(前回の続きから)

 

 バギーについて話し合い、ドラえもんが今後のバギーの行動に責任を持つことで暴走事件は一応の決着を見た。ドラえもんスネ夫に言わなかったことがある。22世紀のロボットAIと、人間との関係についてだ。

 たとえ話としてスネ夫ドラえもんと同型のネコ型ロボットを家族として迎えているとする。のび太スネ夫はいつものように子供の小競り合いをして、お互いのひみつ道具で争いをエスカレートさせてしまうだろう。取り返しがつかない結末までいってしまうかもしれない。そうならないためにはのび太スネ夫が争いを自制することが必要だが、道具が便利すぎて歯止めが利かなくなる恐れがある。次善の策としてロボットAI同士で争いを回避する手がある。ただしそのためにはAIに、のび太スネ夫より上位の判断基準がなければならない。スネ夫はロボットの道徳と表現したが、ロボットAI自身が行動規範を自分で考えて答えを出し、そのことをのび太スネ夫と共有しなければならない。そのすり合わせができないのならAIは人間から離れて自由に行動できる知能を得るだろう。人間の成長度合いも考慮しなければ、お互いの理解ではなくただの押し付け合いになってしまう。人間が成人する過程の教育プログラムと似て、未知を理解して納得、する必要がある。

 ドラえもんのび太の子孫であるセワシから受けた使命は、考えてみると人間とロボットAIが共有できる事案かといえば、セワシの独善的な面が強すぎてAIが理解して納得するのは無理がある(と思われる)。ドラえもんセワシに「理解できない、納得できない」と主張して、受けたセワシドラえもんを説得して納得させるか、ドラえもんセワシの願望を実現する行動の規範を自ら生み出すか、そのどちらかになるだろう。前者は相当に難しく(タイムマシンを使った禁じ手そのものでしょう)、後者は……することは前者と同じように見えて、セワシドラえもんの行動に強制力を持てないのに、ドラえもんの行動の規範に責任を持つことで(対外的にセワシがどうやって責任を取るのか不明だが)ドラえもんが自分で考えて行動する、AIの自律性がある。セワシと随時連絡を取り合うことで、ドラえもんの行動理念は矛盾をきたさずにいられるかもしれない。どうだろうか。