシステマチックに物事を進めたがる生物なのかを百例を交えて言いたくもなる。オレの人間への敬意は、そんなものでは消えはせんぞっ! バランにソアラだって人間だったじゃん・・・といったのはヒュンケルだったか。探り探っていくと真魔剛竜剣がシステマチックへのあらゆる文句を粉砕する神の遺産になっている。竜の騎士の戦闘生物としての遺伝子とかもグロテスクの極みであり、バーンから見るとロン・ベルクの爽快さはちょっと筆舌に尽くしがたい。ロンの愛剣もダイの剣と謎の精神ネットワークで繋がっている可能性すらある。ご主人の皮肉は最高なので時々我慢できずに吹き出してしまうのが星皇剣さん(二代目)の悩みとか。ショーハショーテン!の登場人物の中で、実写ドラマ化する場合にキャラの再現度が最も難しいことになるのはライジンの二人であろうと推測します。アニメ「ハイキュー‼」の白鳥沢戦のクライマックス「強さとは実に多彩」は本当にシビれるので何度も見返しているのですが、ライジンの背の小さいほう(ギャッ!)バンはたとえクラス内のお笑いヒエラルキーを破壊してでも本当に笑えるギャグを全力で取りに行く男(逆にいうと絶対に笑えないことには全力で逆らうのだろうと推測できる)なので(ブンタの姉がバンを魅力度ランキング上位に持ってきていること疑いようがない)、私がライジンを全然面白くないと認識している時点で実写ドラマ化する時のバンの俳優さんには私から見た時のハードルは銀河系よりも厚く、アンドロメダ星雲よりも遠いのだ。現代人は忙しくて理性的でだれよりも優しい。ドルビーシネマでスパイダーマンの新作映画を見に行く理由が複数できてしまっている。スパイダーマンにはマジでなんの思い入れもないのですが・・・ ネットの情報によると、ネッドはホームカミングからレギュラーというかピーターの参謀兼オタク仲間として表舞台に出てきてしまった、らしい。D&Dつながりでホームカミングは最初のほうだけ見ているので、あ、それ、オレ、知ってるわ。ネッドが驚いて落として壊してしまった球形の模型って、あれデス・スターなん? ネッドが模型を落とすまえに「スッゴイよネッド!!これ自分だけで作ったの!?まるで目の前に宇宙が広がっているようだ!(以下、SWの枝葉末節話がはじまり本編ははじまらない…)」ペトロバラインがでてこないヘイルメアリーだ バーンがクロコダインのハドラーへの忠誠心を本当に評価していればバーンが己の名を惜しむなんてことはなかったのね。他者評価、ヘイルメアリーの映画でトロッコ問題が来たなと思うのは死の片道キップが異星人の友人の好意によって故郷への帰還が叶う望外の僥倖に化けたときでした。主人公グレースは異星人ロッキーがこちらの動きを片時も目を離さず独り言も聞き漏らさない面倒くさい奴だということ以外、同じ目的を達成するための同志、仲間だと信頼していたので、宇宙で一人で孤独に死ぬことに憤慨してくれたロッキーに友情を感じたのでしょう。来たぞスタートレック!シンプルかつ合理的。野口英世の東京での苦学生(←学生ですらない)時代をつぶさに見てきた石塚三郎のことが猛烈に好きになってきたぞい。カメラ撮影が好きだったという話一つでいくらでも青春時代の笑い話がでてきそう。野口の笑えない話に相談に乗ってくれた石塚もカメラ撮影に口出しされると本気で切れたらしい(嘘)。西尾維新の化物語を・・・・・・・・・・・・・・・・・アマゾンで、オーディブルで、聞いてみるかぁ・・・・・・・・・・・・(あまったれてんじゃネーゾ!)(はーい)庇護下での組織内で己の地位向上(と組織運営の円滑化)に自己の生存目的をみつけている、つもりなのだ。アニメ「アオアシ」の再放送で冨樫のサッカー観が悪目立ちする回が放送されていました。お嬢こと海堂杏里が子供の頃から大人の目線を気にしないで育った(どう考えても同世代の子供からの視線のほうが刺さる子供時代だったろうと想像できる)ことが不良として誰からも相手にされない冨樫と対比することで皮肉が効いていると感じますね。ルール内での成り上がりにお行儀はあるのか?サッカー選手の経験がない人間がサッカーチームの監督をしてもよいのか?ユースサッカーも部活サッカーも碌に経験していない人間がプロサッカー選手になってもよいのか? しらん。4年に一回にわかサッカーファンになってきただけだし…。杏里のサッカーへの情熱は・・・・・・・・・・。冨樫がお嬢はおもしれーと思う理由はサッカーだけを見ている(クラブチーム運営、広報、自治体との折衝、そろばん勘定等は冨樫から見ればサッカーの範疇ではない、と思われる)女が珍しいという珍奇なヘアースタイルをして突っ張っている奴を見ていると応援してやりたくなる現象と似ている。あほそうな犬を見るとなでてやりたくなるのとも似ている。なんだっけ。武蔵野戦のまえに竹島が赤毛坊主になったのを冨樫が見て言葉を失ったのは、「気合で俺が負けている・・・!?」(結果として俺が間違っている・・・!?)と謎理論で敗北感を感じそうになったからですかね。橘がずっと感じていたエスペリオンへの申し訳なさ、ふつうの人間が超人ばかりの環境に自分から入ってきてなんの役にも立たず、いるだけで周囲に迷惑をかけている、ここに存在することに耐えることができない((大友を見習え!!!)) 橘の見習いたい真似できないところは——誰もが面倒くさがることをみんなの意見をきいて資料もそろえてまとめ上げる我慢強さ、結果よりも過程の中で尊敬される、されていることに本人が気づかない(結果を重視する性格だから)あたりかと。おお、橘に見離されないよう、生きていかないと、人としてダメになってしまいそうだ・・・。