(前々回の続きから)

 

 35億年前、地球上最初の生命が海のなかで生まれた。海はやさしく生命を育み、多種多様に生命は進化していく。植物と動物が誕生して、植物の光合成により生まれた酸素が宇宙から地表に降り注ぐ紫外線を和らげ、海から陸上へと生命が移り住むきっかけを作る。それはわずか4億年前の出来事だった。

 陸上で生活を始めた生命はさらに進化を遂げ、激しい生存競争が繰り返される。多くの生命が生まれては滅んでいった。その中には母なる海に戻っていった生命もいた。たとえばクジラ。クジラのヒレの骨組みを調べると、陸上で生活していた時は前足だったことが分かる。ほかにイルカやアザラシ、そして海底人がいた。

 

「信じられない加速性能だ。こちらの最高速で追跡するのがやっと。バトルフィッシュの最高速なんて目じゃない。とんでもないものを見つけてしまった」

「そんなことは分かっている! それよりも周囲の警戒を頼むぞ。この速度では通信も探知もほとんど使えない。気が付いたらバトルフィッシュに囲まれていた、なんて様じゃ死んでも死にきれない。……ああクソッ! なんてうかつなんだ。こうなると分かっていればなんとでも手を打てたのに」

 エルとバディを組むダイが操縦桿を握りながら自分を罵った。彼が操舵する船はムー連邦の国境守備隊に所属する巡視艇である。対バトルフィッシュを想定した戦闘装備も有しているが、一対一でのキルレシオはバトルフィッシュを上回るものの、ニ対一では完全に逆転される。無人戦闘艦であるバトルフィッシュ(以下BFと略す)には仲間を呼び寄せる性質があり、ムーの戦闘マニュアルでは索敵を最重要視し、俊敏さと最高速でBFに勝る点を利用した一撃離脱戦法を推奨している。多大な犠牲を払って得たBFとの戦闘経験で通信用アンテナの位置は特定されており、先制攻撃でアンテナを破壊した後、BFの後方から一方的に攻撃をする戦法を取れば決して恐ろしい相手ではない。だが、今エルとダイが向かっているのはアトランチスの支配域である大西洋エリアなのだ。南アメリカ大陸最南端ホーン岬から向こうはBFとの遭遇率が急激に上がる。追っている所属不明の移動体は、ハワイ沖から出発し三時間を時速800kmの速度で移動している。追跡を開始した際にあまりの加速性能に驚き、守備隊本部に連絡を入れ忘れたことが悔やまれる。守備隊の僚機が近辺を巡回している可能性はあるが、BFに捕捉される可能性も高い。エルとダイの運命に分水嶺があるのなら、それはホーン岬を越えるかどうかだった。

「――限界だ。追跡を中止しよう。本部に帰投してこれまでの情報を伝える。いいかダイ」

「了解。減速に入るので周囲監視と同時に本部への通信を頼む……?」

 ダイの顔色が変わった。開く一方だった移動体との距離が急速に縮まった。急停止したようだ。エルも事態の変化を理解している。回復した探知レーダーを落ち着いて操作していた。

「……おそらく人間が二名、移動体から離れて動けないでいる。事故が起きていると思われる。このまま近づき、救助が必要なら助けたい。どうだろう」

「いいと思うぜ。本部への連絡だけは忘れるなよ」

 わかったとエルは返事をして、本部に連絡を入れる。通信手段は複数装備されているが太平洋エリアにはBFには探知できない通信基地が整備されており、瞬時にマリアナ海溝の本部まで状況を伝えることができた。これでBFと偶発戦闘が起きてもハワイ沖に発見した人工施設の調査に支障はないだろう。

「通信完了。今、この周辺一千km以内に僚機はいない。BFの機影もないが、大西洋側は見えないからな。時間がない。すぐに行動しよう」

 エルが操作する巡視艇のレーダーには長方形の移動体と人間サイズの影が二つ、映っている。常識的に考えればムー連邦側の海底人であるはずはなく、アトランチス人である可能性も皆無だ。滅んでから七千年が経っている。エルは迷うことなく救助活動を選択しバディのダイも同意したが、未知のテクノロジーを持つ知的生命体との邂逅。本部からの返答はまだないが、最悪見殺しにしてよいとの指令も、エルには想像できた。ムー連邦では自国以外の人間に対しては無干渉が基本なのだ。若いエルには怒りすら覚える政策なのだが、彼は自分の感情より人の話を聞いて考えて納得して、理性的に行動することが正しいと信じている。ムー連邦の無干渉政策も祖国の長年の平和に貢献していると理解しているのだ。ただし目の前で困っている人を見殺しにすることはできなかった。

 レーダーが示す移動体と人影の探知ポイントに到着し、エルたちは機体上部のハッチを開放し外へ出た。海底人であるエルたちには裸眼で深海の様子が地上の昼間のように見える。彼らの前に人間の子供が意識を失って倒れていた。一目で分かった。

「陸上人のようだぞ」

「まさか! そんなこと考えられない……!!」